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多様性を声高に叫ぶのなら

ブログでも何度も書いたけれど、「多様性」というのは、「受け入れる」という態度と一緒であるべきだ。

世の中にはいろんな人がいるという共通の認識を、最近は多くの人が持つようになったと思う。けれど、単に「世の中にはいろんな人がいるのね。わかりますよ。でも私の周りには来ないでください。」という態度では、多様性だけがポツンと取り残されてしまう。

多様性というのは、「世の中にはいろんな人がいるけれど、私はそのいろんな人の一人ではなくて”一般の人たち”と同じなのです」というのではなくて、やはり「もともと人は一人ひとり違うのだ」ということを前提とすることだ。

そして、一人ひとり違うのだから、自分も他の人とは違う「ひとり」なのだと考えることでもある。

自分も含めて一人ひとり違う人たちと一緒に暮らしていくということは、自分と違うバックグラウンド、自分と違う考え方、自分と違う感じ方、自分と違う文化、自分と違う国籍、自分と違う判断、自分と違う見た目、自分と違うその人の全て、などがあることを理解し、その上で、一旦はそれらの違いを自分から引き受けに行くというような態度だと思う。

それは、能動的に考えて行動する態度だ。そして、自分が理解できないかもしれないそれぞれの人のことを受け入れるには、相当の覚悟もいる。

「多様性」と「受け入れる」を一緒に考えて行動することは、自分の周囲にいろんな人がたくさんいて、自分もその一人で、理解できないこともあり、理解されないこともある、ということを前提に、その違いを一旦は全て受け入れるという強い覚悟を持って、自分から能動的につかみ取るという行為なのだと思う。

多様性を声高に叫ぶのなら、一人ひとり違う人たちのことを一旦は受け入れるという強い覚悟が必要なのだ。


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