摂食障害のわたしが母親になって②
前回の続きです。
自分のコンディションが良くない時、必要以上に娘を叱ってしまう。一度や二度とではありません。
言いすぎた…やり過ぎた…
そんな時は必ず、そのまま娘に伝えていました。
『今のん、ママちょっと怒りすぎたな…そこまで言うことじゃなかったよな。ごめんな…。ちょっとこっち来て。』と娘を膝に乗せ、ぎゅーっと抱っこします。
小さな彼女はいつも
『うん。いいよ。〇〇(名前)もごめんな。』とホッとした顔を見せ、わたしのことをぎゅーっと抱っこしてくれます。
さすがに中学生くらいになると、膝の上には座りませんでしたが、言い過ぎた時は、必ず謝りました。
これは後々の、わたしと娘との信頼関係に大きく影響することだったのではと思っています。
大人だって親だって間違うし、間違ったら、それを認めて謝る。
それはごく普通のことなのに、親になると、とたんに子どもへ謝ることのハードルが高くなっていくものなのかなと感じることがあります。
彼女が高校生の頃、印象に残っていることがあります。
いつものように、好きなバラエティ番組をふたりで観ながら、夕飯を食べていた時です。
彼女は『今日めっちゃ腹立つことあってん』と話し始めました。
クラスで、自分がひとりっ子で母子家庭であるという風なことが話題に上り、ある男の子が、それはそれは驚いた様子で、
『え??そしたらオマエん家って、お母さんとふたりでゴハン食べてるん??え??ホンマに??寂しないん??』と言ってきたそうです。笑
彼女はポカン?となり、
『え??何が寂しいん??
ひとりっ子やから、お母さんの愛情は生まれた時から、独り占めやし、毎日ふたりでめっちゃ喋りながらゴハン食べてるし、お母さんはわたし命やし、え?何が寂しいん?』と聞き返したそうです。
彼は、『あ…あぁ。』みたいな感じだったそうです。笑
わたしは娘がどんな顔をしてそれを言ったかを想像できて、笑ってしまいました。
『彼は大家族なんちゃうか。だから不思議やったんちゃう?』と最後はふたりで笑い合いました。
過去の出来事は変わらないけど、意味づけは変えることができる
わたしが、娘がお腹にいるとわかったその日から、全身全霊で彼女を愛し、その愛を精一杯伝えながら、子育てをしてこられたのは、わたしの誇りでもあります。
でもその日々は、何もないところから、自然に創られたものではありません。
わたしが、子どもの頃に経験した辛い思いの上に成り立ったものです。
過去の記事にも書きましたが
わたしが"おかあさん"になったら、自分の子どもには
こうしよう、ああしよう
こんなことは言わない
こんなことは絶対にしない
子どもの頃からずっと思い描いてきました。
心を傷めた経験があったからこそ、こうして娘と向き合ってこられたのです。
あの経験がなければ、きっと今とは違った未来になっていたと思います。
娘は
[わたしは愛されるに相応しい人間]
と思えていなかったかもしれません。
そんなのはごめんです。
そんな悲しいことはありません。
わたしは、あの経験があってよかったと、心から思っています。
その時はとても悲しかったけれど、
あぁ、伏線はきちんと回収できるのだと言いきれます。
過去の出来事は変わらないけれど、その"意味"は未来から変えることができる。
それって、とても素敵だなって思うのです。
過去の悲しい出来事や辛い経験を、
悲しいまま、辛いまま、または誰かを恨んだままで
この先も生きていくのか。
それとも、その経験が与えてくれたものを見出すのか、
そして活かすのか。
人生の豊かさが増し増しになる方が、お得ですよね。
母の存在
そして忘れてならないのが、わたしが娘を育てている中での、母の存在。
母はもしかしたら、罪滅ぼしの気持ちもあったかもしれませんが、それだけではとても足りないくらいに、わたしを助けてくれました。
経済的な面だけでなく、本当に文字通りの
"スーパーおばあちゃん"でした。
わたしは娘を愛しながらも、離婚後、仕事をし始めて、過食嘔吐がとても酷かった時期や、体調が良くない時も多々あって、その時も本当に母は尽力してくれました。
わたし達ふたりを守るために必死だったと思います。
母がいなければ、今のわたしも娘もいなかったと思います。
縁の下の力持ちの支えがあってこそ、わたしはわたしの夢を叶えることができたのです。
なので、感謝しかありません。
本当にわたし達の人生には
無駄なことなど何もないんですね。
そのことを体感できて、本当によかったです。
と、こんな風に書いていると、いかにもわたしが良いお母さんであるかのように映るかもしれませんが、それはとんでもないのです。
娘が中学生になった時から
わたしの刷り込み教育が始まります。
相変わらず自信のないままのわたしは、お母さん業は大好きなのですが、"仕事をして稼ぐ"ことが苦痛以外の何ものでもなくなっていました。
ガッツもなければ、何かに挑戦することもできない、わたしはダメダメ人間と思うことがデフォルトです。
なのでもちろん自動的に、娘には娘にだけは、こんな思いや、こんな苦労はさせるまい!と意気込みます。
『世間は冷たい。世間は厳しい。だから、分厚いコートを着て、社会に出やなあかん。』
"分厚いコート"とは、学歴だけのことではありません。
やりたくない嫌なことを我慢して、やり遂げた。
それがまさに、ゆるぎない自信に繋がると信じていました。
それに、彼女はやりたいと思うことには、まだ出会っていなかったので、いざその時が来た時に、あぁわたしにはムリやわ…とならないように、自由に選ぶことができるようにと、教育ママゴンへと変身します。
中学2年生で大反乱を起こし、勉強することをきっぱり辞めたわたしが、社会に出て、自信のなさから苦労したことなどを包み隠さず話して、こんな風にはなってはいけないよ。こんな風にならない方法がちゃんとあるからね。と話しました。
幸い彼女は勉強は嫌いではなく、知識欲も高かったので、きっといけると踏んでいました。
……もう色々おかしいですよね。
でもこの時のわたしは
"三つ子の魂百まで"の頃と同じく、誰に何を言われようが貫きます。
そしてもちろん、この先にも色々なことが起こります。
それはまた次の機会に☺️
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