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ワーホリも東大も同じように価値がある

ワーキングホリデーなど価値がない、という人がいる。

ほんとうにそうだろうか?

確かに、ワーホリで1年間ニュージーランドに滞在しても、英語力も思ったほど伸びないし、友達もどんどんできることもないし、やりたいこと全部はできないし、行きたいところすべてに行きつくすことは難しいだろう。

また、ワーホリを終えたときに、手元に目に見える資格のようなものがある人は少ないだろうし、これがワーホリの価値だと人がわかるように見せるものを持って帰ることもなかなかできない。

でも、その1年間日本で過ごしていたら絶対にできない経験をすることができるし、日本では絶対に出会わない人に出会うことができるし、日本とは全く違う時間の流れの中に身を置くことができる。

また、日本を出ることで気づかなかった日本の良さに気づくこともできるし、日本とは違う文化や習慣のなかで違う成長の仕方ができるし、もちろん日本で日本語環境で生活しているよりは英語に対する自信がつく。

たとえば、東大に入学して1年目の人は、ワーホリの人と同じように、思ったほど学力も伸びないだろうし、いわゆる人脈も増えないだろうし、東大でやりたいこと全部はできないだろうし、東大生だからといって行きたいところに行けるわけではない。

でも、東大1年生ならではの経験をすることができるし、東大以外では出会わない人に出会うことができるし、東大独特の時間の流れもきっとあるだろう。

そして、東大で学ぶことでその他の環境とは違う成長をするだろうし、英語も含めて学問に対する自信もつくかもしれない。

だから、ワーホリも東大1年生も、人生の中のある1年間という意味では、同じだけの価値があると言える。

ワーホリだから価値がないのではなく、東大だから価値が高いのでもなく、その1年間をその人がどこでどのように過ごしたのか、その中身、毎日毎日の生活、そこで何を考え、何を感じ、どんな成長をしたのか。

そこに価値があるのだ。

あえて言うと、ワーホリと東大で違うのは、東大を卒業したら、東大卒という資格、一種のブランドを得ることができるくらいだ。

だったら、ワーホリでも、目に見える資格を取ってもいいだろうし、それがないのなら、ワーホリの1年間の生活自体に、自分で資格を与えてもいいと思う。

自分はワーホリの1年間で、これだけの資格に相当する経験と成長をしたのだ、と言えればいいのだ。

ワーホリも東大も、同じように価値があるのだから。

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