蛙の子は蛙、毒親からは毒親しか生まれない③ 〜本当の家族の姿を知る〜
今回は、私と夫の関係について書いていこうと思います。
今回はとってもポジティブですよ笑。
前回の記事はこちら↓
ちなみに①はこちらです↓
夫とは、学生時代からの付き合いで、
大学一年生の頃から付き合い
25歳になる年に結婚しました。
もう知り合って20年以上になります。
夫の家族は祖父母、両親、夫と弟の
6人家族で、とても賑やかな家庭でした。
学校の先生をしていた義理の祖父は
私たちが大学4年生の時に他界してしまいましたが
私が遊びに行くたびにとても可愛がってくださり
心に響く色んな素敵な話を私にしてくれました。
夫との関係も
「助け合い、信じ合い、愛し合う」と助言してくれて
私と夫の学生の頃からのお守りの言葉のようになっていました。
夫は、私の家庭環境や両親の不仲の事も
理解してくれていて、その分私の心の支えと
なってくれていました。
私と夫が大学時代〜社会人になる頃に、
私たち家族も夫の家族も東京に拠点を移し
たまたま実家同士がそんなに離れていなかったので
仕事の終わりに夫のいえにご飯を食べに行ったりと
義理の両親にも結婚前から可愛がってもらっていました。
夫の家族は、かなりお父さんは亭主関白で
お母さんはそれに従うというような関係ではあるのですが
皆が皆とても愛情深く、家族の会話を
とても大切にしています。
おしゃべり好きなお父さんがいつも楽しく話をしてくれて、
それにみんなで色々と意見を言ったり笑ったりと、
本当に楽しい時間を過ごしていました。
私は、心の底から驚いたし、感動していました。
そして、自分の両親、私を含めた家族のあり方の違いに
ショックを隠せませんでした。
普通の家族は、こんなに幸せそうで楽しいんだ、と。
その頃、結婚する前ですが夫が私に言ったことがありました。
「お父さんが○○(私)はさびしそうだな、と言っていたよ。」と。
嬉しかったけど、恥ずかしかったし、気付かれてしまったと
思い、自分たち家族の恥ずかしい姿を知られてしまった、
知らせてしまった事への罪悪感がありました。
息子の彼女はこんな心の貧しい
家庭の子なのだと思われてしまっていると。
でも、その反面嬉しかった。本当の娘のように
可愛がってくれて、私を受け入れてくれる場所があったことが
本当に嬉しかったです。こんな家庭を私も築きたいと
心から思い、夫と結婚しました。
こんな家庭で育った夫なので、父親に似て
なかなかヘビーな亭主関白ではありますが(笑)
家族、妻、子供を全力で愛してくれる
素晴らしい人です。感謝してもしきれません。
子供が生まれる前に、私は夫にこんな話をしました。
「私は母親からこんな事をされて育ってきた。
だから私は絶対に母親のような親にはなりたくない。」と。
夫は、「そうだね。いけないことはこれ以上繰り返さないように
ここで断ち切ろう。君ならできるよ。」と言ってくれました。
夫は、子供の教育や心の成長などについて
いつも勉強し、研究し、自身が育ってきた中で
家族から教わり、感じた事を軸に信念を持って
子供に接してくれています。時に間違う事もあり
反省する事もあるけれど、父親としての姿を
尊敬しています。
だから、わたしには口が裂けても言えない。
娘が可愛くないなんて。
絶対に理解してもらえないし、この気持ちには
寄り添ってもらえない。
子供が生まれてしばらくは、とてもハッピーに子育てをしていました。
いつも夫と
「おおらかに、個性豊かに育てよう。
極力怒らず、やりたい事をさせてあげよう。」
と話していました。
子育てについてよくよく話し、考えを確認し、
一致させ、お互いに方向性を合わせていました。
それが、ある事をきっかけで
私が変わってしまったのです。
長くなったので
続きはまた次回書いていきます。