フランソワ・ケヴォーキアン という DJ その2

クラブという現場にフルタイムで戻ったのが2014年。その当時、毎週月曜の夜にクイーンズからサブウェイに乗り、14丁目の駅で降りてから歩いてクラブ・シエロへ通っていた。

フランソワ・Kという音の魔術師が操る音楽を聴いて踊りに踊った。厄という厄や憑物も全て振り落としたほど。

そんな激しい身体が動く最中にも、耳にして気になる度、携帯用アプリの「シャズム」や「サウンドハウンド」のスイッチをオンにした。プレイされている曲名を探し出そうと試みても、色んな曲が何層にも同時ミックスされ、拾えない音が度々あった。

エフェクトを効かせながら完全にジャンル越えした新たな音がそこで作り出されていた。スゴ腕の極上ミックスと曲の数々。そこに歌詞が乗っていた場合は音がクリア過ぎ、耳元で話しかけられている錯覚に陥る。

絶え間なく微調整された立体感のある音の構築に陶酔し、踊り狂わせてもらえたこのパーティーがシエロに存在していた最後三年間の経験だった。

その限りなくクリスタルで美しく激しく常に変化し続ける音色に身をまかせ、踊り続ける心とからだの特訓が鍛えてくれた体感力。のちにありとあらゆる場所や状況に応用していくことになった。

私の出戻り新人時代でもあったこの最初の三年間を振り返りとても恵まれていた音楽環境だったと今でも想う。その理由は、それ迄に私自身が持っていた音楽にまつわる偏見や軽蔑が一切合切ものの見事に浄化されてしまったから。頭が自由になると心は何処へでも羽ばたいていくことができるのを今日の私は快感している。

例えばどんな音楽がかかっているパーティーなのかと人に聞かれた時、ジャンル名での説明が必要だったりする。しかもその方が相手にとってわかりやすい場合だって明らかにある。でも、理由や意味もなくあるジャンルに対する拒否反応を目の当たりにすることがある。商業的流行に相反する「インディーズ」や「アンダーグラウンド」だったり、どちらにせよ「枠組み」に捕われ過ぎだとワタシは考える。

聴いてもいない音楽や観てもいない音楽シーン、会ったこともないDJやアーティストにバイアスがかかっていたり、根拠のない批判や実際に出かけてもいない人、又聞きの人が持つ先入観を含め、やがて私は「音楽差別」と呼ぶようになった。

48歳から人生の本編スタート。「生きる」記録の断片を書く活動みならず、ポエム、版画、パフォーマンス、ビデオ編集、家政婦業、ねこシッター、モデル、そして新しくDJや巨匠とのコラボ等、トライ&エラーしつつ多動中。応援の方どうぞ宜しくお願いいたします。