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【ゆきnote】先生の言葉をどのように受け止めて、どのように取り組むのが望ましいのだろう?次男の先生の言葉から考えたこと

前回はゆきのさんご長男が小学校に通っていた時の担任の先生に関するお話でしたが、今回はその続きになります!

▼ 長男の担任とはタイプの違う次男の担任

さて次男の先生は、市内の別の小学校に通うお子さんを持つ現役子育て世代。長男の担任だった先生とは親子ほどの年齢差があります。

私たち保護者と年齢が近い分、受け持つ子どもに対しても時には親に近いような目線で見てくださっているようで、よりきめ細かく、子どもに寄り添った指導を心がけてくださっている印象を持ちました。

その分、家庭にも細部までサポートや気配りを求める傾向があり、時折、一部の家庭とのスタンスの違いが浮き彫りになることもありました。

長男の時同様、次男も頻繁に忘れ物をしました。ただ、それはどうやら他の子も同じだったようで、2年生の保護者会の時に先生が「忘れ物をしないよう、前日の夜に持ち物をきちんと確認してあげてください」と申し入れたことがありました。

一部の保護者から「確認はしますけど、どんなに努力しても子どもは多少は忘れ物をするものなのでは?完璧に忘れ物を失くすなんて無理です。それに、親が先回りして忘れ物を防ぐのではなく、子どもが自分で成長しなくては意味がない」という反論もありました。

長男の時の経験があった私は、最初はこのお母さんの方に共感できるところがあったのですが、先生の言い分にもはっとさせられました。いわく、子どもの中には、たとえささいな失敗であっても、そのことで落ち込んでしまいがちな子、気分が乗らなくなってしまう子もいます。

水泳の水着のように、忘れたらもう完全に授業に参加できなくなってしまう物もあります。せっかく楽しみにしていたことが、忘れ物一つでできなくなってしまう子どもを見るのはしのびない。小さなつまづきを繰り返したせいで、本来伸びるべきだった可能性が伸びなくなってしまうのは本当にもったいないです、とのこと。

子どもを管理する大人としての単なる都合や、忘れ物をする子はだらしがないといった決めつけではなく、子どもの立場に立った先生のご意見にも傾聴すべきものがあったと思います。大らかだった長男の先生に比べると、細かいところまで指導しようとする次男の先生は、その分、生徒1人1人にとても親身に気配りしてくださる先生でした。

人と人とのご縁は、ある程度までは選べても、最終的には運と成り行きに任せるしかない部分も大きいです。縁あって我が家の2人の子どもをそれぞれ担任してくださったお2人ですが、もし長男が次男の先生に担任されていたら、きっと忘れ物の多さで手を焼かせていたでしょうし、長男より少し繊細なところのある次男がもし長男の先生に担任されていたら、彼の学校生活は全く別のものになっていたかもしれません。

親として、先生お2人のことはとても尊敬し感謝もしていますが、対照的な先生2人に巡り合ったおかげで、日本の方からよく訊かれる「ドイツの学校ってどんな感じ?ドイツの先生ってどんな感じ?」という質問にはとても答えづらいです。

逆に言えば、先生それぞれの裁量がとても大きく、学校の方針として先生はこうしなければならない、こうあらなければならないという縛りが少ないため、同じ学校に子どもを通わせていても、我が子2人の学校生活はかなり違ったものとなりました。

こうした話は、ドイツで子育てしていると決して珍しくありません。間もなく進路の分かれ目に進む次男は、この先どんな個性的な先生に出会うんだろう?と期待と不安の入り混じった気持ちで、小学校生活最後の日々を過ごしています。

(終)


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