#喜ばうんすVLOG 18【キバのことだま】 ニューヨーク I セラピーで話したこと I 性別 I 性癖 I アイデンティティ I 独立記念日 I キャンプ I 言語化 I アートの一環【ココロ実況】

追われるように書いた前回。そのあとようやく今回18回目について書く。

なぜならもう次の動画を作りたいから。

私のジェンダー・アイデンティティとセクシュアル・アイデンティティに関して再度掘り下げる内容のセッションとなった。

コンプレックスの根源を掘り下げてたどり着いたのは、やはり14歳の時に付き合っていた相手のこと。校舎での暴行現場を担任が発見し、受験には行っても卒業式まで授業に出席しなくてよくなった。暴力を振るわれていたことは、学校が親に連絡するまで誰にも言えずにいた。血のついたセーラー服のことを母に聞かれた時も、幼い頃から頻繁にあった鼻血を出したとウソをついていた。

そのまま「女子校」だったという理由でその高校へ進学する。「もう男はうんざりや。」と当時の私がつぶやいた言葉を聴いて母は心配していた。

だからなのだろうか?好きだったホラー映画やシリアルキラーモノ以外にも、「ボーイズ・ドント・クライ」や「モンスター」といった映画も好んで観ていた。居候先だった東京の母と一緒に観て映画館から出てきた時、吐きそうになっていた。

その居候宅で観た「ミスティック・リバー」も印象に残ってはいるのだが、それ以上に、「リービング・ラスベガス」の娼婦がティーンネージャーの3人に暴行、そしてレイプされるシーンが私の記憶に今も焼きついている。それは「イチ・ザ・キラー」に出てくる女性に対する暴力シーンもおなじく。

バンドの練習で顔を合わせていた以外にも高校受験のために通っていた塾もそのDV彼氏と同じだった。送り迎えをしてくれていた母の車を待つ間も殴られていた。泣いていた理由を聞かれても「塾での勉強がイヤだったから」と、やはりごまかしていた。

セラピストに話そうと思いつつ、彼女のことばを聞きながら、同時に頭のなかで次に伝える言葉を選んでいた。『男嫌いになったから女の子へ走ったのではない』と言おうとしている自分に気づき、そのときに気づいた。

だから安心感を女の子に求めたのかもしれない。

48歳から人生の本編スタート。「生きる」記録の断片を書く活動みならず、ポエム、版画、パフォーマンス、ビデオ編集、家政婦業、ねこシッター、モデル、そして新しくDJや巨匠とのコラボ等、トライ&エラーしつつ多動中。応援の方どうぞ宜しくお願いいたします。