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私は”アセクシュアル”という言葉を借りた。

不思議な感覚に陥っている。何かを書きながら手は震え、今にでもぶつけ先のない感情とともに涙が出そうになる。息も苦しい。
いったい私は何に恐れているのだろうか。見えない敵に怯んでいる。


明日からの25回目の5月27日24歳を本当の自由な自分で迎えるためにここに綴って残してしまおう。
何も隠さず、自分を受け入れるために。


LGBTQという言葉は今となってはかなり広がり一般的な言葉になりつつある。そして今ではLGBTQIAとまで表される。

私はLGBTQIAの中でもAのアセクシュアルに当てはめたんだ。

アセクシュアルとは、他者に対して恋愛感情や性的欲求を抱かない人

簡単に聞こえてとても複雑な部類になる。
だから下手なりに順を追って書いていこう。


人としてあるべき感情がないことに気づく

はっきり言って、この方恋愛というものを真剣にしたことがない。
ただ誤解はして欲しくないのだけれど、もちろん遊んでいたこともない。

学生の時から誰かを好きになって女子の中で恋愛話をする。別にたいそれたこともなく、みんなが幸せそうに話すその時間は好きだった。

”この子はこんなにも好きになれる人がいるんだ。いいなぁ”
と感じていた。


じゃあ私はどうなのかというと、恋愛と友情の境目の感覚も正直わからずにいた。どちらかというと

永遠という言葉がないのに、ずっとこの時間が続けばいいのにな

と人ではなく、そうある空間が好きだった。もしかしたら好きでいたかったのかもしれない。
だからそんなある日、私はただ男女問わずに人という生き物が好きなのだと気づいたんだ。



今でもそう、人と関わる仕事は好きだし、全員が同じ感情レベルで好き。
私と近しい人は人が好きって言ってるのを聞き飽きるくらい聞いている気がする。

言ってしまえば友情としての人が好きに近いのだと思う。

だから色んな人にどう思っているかを聞かれても、みんな同じくらいで好きだよとしか答えられない。そして

恋愛的に見ることはできる?
好きなんだよね。

そんな言葉をかけられるようになっても、戸惑う自分がいた。好きという感覚がわからない。
それでもって、ありがとうとしか答えられなかった。

もちろん自分を好きでいてくれることは嬉しいに決まっている。
むしろ自分を嫌いになってくれと思う人はいないと思うし、いい関係を築けている環境は自分にとっても居心地はいい。


でも自分にとって恋愛感情というものを抱いたことがない。
というより識別がつかないんだ。

今になって気づいたけれど、人にあるべき感情が抜けていたんだ。


閉じこもり1人で泣いた日々

”人と違う”

そんなものは人生の物語として当たり前にあって、自分は自分の道に向かって歩いていた。
そんな強い自分を取り繕っていた。


でも、人としてはどうだろうか?


私は子供は欲しいと思わなくとも結婚も形上したいと思っていたし、みんなが楽しんでいる幸せの形は普通に楽しみたいと思っていた。

でも他の人には恋愛感情を持ち合わせている限り、自分もそれは当たり前に持ち合わせているというのが他者の認識になる。

私も同じ幸せを追い求めたいと思ってはいるのに、その気持ちに応えられない。


そう、恋愛感情も性的欲求もないのに人が思い描く”幸せのカタチ”を作りたいと思っているんだ。


こんなのは自分のエゴでしかない。
いや、でももしかしたら自分の思い違いなのではないか?

そんなことを100回以上は悩み苦しんだだろう。
こんな自分なのに、最後は私が切り捨てるカタチになることを恐れて、いつしか自分が普通ではないのだと思い込み、この吐き捨てれない言葉に泣いた。


逃げてもいいんじゃないの?

自分の感情を今でこそ、こうやって言葉に書くことがようやくできるレベルにはなりつつも、きっと言葉として口からこぼすと涙とともに色んなものはまだ溢れてくるのだと思う。

何回も泣きながら見えない敵と戦い続けていたある日、ふとLGBTQIAに関して公表した人を思い出した。

もうどれくらい連絡を取っていないだろう

そんなことを思いながらも、涙とともに文字を綴った。
見えない敵に立ち向かって勝つ方法が見えず、自分が自分でなくなる前に。


思っていることを全て話した。
不思議と1度話すと苦しんでいた言葉は次々と出てきた。

自分は周りと違っておかしい
これから先どうしていけばいいのだろうか
自分という存在に苦しい
何か言葉で表さないといけない気がする
”もう逃げたい”


LGBTQIAは思っているより難しい。

当てはめたくても、全くの今の状態に当てはまらない気もしたりして、では今の自分はどういう状態なのかもめちゃくちゃになる。

だからその時に言われたことが、

”逃げたっていい。自分は逃げることを決めて名前に当てはめた。そうすることで他者からの認識を簡単にできるし、その言葉を当てはめることで逃げ道を作ってあげるんだ。それで少しでも心が軽くなるならいい。
自分を受け入れて名前を当てはめてしまうのも1つの道なんだよ”


ああ、そうか。

きっと私は自分が他者と違うことを恐れて、そしてアセクシュアルは違うと思い込みたかったんだ。そして自分に価値を見出したかったんだ。
どうしても世間的な普通にすがっていて、無理に自分を殺してしまおうとして苦しんだのだ。

もう抗えない自分を認めてあげて、今の自分をそっと包み込み、アセクシュアルなのだと言葉に逃げてしまおう。

どこか心が軽くなった。


どうか知って欲しい、LGBTの他にもたくさんの形があることを

そう、私はアセクシュアルという言葉に当てはめた。

もちろん、全てが当てはまるのではないのかもしれない。
けれど、きっと何かカタチにしないと苦しいんだ。

大切に思う人に会ってないからだよ
付き合ってみたら変わるかもよ

もちろんこれらの言葉は私自身も理解していて、アセクシュアルではなく出会ってないだけなのかもしれない。それは私にもわからない。

そして、人はアレルギーがいつの間にか治るように、いつの日かアセクシュアルという言葉に当てはまらず、普通という生活が送れるようになっているのかもしれない。
でも今は少なくとも周りと違う自分を感じているからこうやって言葉に当てはめてしまうの。
これ以上自分で苦しまないために。


ここに綴ることに意味を見出してはいない。
ただこういう人もいるのだと知ってもらえたらいいな。

こうやって書き残しても何かから解放されるわけではない。
だけど、少しでも私が今より前を向いて生きていくために書いたのだと思う。

今までの私を知っている人も、私は私だからこれからも何も変わらない。
今までの私も私なのだから。だから今までのままでいてくれたらそれだけで幸せなのです。

でも声に出してしまうと涙が出るかもしれないから、その時は慎重に聞いてもらえたら嬉しいななんて思う。
こんなことを書きながらも、いつもと違う目で見られるのかなとか不安になって怖い自分がいるからさ。それでも私は笑い続けるよ。


何かが変わるわけではないけど、これで23歳を締めくくる。
そして、

24年目の人生を明日から迎える

少しでも何かが軽くなった気がする。明日からも今までの自分と同じようであって、何かを吹っ切った自分で堂々と生きていこう。

そう、私は私にアセクシュアルという名前を一時的に借りて名付けた。

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