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創作ショート『動物園的。』其のニ  ヨメのヒョウ変

■MONOがお届けするちょっと不思議なショートストーリーズ。日々の生活のすきま時間に、ひとさじからめてみてください。今回は、マンションの屋上階にくらしている竹井さんのお話です。

【豹――哺乳綱食肉目ネコ科ヒョウ属の食肉類】

 ロッカーを閉めると、ずるずると足音が近づいてきた。この歩き方が誰だか竹井は知っている。
「ねえ。今夜久しぶりに、どうかしら?」
 やっぱりチーフの長谷川さんだ。長谷川さんはくにゃくにゃと身体をくねらせてロッカーにもたれると、マイクをもつポーズをしてみせた。
 口調はオネエがかっているが、長谷川さんは元競輪選手だったとかで太腿はガッチリ太く、子どもが四人もいて子煩悩だ。竹井といっしょに中途入社したが仕事もでき、早くもチーフとなっている。そんなことをひけらかさない長谷川さんとは妙に気があい、以前はよくカラオケに行っていた。でも、今は行かない。
 竹井が首をふると、長谷川さんはオーバーに肩をすくめた。
「まーねー。いってみただけよ。赤ちゃんと若奥さんが待ってるものねえ。はいはい、早く帰りなさい」
「はい。お先に失礼します」
 長谷川さんのうるんだ瞳に見送られて、竹井は会社をあとにした。
 竹井は測量機器をメインで扱う業務用機器の販売代理店に勤めている。中堅どころの土木建築系の会社を顧客に業績は安定。日々は単調だが静かに上向きになっていた。おそらく五年もいればマンションを買うローンも組めるだろう。家に帰れば、元保育士のヨメと半年前には息子もいる。ヨメはしっかり者で思いやりがあり、息子はすべてを放り出したいくらいかわいくて、どこをどう切っても幸せ家族まっしぐらだ。
 だが、最近の竹井は喜んで家路につくわけではなかった。
 かなり郊外にある賃貸マンションに竹井家は住んでいる。六階までエレベーターでゆき、数世帯ある家の奥の扉を開く。ドアをあけるとすぐ目の前に階段がのびていた。奇妙なつくりで、階段をあがった上の階が住居となっている。そこには、実質マンションの屋上となる広いテラスがついている。案内した不動産屋は屋上はマンションの共有スペースだというが、誰が他人の家を通り越して布団を干しにくるだろうか。つまりは専用のテラスというわけで、ヨメは感激してその場で契約を即決した。
 竹井は狭い階段をのぼりつめ、本番の玄関ドアにたどりつく。つい薄く深呼吸をし、祈るような思いでドアを開いた。
 もわんと生暖かい空気が、なだれでる。
 ああと竹井はひそかに思う。またヨメの世界が濃度を増している。
「おかえりぃ」
 どこからか、ヨメの声がする。
 竹井は部屋のどこかに向かって返事をする。
「ああ。今帰った」
「カレーあるよ」
 ヨメの姿は見えない。たぶんいるのだろうが、部屋の情景にまぎれてしまっている。
 うっそうと生い茂る観葉植物とヒョウ柄のものであふれ、サファリパークと化したリビングルームの中に。
 竹井は観葉植物をかきわけて、なんとか寝室にたどりついた。寝室のドアにもヒョウ柄のノブカバーがついている。もちろん寝室の中も、ヒョウ柄のベッドカバーにヒョウ柄のカーテン、カーペット。ランプシェードに目覚まし時計とヒョウ柄であふれている。天井からはつる性の観葉植物があちこちからたれている。クローゼットを開けば、自分の背広は隅におしやられ、ヨメのヒョウ柄の服があふれかえっていた。
 竹井はため息をついて、ゴムのゆるんだジャージの上下に着替えてほっとする。さすがに竹井のものはヒョウ柄じゃない。頬をぱんぱんと叩き表情をつくる覚悟をしてジャングルリビングに戻る。
 ヨメはソファに寝そべって赤ん坊に乳を吸わせていた。ふかふかとしたヒョウ柄のオールインワンに身を包み、その尻からはご丁寧に同柄のしっぽがのびている。そのしっぽを踏まないようにしながらキッチンへと進む。
「カレー、自分でやってくれる?」
「ああ。もちろん」
 鍋つかみもふきんもヒョウ柄。居間のソファカバーも毛足の長いカーペットもヒョウ柄。小さいものではつまようじいれから、大きいものではローテーブルまですべてヒョウ柄だ。
 竹井はキッチンカウンターに座り、ヒョウ柄のランチョンマットの上で、大きな肉の塊が入ったカレーを食べた。部屋は薄暗く、枝の間からテレビがついているのがわかる。ここにテレビという電化製品があるのが奇妙なくらいだ。
 授乳が終わり、寝始めた赤ん坊を枯草模様のクッションベッドに横たえると、ヨメもしっぽをふりふり、カレーをよそい食べ始めた。大きな肉の塊にかぶりつく姿に欲情する自分はどうかしてると竹井は思った。
「ねえ。電気、消していい?」
 食欲が満たされるとヨメはいう。赤ん坊が寝ているからではない。大人の営みのためでもない。最近のヨメは暗がりを好む。だから最近はテレビが電気がわりだ。そしてヨメは夜いつまでも眠らない。赤ん坊の夜泣きのせいかと思っていたが、夜中に竹井が目を覚ますと、いつもヨメは目をらんらんとさせて起きている。何をしているわけでもなくただ起きている。明け方近くに竹井の朝食と弁当をつくると、赤ん坊をつれて陽の入らない寝室にこもる。完全に昼夜逆転の生活だ。
 どうしてこうなったのだろう。
 ヨメと最初にあったときを覚えている。友だちの友だちの集まりという名の合コンで、ヨメは清楚な白いサマーニットを着ていた。子どもが相手の仕事だからと爪も短く化粧も薄く、聞き上手で片えくぼも愛らしく、ほとんど一目惚れだった。
 交際はすんなりすすみ、新婚時代もよかった。ナチュラルで淡い色調のインテリアが好きといい、部屋のなかはいつも小ぎれいですっきりしていた。広いテラスにはハーブの植わった素焼きの鉢。窓辺にはガラス瓶にさした小花。ヨメが楽し気に白いシーツを干す姿は、洗剤のコマーシャルに推したいほどのさわやかさだった。仕事も手をぬかず、妊娠してもぎりぎりまで働き、お別れするときは子どもたち一人一人に手作りの名前入り手提げ袋を泣きながら作って贈っていた。
 そのヨメが、出産を機に変わり始めた。
 最初はヒョウ柄の財布だった。黒と黄の毒々しい色合いで、きっと実家からもらったのだろうと思っていた。ヨメは親からの贈り物はなんでも喜んで受け取る。そして使わないとくれた人に失礼だといい、何としてでも使おうとする。そういうところも竹井は嫌いじゃなかった。だから「どう? いいでしょ」といわれたとき、竹井はそういうヨメに敬意を表して親指をたてて応えたのだ。
 それで了承が得られたと思ったのか、ヨメは次々とヒョウ柄のものを買い求め、自分でも身にまとうようになった。下着から上着まですべてヒョウ柄。同時に部屋の中に大型の観葉植物が増えた。日当たりのいいリビングルームで育つ観葉植物は野性味を帯び、竹井家はサバンナの様相になっていった。コンクリートがむきだしのテラスにも少しずつ土が敷かれ、疑似岩を配し、もやもやと肉厚でとげのある植物が生息しはじめている。大きめの異国の木には見知らぬ鳥が集いはじめていた。
 何事にも温厚な竹井も、さすがに一度だけ不満をもらしたことがある。せめてヒョウ柄はやめようよ。するとヨメはこんな顔もできたのかというほどの敵意の表情を見せた。のどの奥から威嚇するうなり声まで聞こえた。
 それ以来、竹井はなにもいえなくなった。
 緑生い茂るなか、赤ん坊は野生児のようないでたちで育ち、ヨメはヒョウ柄。スーパーのジャージの上下を着ている自分のほうが異質に思えてきた。

「そりゃあ結婚して子どもができりゃ変わるもんよ」
 長谷川さんはカランと氷を揺らして、ロックを飲み干すといった。
 竹井が珍しく自分からカラオケに誘うと、長谷川さんはなにかを察知して、誰も知らない秘密の隠れ家だと人差し指を口にあて、いきつけのバーに案内してくれた。
「変わるっていうより、本性が出るのよ。それが元の姿なの。あたしもアスリートだった頃はこんな言葉づかいしないよう気をつけてたもの。今の方がラクだわあ」
 そういうと長谷川さんは口に手をあてて笑った。
「奥さんも変わりましたか」
「変わったなんてもんじゃないわ」と長谷川さんは声をあげた。
 風呂上がりに真っ裸で歩き回る。その身体には脂肪がだぶつき、煮物が得意だったのは新婚当時だけで今はクックドゥづくし。言葉遣いも荒々しいし、足を組んで飯を食うのだと長谷川さんは頭をかかえた。      「元デルモよ。まさに豹変よね。お互い様っていえばそうだけど」
 長谷川さんは、グラスにもたれるようにして竹井をのぞきこむ。
「なあに? 奥さん、なにか問題でもあるの? アル中ぎみとか、幼児虐待とか? 浮気? 借金? じゃなきゃ、それ以外はまあ些細なことだわよ」
 竹井は考えた。
 たしかに問題はない。赤ん坊はすくすく成長しているし、料理も家事も手抜きなく今まで通りだ。普通に話もする。あんな部屋だけれど、決して不潔ではない。ハーブや盆栽やバラのかわりに南国の植物を育て、水玉やチェックやストライプのかわりにヒョウ柄を愛ではじめただけだ。それどころか妻は以前よりきれいになったと思う。運動もしていないのに身体はのびやかで腕も脚も適度な筋肉がついている。のびっぱなしの髪は天然のうねりを見せ、顔が典型的な日本人顔の童顔でなければ、それなりにヒョウ柄も似合うだろう。
 それに、と竹井は思う。なんといっても自分はヨメを愛しているのだ。
たとえ実は同性愛者だった、異星人だったとカミングアウトされても、相手を丸ごと受け入れることこそ真実の愛ではないか。
 自ら導き出した結論に酔いしれ、竹井は久しぶりに足取り軽く家路についた。
 だが、いつものようにマンションの通路奥にある我が家のドアを開けたとたん、異常な事態に気づいた。
 ドアをあけてすぐの階段に、点々と赤い血のあとがついていた。明らかに誰かが土足で歩いた足跡もあった。階上から赤ん坊の薄い泣き声がする。
 竹井は階段をかけのぼり、ジャングルリビングに飛び込んだ。
 部屋は真っ暗だった。
 竹井がヨメの名前を呼ぶと、ざわざわと木々が揺れて「あなた?」と声がした。
 ヒョウ柄のヨメが、胸元に赤ん坊を抱いてはいつくばるようにして現れた。声をかけようとした竹井は息をのんだ。
 肩で息をするヨメの顔と胸元が血で汚れている。
「大丈夫か? なにがあったんだ」
 見知らぬ男が入ってきたという。すぐに危険を察知して、ヨメは息子を抱いて木の陰にひそんで息をこらしていたという。だが赤ん坊はぐずりはじめた。男が近づいてきた。手にした刃物がきらりと光った。
「なんだって」竹井はヨメの胸元を見た。「刺されたのか」
「違う」とヨメは激しく首をふった。
「あたしがやったの」
 階段の血痕は、泥棒のものだったのだ。ヨメは赤ん坊を背後におしやり、男の前に立ちはだかった。そして勢いをつけて飛びかかり、男の首元に思い切り歯をたてた。男は悲鳴をあげ、逃げ出した。
「肉が食いちぎれるほど噛んでやった。しょうがないでしょ。あの子を守るために、それしかないと思ったの」
 そういってヨメは赤い舌で口元の血をなめた。ぐずっていた息子は、ヨメの胸元で安心したようにおとなしくなっている。
 これは過剰防衛になるのだろうか。警察がきてこの部屋を見たならどう思うだろう。瞬時に竹井は思いをめぐらし、それよりも、オットとして、いうべきことをいった。
「がんばったんだね。こわかったろう」
「うん。すこし」
 竹井が赤子ともども抱きよせると、ヨメはごろごろとのどをならした。

 やがて、子どもははいはいから、伝い歩きをするようになった。
「まー」「ぶー」と喃語の数も増えた。ヨメは復職することもなく、ただ寝そべって動き回る息子を目で追いかけ、なにか危ないことをしたときだけちっと舌をならして静止させる。ヨメの顔立ちはますます精悍になっていた。
 四度目の結婚記念日のディナーは、ヨメがいつも以上に腕をふるった。離乳食を食べ始めた息子には、すりつぶした野菜のどろどろスープ。大人には若鶏の丸焼き。材料はテラスで調達したのといった。テラスには野菜だか草だか木だかが密林のごとく育っていて、このあたりの鳥たちの憩いの場所になっていた。野菜か鳥か。どちらを調達したのか、竹井は聞くのがこわかった。そのかわり提案した。
「どこかにいこうか。三人で」
 子どもも成長してきたし、久しぶりに家族で外出しよう。
「山がいい? 海? それとも海外にしようか」
 竹井は酔ってひとりで喋った。モルジブやカナリア諸島やエーゲ海など、かつてヨメが行きたいといっていた土地の名前を次々あげた。ヨメはヒョウ柄のオールインワンに身をつつみ、目を細めてじっと聞いていた。
 その夜、なぜか竹井は目覚めた。またしても隣にヨメがいない。籐を編み込んだベッドでは息子が目を覚まして、言葉にならない声で一人で話している。「おいで」竹井は息子を抱きあげた。息子は澄んだ目で父親を見つめた。
 植物の茂るリビングにもヨメの気配はない。カーテンのない窓ごしに青白い月あかりが差し込みジャングルを照らしている。夜風でつる草がなびいている。
 ヨメは表のテラスにいた。素裸だった。
 疑似岩の頂上で、りんと背筋をのばし、腕を身体の前で突っ張るようにしてひざをたてて座っていた。
 竹井が呼ぶと、ヨメは無表情に顔をこちらに向け、二の腕をなめた。
その眼は金色に光っていた。
 ヨメは上体を前に倒して大きく伸びをした。その尻からでたしっぽが大きくうねり、黒い班が浮き上がり、次第に身体を埋めつくし始めた。腿が腰が肩が班でおおわれながら変わっていく。
 やがて、大きな月の前に三角の耳がたつ肉食獣のシルエットが立ち上がった。
 息子が「まー」といい手をのばした。
 ヨメは、つかの間目の光をおさえると、ゆっくりと腰を落としてから空中へ跳躍した。まるでスローモーションの映像を見ているようだった。
 以来、ヨメの姿は見ていない。

「しんちゃん。お父さんのお迎えですよー」
 保育園に迎えにいくと、三歳になった息子が涙顔で父親にしがみついてきた。
「先生にさようならは?」
 そういっても首をいやいやしてうつむいている。色白でやさしい顔立ちの息子はヨメによく似ていた。性格はやや軟弱で、いつも泣きべそをかいている。
 竹井は今も同じ会社に勤めている。保育園の迎えがあるからと、絶対残業のない部署に異動願いをだしたら給与が激減した。きっと何年たっても住宅ローンは組めないだろう。
 ヨメがいなくなると、まず部屋中の植物がほろびはじめた。その残骸とともに、ヒョウ柄のものも取り除かれた。それで部屋はすっきりするはずなのに、仕事と育児におわれて家の中はいつも雑然としている。
 保育園の帰りにスーパーで買い物をして、息子とクックドゥで夕食をとり、お風呂に入る。寝る前には絵本を読む。せがまれて同じ本を二度読んで、ようやく布団に肩まで入る。息子はヨメとは違い、スタンドをつけておいてとお願いする。いまだに親指をくわえて眠る。
「ねえパパ。今度またママにあいにいこ」
「ああ。今度な。だから寝ろ」
 息子が寝入ると、竹井は起きて寝酒を飲む。どんなに疲れていても眠れない夜はある。とりわけこんな満月のまぶしい夜には。
 一度動物園につれていったとき、息子は檻のなかの豹をみて「ママー」と声をあげた。覚えていたのだろうかと竹井は思う。まだ一歳にも満たないときのことなのに。
 迷子になったとき、大きい犬に吠えられたとき、熱をだして寝込んだときも、息子は「ママがきた」という。願望なのか妄想なのかわからない。
 今日は二杯目の寝酒。ヨメのぶんのグラスにも手をつけてしまった。
 ひどいじゃないか。竹井はつぶやく。
 たまにはおれにも会いにこいよ。よくやってるっていってくれよ。
 息子の趣味はだんご虫集めだ。今日もズボンを洗ったら、洗濯機の底にだんご虫が転がっていた。きみと一緒にあきれて笑い転げたかった。
 ヒョウ柄のきみ。きみはめちゃくちゃ美しかった。

🌙タイトル画は「みんなのギャラリー」からお借りしました。Thanks.

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