見出し画像

ともだちコンプレックス

こんにちは。


さとうみかさんの発信する言葉のチョイスや考え方が好きで、サークルに参加したりyoutubeを聴いたりしてます。そのなかで、最近私の心のトゲに引っ掛かったことを書きます。

みかさんのコラムのなかで「めっちゃフツーに「友達いないです」と言えるようになってました」と、親友がいないことについて書いてあった。この文章に私の心がワサワサした。


「親友と呼べる人がいない」


これが私のコンプレックス。友人がいないわけではないけれど、その時々の環境で付き合う人達が少しずつ変わっていく。いつまでも変わらず昔からとても仲良しな友達はいない。深い関係を気づくのが苦手なのかもな•••ってずっと前から思ってた。

本やテレビなどで、友人関係や人間関係の大切さや尊さについて見聞きすれば、私はどこか欠陥があるのかもしれない•••と思った。

知り合いのSNSでたくさんの友人に囲まれた姿や親友について書かれていたら、羨ましいような寂しいようななんとも言えない気持ちに胸が痛んだ。


自分で言うのもなんだけど、人当たりは良く見られるし、社交的だと言われることもある。初めましての人を前にしても、多少緊張はあるけれど、話をして当たり障り無く過ごすこともできる。

でも実は人見知りな性格だと思う。

初対面は相手も自分のことが分からないから、挨拶や自己紹介、互いの家族や子供の話題でつなぐことができる。でも、二度目以降だと、何を話したら良いか分からないし、失礼なことを言っていないだろうか•••などいろいろ他者目線で考えてしまって、自分で勝手に疲れてしまう^^;

だから、初めましてより二度目ましてが苦手。

チャットのような長いLINEのやりとりは苦手だし、べったりも苦手。中学の時は、なんで仲良しグループで一緒にトイレ行かなくちゃいけないのか意味がわからなかった。困ったことがあったらすぐ友人に連絡して相談•••とか憧れてたけど、基本時間に余裕がある時と気が向いた時にしかLINEもしたくないし、悩みって大抵自分で解決できるし相談しないなぁ〜🤣

思えば、母親からよく「我が道を行く性格」だと言われていたし、小学校の頃は人と同じことをするのが嫌だった。「なぜ算数をしたいのに国語の授業を受けなければならないんだろう。」「今は授業よりオリンビックが観たいな〜」とか思ってた。それで中高と授業をサボったこともあった。

この我が道を行く性格と、でも集団の中にいたい承認欲求といろんな感情がぶつかって中学以降は苦しかったな〜。人と深く繋がれない自分は薄っぺらい人間なのかもな•••と思ったこともあった。自分への自信の無さが人と関わることを億劫にしているのかもしれない。

よく、人と仲良くなるためには「相手に興味を持つことが大切」みたいな言葉を聞くけれど、正直あまり人に興味がないのかも。笑 全く興味がないわけではないけれど、基本は自分に忙しいのだと思う。

困った人がいたら助けたいし、人の役に立ちたいとは日々思っている。実際、そういう思いもあって今の仕事も選んだし。でも、それはそうしたいと思っている「自分のため」。どんなに他人が絡んでいても、私の全ての行動は「自分のため」。

こんな個人主義的な考えはダメ。優しくなければいけない•••とか思っていたけれど。

大人になって成長したからなのか、学校という集団生活から抜けたからなのか、はたまたいろんな価値観が認められる社会になったからか、インターネットの発達か、大人になった今の方がとても生きやすい。まぁ、開き直ったと言えばそうなんだけど^^;自己対話という考え方を知れて本当に良かったと思う。

欠けているのかもしれない。

でも、これがkanae.という形なのかも。この欠けた部分に「家族」「子ども」の存在で補おうとしたこともあったけど、ふと「子育てが終わった後私どうなる•••?」と考えると不安になった。怖くなった。

違う。そうじゃない。私に必要なのは「親友がいること」ではなくて、親友がいてもいなくて「そのままの私を受け入れること」なんだって、この記事を書きながら自分のなかで落ち着いた。

今まで通り、アウトドアなのかインドアなのか、明るいのか暗いのかよく分からない自分の心の中をゆる〜く見つめて、そして認めてあげることに努めようと思います。

おしまい!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?