見出し画像

【癌日記88日目】出社しても申し訳ないきもちがこころをむしばむ/ママががんになったとき/卵巣癌・子宮体癌/9月25日

今週もきっちり出社した。がんの手術と抗がん剤治療のあと初めて出社した先週はわたしやっていけるかなと思ったけれど、今週はやっぱり無理だ。体力や病気の面ではまったく問題ないけれど、コミュニケーションの点でやっぱり無理だ。だめだわたしがいないほうがいいみたいなループにはまりかけている。

▼先週はいけるぞ! 仕事できるぞ! と思った日記

【きっかけ1】職場の人は癌の同僚を見るとストレスを感じるという横浜市のYoutubue

横浜市のがんになった人を会社がどう受け止めるかの動画を見て、がんであるひとをみると職場の同僚がストレスを感じるという描写が胸にきて、「お昼どうします?」と聞いてもらっても、「あっ。わたし大丈夫」と自分からさけてしまう。

みんな、癌のわたしといっしょにいるとストレスなんだろうなと、思うと悲しくてその場で泣きそうになるから、仕事以外の時間をわたしと一緒に過ごさせたら申し訳ないなっておもってしまう。

このマガジンは私が49歳で卵巣癌と子宮体癌に罹患した日々の自分と家族の記録です。娘(高1)娘(中2)夫&猫の4人と1匹ぐらし。ワーママ。
▼癌関係の日記記事は以下のマガジンにまとめています。

【きっかけ2】行けるかいけないか聞かれずに「体調悪いからだめですよね」と食事会に誘われないことが続く

横浜市のYoutubueを見る前と後で2回、何かの食事会で「体調悪いから無理ですよね」って先に言われて、抗がん剤治療を理由に私だけ食事会に誘われないことがあった。

これがもう小骨のように胸を挿す。こんなことは本当はたいしたことじゃないし、「行けるよ!」って言えばよかったけれど、開口一番がこうだったから言えなかった。

ふう。

私だって、抗がん剤の治療中は体調がすごく悪いと思っていたから、こんなに副作用がほとんどなくて、元気でいられるとは思わなかったからみんなはもっとそうなんだと思う。

だから今日はみんなが食事会に行っている間、1人でニューヨークの朝食の女王サラベスへでかけて、スパークリングワインのついているミニコースで1人で、元気なことをお祝してきた。

暗くなってなんかいられない。ついでにYoutubueも作っておいた。癌になるまで、自分の顔をいれたことはないけれど、わたしに何かがあって、子供が立ちなおったときに、生きて動いている普通のわたしの顔や声が残っているのは、いいんじゃないかって最近思っている。

主治医がいうようにまず、5年、10年、それができたら20年という気持ちと、いつなにがあっても子供たちが立ち直れる種をたくさんまいておきたいそんな気持ちの両方がある。

癌になっても毎日わたしは泣きながら不幸を呪いながら時間を過ごさなかった。1日1日、幸せに時に泣きながら前を向いていた。幸せだったと言葉ではなくて、つたえられるかもしれないって思う。

癌のわたしをあなたの目にふれさせてストレスを与えてごめんなさいみたいな気持ちになってしまうは、悪魔のループだ

こんなんだったら出社しても意味ないのに。

来年には50歳になるから自分の鬱になるサイクルはよくわかっている。

だからこれは軽い鬱なんだとわかる。

10月のカウンセリングの内容は、癌である自分を自分で卑下して仕事で自分から殻に閉じこもってしまうことについて一緒に考えてもらおうと思う。

▼わたしが受けているカウンセリング

いつも以上に弱い部分は弱くなっているから、向こうから近づいてきてくれる人に恐る恐る「ごめん、わたしといると癌のことを思ってあなたの負担になったりしないの?」を確認してからじゃないと、笑えない。苦しいって思う。

こういうのが癌の二次的な辛さだ、誰にも弱音を吐けないトイレで泣いてなんとか自分を保つ辛さだ

職場の人は友達でも家族でもない。

本当に癌の進行状態がまったくわからない段階で、会社には絶対に自分の病気のことを伝えるべきではないと改めて思う。

こんなに勝手に申し訳ない気持ちに自分がなるなんて思わなかった。苦しい。

一番わるいことは、こんなことで泣いているヘタレな私を子供に見せてしまったこと

でも一番悪いことは、こうやって日記に吐き出しながらキーボードを打っているときに、こどもたちが帰ってきて、私の涙を見て「はっ」となること。

涙を見なかったように「ママー! 英検準1級のテキスト買ってきたよー」と何事もなかったかのように私に接してくること。

わたしがこどもを守らなければいけない母親なのに、子供にきをつかわせてなにをこどもみたいにビービーないているのかと自分が情けなくなる。

癌患者とワーママ不遇時代の類似点

癌患者になって、こどもがまだ小さいワーママだった時代の苦しさを思い出す。

あの時も、こういうことが本当にたくさんあった。集団の中で自分だけが弱者であるとき、つらいことがたくさんある。

深夜に海外とのMTG中に2歳の長女が起きてきて、ママ抱っこ、ママ抱っこといいながらドアの外で泣いているのを、ドアを足で押さえて開かないようにして、泣き声が聞こえないように、毛布をドアの下をおさえたりした。

MTGを終えて部屋から出て「こんなママでごめん」と言いながら2歳の長女を抱き上げておいおい泣いたときに、「ママ涙お空に飛ばして」ってって言った言葉をつらいときにいつも思い出す。

なんで彼女が「涙をお空に飛ばして」って言ったのかわからないけれど、泣いてもいいけど、涙はお空に飛ばすってとてもいい言葉だなっておもった。泣き終わったら涙は空に飛ばして前を向こうって、あの時から思うようになった。

こどもといると、時々こういう何だろう。すごい宝物をもらう。

がんばる。がんばれ私。

▼会社にがんのことを伝えなければよかった理由

このマガジンは私が49歳で卵巣癌と子宮体癌に罹患した日々の自分と家族の記録です。娘(高1)娘(中2)夫&猫の4人と1匹ぐらし。ワーママ。
▼癌関係の日記記事は以下のマガジンにまとめています。


よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!