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源氏物語と久万郷

2024年の大河ドラマは、「源氏物語」の作者である紫式部の生涯を描いた「光る君へ」となったそうです。
これまで大河ドラマが扱う時代といえば、一部例外を除いてほとんどが戦国時代か幕末、また平安末期から鎌倉時代が中心でした。
平安時代後期より前の時代を扱うのは、初めてではないでしょうか?
しかも主人公は女性?
大河ドラマとしては随分趣が異なるような気がしますが、その分どんな仕上がりになるのか興味もそそられます。楽しみに待ちたいと思います。

ところで「源氏物語」といえば、世界最古の女性文学といわれていますが、日本では他にも同時代の「枕草子」を書いた清少納言や「蜻蛉日記」の藤原道綱母、「更級日記」の菅原孝標女など、千年もの昔から女性が文筆の世界で活躍していたのです。

それに比して世界をみれば、先進地域と思われているヨーロッパでも女性が書物を著すのは近代になってからです。それどころか文字を読める人ですらほとんどいなかったのです。

近頃、男女共同参画が声高に叫ばれ、日本は女性の進出が遅れているといわれていますが、どっこいこっちとら千年進んでいるといいたい。更に言えば日本で一番えらい神様「天照大御神」は女性です。

『岩戸神楽ノ起顕』(部分)
1857年(安政4年)歌川国貞 画

さて、下の絵は源氏物語絵巻の一コマですが、ここに描かれている御簾(みす)は久万高原町の露峰で採られた篠竹で編まれたものなのです。
なぜそれが断定できるかというと、
『源氏物語』の柏木の巻に、「伊予簾かけわたして、鈍色の几帳の衣がへしたる透影、すすしげに見えてより童の……」。また同書の浮舟の巻に、「やをらのぼりて、格子の隙あるを見つけて、より給ふに、伊予簾はさらさらと鳴るも、つつまし」とあります。

源氏物語絵巻 柏木の巻

そこで、「伊予簾」を広辞苑で引いてみると、「伊予国露峰(つゆのみね)(現、愛媛県上浮穴(かみうけな)郡)に産する篠竹で編んだ良質のすだれ。」とでてきます。
さらにネットで検索してみるとこのようにあります。

伊予簾の材料の笹は、久万町露ノ峰の標高七〇〇~七五〇mの山腹に自生している。藩政時代には大洲藩の所有で、毎年何十貫かを馬の背で大洲城下へ運んだという(小倉強の兄の梅木正衛談、昭和八年九月一七日)。廃藩後官有地となり、明治一五年公売になり、西明神の小倉強の所有となる。昭和二四年九月一七日県指定の天然記念物となり、小倉強は父二峰村に寄附した。合併して今は久万町の所有である。栽培地は音地式土壌の傾斜地で、面積は帳面上五反五歩、実面積六反六歩で、今はトラックで行けるようになった。昭和四八年より五年間、小田町の上山物産に委託経営していたが、今は久万町西明神の農家高齢者創作館の老人たちが、経営し加工している。毎年三月下旬に町の山林課が協力して収穫し、あと山焼きをする。加工は簾編み器械が一台なので、年産三〇〇か五〇〇枚編んでいるに過ぎない。短いのは色紙掛け、短冊掛け、衝立、夏向きの簾戸、花器、電気カバー、額ぶち、蓋のサナ、笠など民芸品を作っている。

データーベース『えひめの記憶』より
伊予篠竹の自生地

そうなのです。「伊予簾」とは、久万高原町露峰の山腹、面積わずか6000㎡たらずの特定の場所でしか採れない笹で編んだ簾をいうのです。

伊予篠竹


露峰の国道380号線からイヨス山と呼ばれる伊予篠竹の自生地に向かう町道との分岐に「伊予簾」の記念碑があり、裏にはこのように刻まれています。
「……この地所を一歩離れると自生する小竹の形状を異にする点が不思議とされている。」
イヨス山中腹の自生地が、伊予篠竹にとって土質や日当たり、雨量、気温などの生育に最も適した条件を満たしているということでしょうか。

伊予すだれ碑

『久万町誌資料集』によると「製簾の竹はイヨスダレ、又スダレヨシであり、径2mm・高さ2mもある。稈(かん)はほとんど枝分れがなく、節は褐毛が密生する。節間は20cm以上に及んで、大分県産の3節間にも当たる程よく伸びている。」とある。
このような良質の篠竹ゆえに古来から簾の材料として重宝されていたのでしょう。

久万高原町役場に問い合わせたところ、現在は伐採のみで収穫や加工はいっさいしていないそうです。上記データーベースの記事ははたぶん30~40年前に書かれていると思われます。

大阪府河内長野市で簾の製造販売を行っている井上スダレ株式会社が運営しているすだれ資料館には、史的に価値の高い国内外の珍しい簾、当時の貴重な道具や機械、そして巻物・文献・映像など数多くの資料を展示しているとのことで、問い合わせに展示中の伊予簾の写真を送っていただきました。

伊予簾
すだれ資料館 所蔵

「源氏物語」や「枕草子」など数々の古典にも登場し、平安文化を演出した「伊予簾」ですが、その原材料となる篠竹が保護されているにもかかわらず生産されていないというのは、まことに残念なことです。

現在の簾は竹ひごで編まれたものが主流

できることなら大河ドラマ「光る君へ」の放映を期に、「伊予簾復活プロジェクト」を立ち上げてみてはどうでしょう。
単に簾としてではなく、年間の生産数が限られている伊予篠竹の中から、さらに厳選された篠竹だけを使い、平安貴族が愛用した超高級御簾として、ブランド化するのです。
地球温暖化の折、SDGs商品としてのアピールもできます。また何よりインテリアとしてもガラスはめ殺しの近代ビルに御簾というのも、過去と未来の融合として面白いのではないでしょうか。

御簾


ちなみにデーターベースの記事の最後の一文にかかれている民芸品は、私の亡父が作っていたものだと思われます。私が青年の頃、父は町民館の管理人をやっていて、管理人室でせっせと作っていたのを覚えています。また記事中の創作館にも時々行っていたようです。

伊予簾衝立 大野久雄作
伊予簾花挿し 大野久雄作
伊予簾額縁 大野久雄作

当時、まったく興味のなかった私ですが、今にして思えば父も伊予簾を復活させたいと思って、コツコツ民芸品を作っていたのではないかと思うと、何やら感慨深いものがあります。


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