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【ワーママ11年目】娘に伝えておきたいこと③母の愛と呪いは裏腹であること

ここ数週間の間に、ポテトサラダをお惣菜として購入しようとした母親に老人が母親失格だとののしったとか、冷凍餃子は手抜きだとか、から揚げはジャンクフードだとかかしましい。

かしましいと思いつつ、私も母親にならなければ漠然と同じことを思っていただろうなと思う。それは、母親が丁寧に食事を整えて育ててくれて、父親がそんな母に感謝しているところを毎日目の前にしてきたからだ。

これまで仕事やプライベートで30件超の保育園や幼稚園をみた中で、長女が6カ月で入った保育園はその中でも最高に丁寧なケアと保護者への情報提供と環境が整った園だった。その分、やらなければいけないことも多く、おむつは布おむつだったし、私は長女の名前替わりのマークである紫のクローバーの刺繍をした真っ白なお手拭きやタオルや涎掛けを夜なべして作ることも多かった。もちろん洋服にも、靴にも靴下にもあらゆるところに刺繍をした。

そんな私に妹が「お姉ちゃん、まずいよ。ママの呪いがかかってるよ。ママと同じことしてるけど、それ呪いだから」と思わず声をかけた。そして、自分は子どもの用品の手作りは外注するし、それが自分の幸せを守ることだと思っていると言った。

長女が生まれたとき(程度は違うとはいえ今も)私は娘に夢中で、娘の周りにせっせと最高の環境を整えることほど楽しいことはなかったから、聞く耳を持たなかった。

だけれど子どもの年齢が上がり、次女が生まれ、自分の体調が悪くなり、仕事のストレスが大きくなるにつれて手や気持ちや時間をかける部分は多くなり、内容も複雑になっていき当然のように破綻した。破綻したというよりも、どこかの時点で破綻している自分に気づくという感じだった。

よく、親は子供に自分と同じかそれ以上の人生を歩ませようとするという言説があるけれど、子供自身の中にも(少なくとも私は、N=1だけれど)親がしてくれてうれしかったことをなぞって生きたいという内なる欲求があるのではないかと思う。

母は孫を育てる私に、離乳食は手作りでなければいけないとか、保育園の用品に全部刺繍を入れなければいけないとか一言も言わなかった。むしろ「紫のペンで書いている人もいるよ」と声をかけてくれた。

それでも私が、母のように食事を整えて手作りのものを持たせたかった。母は私が思う存分やりたいようにやって、破綻するまで支えてくれたと思う。

最近私は娘を見ていて、このことは伝えておかなければいけないなと思う。

私の職種はたまたま裁量部分が大きいけれど、おそらく違う仕事を選ぶであろう娘が、私と同じようにすることで自分で自分を不幸にしてしまう可能性がある。

母の愛が愛だけであると思っていると自分で自分を追い詰める原因を作りやすいけれど、母の愛と呪いが裏腹であることを概念と知っていればそれを自分に合わせて調整することができる。娘が母親になることを選ぶことがあれば、私のような失敗はなるべくさけてほしいと思う。

とはいえ長女はきれいな紫色が今も好きで、何かを選ぶときに「これは私の印だから」と四葉のクローバーのマークを選ぶことが多い。次女は青いチューリップが名前変りのマークだったから、青とチューリップを好む。

母親だから「あっうれしいな」とは思う。ただ、そのことは最近は意識して口にしないようにしている。思春期に向かうにつれて好みはどんどん変わっていく。そういうものに紛れて忘れてしまってもいいころだと思う。

結婚する前に先輩からお姑さんがへその緒は私の中から出てきたものだから火葬するときに一緒に棺桶に入れてほしいといわれたという話を聞いた。重ねてこれは私にとっては大切なものだけれど、あなたたちはこれがあると困るでしょうと言ったという。

子供が忘れてしまう母と子どもの幸せな時間の記憶は、最近このへその緒と一緒に私が自分の棺桶に入れて持っていく幸せな思い出であればいいのだと思うようになった。

しわしわのおばあさんになった私の棺桶には、実際の重さ以上にたっぷりの思い出と愛情が詰まっているのをイメージすると思わずにやっとしてしまう。

文章が伝わりにくいと困るので、蛇足だけれども書いておく。

「呪い」という言葉を使ったけれども、これは不十分な暗喩として使った。私は母親の愛が言葉通りの「呪い」だと思ったことは人生で一度もないし、これから先も一度もないと自信をもって言える。

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