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【短編】天使と悪魔

高層ビルの屋上、あたしは落下防止のフェンスを超えた先に佇んでいた。
「もうこれでいいんだ…」
ふわふわした足取りで前に進んでいく。
とっても景色は綺麗で、遠くまでキラキラして見えている。
足元には粒みたいな車のライトがいくつも通り過ぎていく。

ちょっと怖いけれど、ギリギリのところに足をかけてみる。
「本当にできるかなあ。」
恐怖心から若干戸惑ってしまった。

すると突然、顔の両横にボン!とふたつのちっちゃいものが現れた。

「死んではダメです!悲しんでしまう人がたくさんいますよ。」
と小さな天使が言う。
「いいじゃねえか。楽になっちまおうぜ。」
こちらは小さな悪魔だ。

「何あんたたち!」
びっくりした勢いで叫ぶ。本当に落ちるかと思った。

「私は天使です。人間を正しい方向に導くために現れます。あなたの尊い命を自ら奪ってしまうなんていけません。」
「俺は悪魔だ。人間の負の感情を遂行するためにやって来る。別にかまいやしないさ、せっかくここまで来たんだから。」

「見たらわかるよ。」
ちゃんと見てもいないのにあたしはそう答えた。
目下に広がるキラキラの世界と、震える足だけが目に映る。
恐怖心のせいだった。

「それはよかったです。じゃなくて!どうしてこんなことをしようとするのですか?あなたのご両親から授かった大切な命なのですよ。ご両親も、お友達も、たくさんのあなたに関わった人々が悲しみに暮れてしまいます。どうかおやめください。」

天使の無責任な言葉に対し、あたしは饒舌になって言い返した。
いま初めて会った、得体も知れない、本当にそこにいるのかもわからないモノなのに。
「パパもママも悲しいなんて思わないよ。あたしにはうんざりしてるの。学校にも行かなくなって、部屋に引きこもって、“一家の恥”って言ってた。学校行ってないから友達もいないし。誰もあたしのことなんか見てないんだ。」

「そうなんだよ、生きてる方が辛いよなあ?悲しむ人間もいないんだったら誰にも迷惑もかけない。一番スッキリできるじゃねえか。」

悪魔が共感してくれたのはちょっと嬉しかったけれど、
何か心の中でモヤモヤするものがある。

「ぐぬぬ、しかし、ここから落ちてしまえば下にいる人々に迷惑がかかってしまいますよ。ぶつかって、死にたいと思っていなくともその人が死んでしまうかもしれません。そうなれば、その人のご身内の方には迷惑がかかることにもなりますよ。そして下にいる人々には、ぶつからなかったとしても、落ちてきたあなたの潰れたご遺体を見てしまうことで、悲しみや恐怖心を与えてしまうかもしれません。あなたにも恐怖心はあるでしょうし、どうかおやめなさい。」

“潰れた遺体”というあまりにもハッキリした、普通だったら天使が使いそうにもない言葉があったせいで、余計に恐怖心が強くなってきた。

「まあちょっとは怖いけど…。」
ビルの端っこギリギリに置いていた足を、あたしは少し下げた。

天使の力説を黙って聞いていた悪魔が、閃いた顔をした。
「じゃあ、誰にも迷惑がかからないし、怖いかもわからない場所へ連れて行ってやるよ。」

「え?」
一瞬で目の前の景色が変わった。
あたりは真っ暗で、風がびゅうびゅう吹いている。
ザザーンと、大きな波の音も聞こえる。
ここが海岸に切り立った崖だとすぐわかった。
なんだかさっきよりも一段と怖くなった気がする。

「ほら。これで誰にもぶつからないし、誰にも見えない。お前が死んだかもどうかもわからなくなるから、死ぬってこと自体の迷惑もかからねえぞ。」
「そう言うことじゃありません!神から与えられた、たったひとつのかけがえのない命を、自ら絶ってしまうのが、正しさに反してしまうのです。」

周囲の騒々しさはそっちのけで悪魔と天使が口論している。
あたしは怖くて怖くて、声も出なかった。

「なあ、お前ら天使の言う正しさってなんなんだよ。確かに、人を殺すとか、物を盗むだったら、誰かに迷惑がかかるし、他に悲しむ人間がいるから正しくないっていうのは分かるんだけどさ。ただこいつは今、周りにも迷惑をかけないし、自分の意志で、望んで死のうとしてるんだ。
それにお前、キリスト教じゃないだろ?」

悪魔が急にあたしの顔の前にトゲトゲした槍を突き出してきた。
「えっ、うん。」
咄嗟に出た言葉はこれだけだった。

「じゃあ神の教えにも反してねえし、こいつの命はこいつのもんだ。」

どうして悪魔が神についてこんなに詳しいんだ。
なんてツッコミも、この天使じゃできないんだろう。
あたしだったら嫌な予感がして、ちょっとは怪しむのに。

「うーん…確かにそうはなりますね。」
やっぱり天使は何も怪しまず、素直に受け取った。

「誰にも迷惑をかけない、本人の希望を叶えて何が正しさに反してるんだ?人が願い、望むことの手助けをするのがお前ら天使の仕事じゃねえのか?本人が叶えたいと思っていることは、正しいことじゃねえのか?」
「そ、そうかもしれません…。」
悪魔の言葉に、天使は完全に言いくるめられた。

なにこれ、勝手に話が進んじゃってる。
2人がずっと喋るから、ついていけないじゃん、あたしが話す隙がないじゃん。
私、死にたいんだよね、でもなんか此処じゃ、すっごく怖い気がする。

口達者な悪魔はまだ続ける。
「今の時代じゃな、個人の意見も尊重される時代なんだよ。選択の自由がある時代なんだ。それを遮るってことは、天使、お前の方が正しさに反してねえか?」
「ふむ…なるほど、確かに、願い祈る者から目を背けるのは、天使としてやってはいけないことです。」
「じゃあこいつの背中を押すのに、何にも悪いこたあねえ。一緒に願い叶えてやろうぜ。お前ら天使の“正しさ”のためにも、こいつの“望み”のためにもさ。」
「はい!」
最後に聞こえたのは、自信に満ち溢れた天使の高らかな返事だった。

「えっ、ちょっとまっ…て…!!!」

急に怖くなった。やっぱり死にたくない!
ほんとは止めて欲しかったの、
味方して欲しかったの!

そう叫んだはずだけれど、もう遅かったみたいだった。
正しさを遂行した、単純すぎる天使の満足げな顔と、うまく天使を言いくるめた、仕事のできる悪魔の満足げな顔が見えた。
私は、天使に優しく背中を押され、そのまま落ちていった。

「おわり」作:新入社員
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