Atori Tsubasa

春は野山に遊び草木の輝く生命を愛で,夏は山岳を歩き青春の幻影を探して彷徨し,秋は落ち葉…

Atori Tsubasa

春は野山に遊び草木の輝く生命を愛で,夏は山岳を歩き青春の幻影を探して彷徨し,秋は落ち葉降る小径を往き季節の傾きに涙を流し,冬は暖かな室内で遙かなる深宇宙の星々に想いを馳せる。

マガジン

  • 夢日記2023~

    夢日記2023~

  • 2024雑想

    2024.1~

  • 不如帰の歌

    私の身体はこの地上へ縛り付けられているが,歌はどこへだって翔んでいける。この世のあらゆる土地を彷徨い,戻ってきたらその身体が喪われていたとしても。

  • 2022雑想

  • 果実雑想

    これまで公私で関わってきた果実(果樹)のあれこれについて、とりとめもなく書き留めた記録

最近の記事

化け傘の夢

雨傘のような人がいる夢を見ていた。 実家のある街の一画で、人通りが絶えた深夜。 職場からの帰宅が遅くなり、足早に歩いていると暗い路上に妙なものがある。 黒い雨傘を上を向けて逆さにしたような形だが、その先端からは小さな人間の頭が生えており、高さは私の膝丈しかない。 そして、私を目指して近寄ってくる。あ、これは生きている人間ではないな、と気付き、背筋が寒くなるような恐怖に囚われた。 そこで逆方向に逃げたら、そちらにも似たようなものがいる。 そこから視点が切り替わって、ド

    • 逃げ出したい相手

      前衛芸術と呼ばれる創作で、欧米のものと本邦のものを比べてみたとき。 既存の表現様式から離れるという点は共通しているとしても、欧米の作品は表現の可能性に挑戦し、自分だけの様式を作りあげたので見て欲しいという主張を強く感じるのに対して、本邦のそれでは既存の様式を破壊し、否定すること自体が目的になっているような印象を受けていた。 芸術は爆発だ!と言う人もいたし。 でも、破壊尽くした跡には何が残るというのか。そこにあるのは、人間のいない焼け野原だけではないのか。 まあ、廃墟に

      • 金銀の斧、身に付かず

        斧を女神の泉に落とした木こりの話。 急に金銀の斧を貰っても持て余し、換金したとしてもあっという間に使い込んでしまうんだろうなあ、と思っていたけれど、だがしかし。 北米原住民の間で行われていたというポトラッチ(競争的贈与)のことを思い出す。 蓄財したものが盛大な宴を開き、集まった人々にたくさんの贈り物をして財産をみんな分け与えてしまう、というあれ。 運に恵まれており私欲の無い者だ、という評判を得て、財を持つことに対する妬みをリセットするための慣習だと考えれば合理性がある。

        • 感覚質の問題

          暫時めざめたときに、クオリア(感覚質)の問題について考えた。 物理空間では放射線等も含めて様々な相互作用力が飛び交っているが、私達が感覚に依って捉えることができるのは、そのごく一部でしかない。 私達の身体は如何にして(何故)今ある感覚を獲得したのか、その適応的意味と、その偶然性とは如何に。 Wikiの該当記事を開いてみたけれど、私の疑問に応えられるような水準のものではなかった。夜が明けたら英語版のも見てみようっと。 (2024.5.20)

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        記事

          走馬灯の夢

          走馬灯の夢を見ていた。 ジブリキャラクターの絵柄で、一貫してライトブルーの服を着ている。 少女から始まり、コマ送りであっという間に成長し、女になり、母にはならずに成熟し、衰え、老婆になる前に二周目に入った。 二周目では母になったようだけど、その途中で目が覚めた。 凄く寝汗をかいていた。 目が覚めなければ、男も含めていろいろな人生を、何周も何十周も回していたのだろうか。 そしてその果てには身体が消耗し果てて、床の上に汗の水溜まりだけが残っていたりするのだろうか。 (2024.

          走馬灯の夢

          他人が大事にしている物を壊す夢

          なんだか、他人が大事にしている物を壊す夢を見ていた気がする。 自分が大事にしていた物を壊されたことに対する報復だったらしい。 それは物品だったのか、信頼関係のような目に見えないものだったのか、もう何も覚えていないけれど、怒りと悲しみの感情だけが、目が覚めてからも残っていた。 他人に対する怒りや憎しみ、喜びや好意の発達と統合は、親との間で方向付けられた後、学校のような集団生活のなかで揉まれ、規定されていく。 しかしその多くは、教師や他の大人の目が届かない場面で発生しているは

          他人が大事にしている物を壊す夢

          寮の管理人がいない夢

          会社の寮のようなところで、大勢の人たちと一緒に朝食を食べる夢を見ていた。 男女比では圧倒的に男性が多く、若い人も熟年の人もいる。 高層階の一室だが、畳が敷いてあり長い座卓に食器が並べてある。 地区住民が祭事のときに集まり公民館で食事をしているような場面だ。 食事の内容は、パンの耳を除いたハムトースト、刻んだ青菜とキャベツが入ったコンソメスープ、ゆで卵、温めた牛乳など。 大皿には野沢菜の漬け物が盛られてある。 食べ終わった後の食器は自分で運び、座卓の一角に重ねておくが、それ

          寮の管理人がいない夢

          皮が剥ける夢

          見ていた夢のなかで、体中の皮が剥けていく場面があった。 海水浴のあとで灼けた肌が剥けるのに似ているけど、それよりもっと激しく、手のひらや足の裏までもが、ゆで卵の薄皮を剥がすようにつるつると剥けていく。 蛇の脱皮のようでもあるが、そこまで一斉にすっぽりと脱落するわけではない夢。 (2024.5.13)

          皮が剥ける夢

          終焉を謳うものの夢

          夢のなかで私は終焉を謳うものになり、強く逞しく生きると主張する小さな人形のような人々をひと息に揉み潰そうとしていた。 お前達にこの苦しみが判るのか、これだけ辛いのに何故判らないのかと絶叫しながら。 しかし私の黒く湿った呪詛は振り払われ、今すぐ正気に戻れと光の拳が叩きつけられる。 目が覚めて良かった。あのままあの場面から帰って来れなかったら私は。 (2024.5.11)

          終焉を謳うものの夢

          ガラスの鍵

          そして私はシンデレラ姫。 22時半を過ぎれば、馬車はかぼちゃに、御者はカエルに、私はLv90踊り子である翼アトリから、灰かぶり娘のような者になる。 このXの書き込みだけが、華やかな舞踏会を偲ぶ縁の、ガラスの靴だ。 ガラスの靴=量子暗号のワンタイムパスワードを封入した透明半導体のセキュリティトークン説。 (2024.5.3)

          金メダルを獲った夢

          なんでだか、オリンピックの水泳競技で金メダルを穫った夢を見た。 B&G海洋センターのような、上は施設園芸の鉄骨ハウスのような場所(明るい)で短水路種目の決勝戦をやっており、出場した他の強豪選手が絶不調で、私が一位になってしまった。岩崎恭子さんみたいだ(違うかも)。 金メダルを穫ったのに誰からも身向きされず、私自身もそれを何とも思っておらず、通常の生活を送っている。 大学の研究室のようなところで、首にかけた(なぜ)金メダルが洗浄前のピペットに引っかかりそうになり、もう、邪魔

          金メダルを獲った夢

          Катюша

          Расцветали яблони и груши, Поплыли туманы над рекой; Выходила на берег Катюша, На высокий берег, на крутой.‥‥ (リンゴと梨の花が咲きました。 雲が川の上に浮かんでいました。 カチューシャが上陸した高地の海岸、険しいところにあります。‥‥) 「カチューシャ Катюша/1938」 これが、国境警備に就いた恋人を想う歌だというのは聞いていたけど、カチューシャ

          溢れる思い

          ひとりでいるときの時間は停まっており、誰かと話し始めると停まっていた時が再び流れ始めるんじゃないだろうか、と思うようなことが、最近続いた。 ひとりでいるときにも仕事や家事をこなし、FF14のスキルを身に付け、レベルを上げて成果を残しているというのに。 ひとりでいるときに思い付いたことや考えたこと、出会ったものの記憶などが、出口を求めて私のなかで渦巻いている感じ。 このままずっと堰止められて澱んでいたら、濁っていやな匂いを発するに違いない。 話して、書かなければ。 溢

          溢れる思い

          山芽吹く

          山芽吹き 山吹色の花添えて 冬の眠りを覚ますこのとき(2024.4.26)

          失われた10年

          私はFF14でバトルやギャザクラやハウジングをしたいんじゃなかった。 バトルやギャザクラやハウジングを通して他のプレイヤーさんとの交流をしたかったんだ。 これに気付くまで10年以上かかったことになる。 私の10年を返してw。 私はFF14世界で人との交流を自ら断っていた(理由アリ)から、あれこれをしてもいっこうに満たされなかったということになる。 人との交流にようやく目覚めた今、ここで出会うすべての事物、すべての行為がこれほど面白かったんだなとしみじみ感じている。 10

          失われた10年

          玉ねぎの部分と玉ねぎの全体

          「人間性」とは何か、という問題について。 それはタマネギの皮のようなものである、という持論からすると、自分が外から取り込んで身に付けてきたものの総体である、ということになる。 だが、この「皮」がリアルタマネギのように一枚一枚剥がしていけるものであるかどうかについては、検討の余地あり。 個々に引き剥がせないものであるとすれば、分析も検討もできないわけだが、言葉の助けを借りればそれは可能になる。 しかし、そうやって剥がされたタマネギの皮(葉)は、既に元のタマネギそのものでは

          玉ねぎの部分と玉ねぎの全体