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ヤバいバイトを経験して

大学当時の俺は金が無かった。正確には好きなものを買えるくらい十分に稼いでいたが、使い過ぎて金が消えていった。焼肉のバイトは数年続けていたが、経営不振の為シフトが溢れ出勤日を減らされていった。

「このままだと学費が払えない」

そう思った俺は単発でできるバイトをひたすら応募していった。

初めてやった単発バイトは"チラシ配り"だ。俺はとある駅の改札口で他の同じバイトメンバーと待ち合わせするように言われた。先に待ち合わせに居たのは背が高く、見た目は35歳くらいのちょっと汚い格好をしたおじさんだった。「君もポスティングのバイトか?」ポスティング?ああ、チラシ配りをそう呼ぶんだと解釈した。適当に返事をして残りの待ち合わせをしている人を待つ。短期バイトなのだから、特にここで人間関係を作る必要は無い。そう思った俺はスマホをポケットから取り出し、次の人が到着するまで待った。

少しして、俺と同じくらいの年代でやや痩せ気味の男が来た。「お待たせしました」そう言うと紺色の使い古されたキャップを取り、明るい茶色に染められた髪を見せた。揃った3人で次の集合場所へ向かう。先に背の低い、これもまたやや年上の男が待っていた。聞くところによると今日のメンバーのリーダーらしい。「事務所に挨拶に行きます」そうリーダーが言うと目の前にあるモデルハウスの事務所へ入っていった。少しして、黒いスーツを着た男を連れてきた。「今日はこちらを配ってもらいます」と、案内された先にあったものは、不動産のチラシがいっぱいに入った(1箱400枚入っているという)段ボールを計2つ、それらを高齢者がよく使うキャリー的なもので運ぶ。

チラシが入っている段ボールは非常に貧弱で、元あった数のチラシよりも量を増やして入れている為今にも溢れそうである。ガムテープで四隅を多少は補強しているが、それでもギシギシと音を立てながら確実に段ボールは壊れていくのがわかった。持たされたキャリーも骨組みは華奢でちょっとの段差で折れてしまいそうだった。スーツの男からメンバーそれぞれ、特定の場所に行くように言われ一人一人に地図を渡された。その地図には蛍光ペンで場所が括られていた。「今から18時までチラシを配ってもらいます。休憩は各自取って下さい。交通費の支給はありません」それだけ伝えられ、チラシ配りが始まった。電車移動があるなんて聞いてないな。とりあえず俺はこの場所から数駅離れた場所を指定され、そこで配ることになった。早速移動しようとするが、これがとても重い。キャリーがギーギー音を立てて必死に2つの張り裂けそうな段ボールを支えていた。

途中まで最初の汚い男と通る駅が一緒だった為、しばらくこのバイトのことを話した。彼はいくつものバイトを経験し、今回のポスティングも何回かやったことがあるらしい。「場所によっては自転車で周るところもあるらしいですよ。まあ、運ぶものが重いので歩きの方が楽ですけどね」俺は話よりも段ボールが崩れないかが心配で話に集中ができなかった。だが俺はこの男から役立つ方法を教えてもらった。電車とホームの間にキャリーの車輪を一旦はめてから一気に力を込めて引っ張ると上手く電車にキャリーを持って来れることや、冬の時期のポスティングは指が乾燥で切れるのでゴム手袋をするとやり易いなどアドバイスをしてくれた。

単純な作業だ。チラシを段ボールから取り出し、家のポストに投函する。家によってはチラシお断りと張り紙がしてあったり、本当に住んでいるのかわからない投函物でいっぱいになった家もあった。実際のところ、こんな重い段ボールを引いて歩くだけでも疲れるのに一軒一軒にチラシを入れるという行為がものすごく辛くなってくる。途中、やることが平凡すぎるのでその家の暮らしやどういう人が住んでいるのか、将来こういう家に住みたい、これは住みたくないな、など外見だけで自分なりに妄想をして気を紛らわしていた。

昼ごろになって近くにあったコンビニで昼食を取ることにした。大分配ったような気がしたがまだ1つ目の段ボールの半分も配っていなかった。俺は適当に菓子パンと水を口に入れ、早くこの地獄から逃げ出したい気持ちで次の家へ向かった。あたりはどんどん暗くなっていく。冬の時期であった為夕方から一気に暗くなった。気温も落ち、キャリーの取ってを握っていた手が乾燥とポストの金属の口が何回も当たっていたので限界を迎えていた。もうすぐで18時になる。早く戻らなきゃ。夕暮に照らされた大型マンションに、親子連れが幸せそうな顔で帰ろうとしていた。最後数枚となり、薄暗いアパートでチラシを投函する。「邪魔だよ」「勝手に入れるな」「何してんだお前」この1日で色々な場面に遭遇した。冷たい言葉も投げられた。空腹と疲労で歩くのがやっとだった。

18時になり、今朝来た事務所へ戻る。チラシは全て配り終え、自分と同じくらい疲れ切ったキャリーを黒いスーツの男に渡す。「これでポスティングは終わりです。だが、、」男は続けた。

「何も言わないでここにキャリーを置いて勝手に帰りやがった奴がいる!勝手に辞められると困るんだよ!」急にスーツの男が声を荒げた。メンバーを見る限り、朝駅の改札で待ち合わせをしていた茶髪の若い奴だ。残ったメンバーはそいつの代わりに怒らた。「俺は毎日このチラシ配りをやった!俺より若いやつが逃げてんじゃねぇ!」なぜ俺が怒られているんだろう。おそらく若いと一括りにされて当たっているのだろう。最後は使ったキャリーとクタクタになった段ボールを事務所に入って返した。事務所にいた俺と同じくらいの年代で黒いスーツを着た社員の目は死んでいた。

これだけ体と心を消耗して日給は1万円だった。今でもその会社名は覚えている。超有名ではないが、聞くと知っている人はいる企業だった。将来家を買うことになったら絶対この企業からは買わないと心に決めた。

数年が経ち、ふと思った俺は当時の事務所の場所を調べた。元あった事務所は消え、今はコインパーキングになっていた。あの時に見た「若い」スーツの社員はどうしているのだろうか。

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