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僕について語る

トマス・ピンチョン的に素顔を隠そうかとも思っていたけれど、僕についてどんな人間なのかを書き記してみたいと思う。

生い立ちは信州の寂れた山奥の温泉街。
父方の祖父は教育者で陛下から叙勲をもらっており、一方、祖母は若い頃には当時の田舎では珍しく女性の地位向上運動をしていた活動家だった。
父親と母親はごく一般の人間だったけど。

決して裕福な家庭ではなかったが、家にはオルガンやギター、文学全集や専門書や文学書がぎっしり詰め込まれた大きな本棚があり、また物理学者であった祖父の部屋には、形見の鉱石や実験道具等があって小さな頃からそれらに触れて遊んでいた記憶がある。
たぶん今の僕を構成しているものの下地は亡き祖父と祖母の影響が大きい。

1 書くこと
義務教育を受ける前から書くことははじめていたらしい。らしいというのは当時の僕は覚えているはずもなく周囲から聞いた。よく分からない物語のようなものを書いていたと祖母が存命中たびたび話してくれた。
しっかりと意識して書いたのは小学生から。
作文コンクールなどは受賞していたけれど、しっかり文学に向き合いはじめたのが10歳くらいだったと思う。テレビゲームがない家庭だったし家にあった文学作品を読んだり、通いはじめた学習塾の先生の影響で。
小説を書きはじめたのもこの頃。
しっかり小説を書きはじめたのは大学に入ってからとなる。大学では何人かのレポート代行作成をしてお小遣い稼ぎをした事も。

2 描くこと
これは難しい。
説明もなにもかも。
何故ならよく分かっていないから。
子供の頃から描きまくっていた。
はじめての作品は自分で創作した犬の絵本。
描くことは、自由よりも制約があるほうが描きやすい。
たぶん子供の頃、本当に自由な気持ちで描いていた時の方がいい。
受賞歴もあるし、絵でお金を稼ぐ事もしているけど、それはある程度どんな絵を描けば良いか分かるから。
どんな世界にも必ず存在する会派や集合体がある。絵画も文学も詩も歌も。
あるとき、ちょっとばかし有名な額装職人の方とお話をする機会があって話をした際、君はいい絵描くけど、どこか属してる属してないと売れないよ、紹介するよって言われた。
断った。
その逆に有名な美術館の喫煙所でお互いにアートについてボロクソに語りあっていたおじさん。
去り際に、兄ちゃんいい絵描いてるな、俗に媚びず俗には属するな、俺の展示会観てってくれって言われたから観たら有名な画家だった。
どちらの人も正しいし間違えてるけれどずっと残ってるのだ。
だから僕にとってはずるいけど絵は魂であると共に商売道具として使い分けている。

3 詩について
実のところスタイルころころ変わる。絵もそうだがその時々で変わる。
人間らしさが一番らしさが一番出るようなのが詩かなと勝手に思う。
構築と脱構築を一つの作品で出来るし。

4 僕をつくるもの
影響という言葉はあまり好きではない。影響を受けたという表現は、言い換えると模倣から形作るような形容を感じさせる。表現者である作り手が自ら使う表現としても好ましくない。
そして僕が何かを表現する時は、影響を受けてはいない。
敢えて影響と言う言葉を変換するなら、好きという言葉だろう。
以下、僕を形づくる好きなもの抜粋
川端康成、三島由紀夫、太宰治、坂口安吾、中原中也、立原道造、宮沢賢治、大江健三郎、村上春樹、川上未映子、最果タヒ、レイモンド・カーヴァー、カポーティ、サリンジャー、ピンチョン、ルシアン・ベルリン、ドゥルーズ、ガタリetc

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