終焉への抗い

小学生のときに読んだ「水滸伝」の子供向け編集版。

最後の戦いで大勢の仲間を失った後、梁山泊の首領と彼を慕う暴れん坊の義兄弟が共に毒を仰いで亡くなる場面がある。

編者は、これでは少年少女向けの物語の終わり方としては良くないと思ったのか、「これは千年も昔のことを描いた物語だが、その時代も今も太陽は変わらず地上を照らしている」という一文(原典にはない)で最後を結んでいた。

当時の私はこの部分を読んで特別に感じたことはなかったけれど、今ならこう思う。

水滸伝の英雄たちにとっての終焉とは、宋王朝に反逆したとき既に始まっていたのかもしれないと。

そして彼らは、この長い物語を通してずっと、終焉に抗い続けていたのではないかと。

これは敗北した者たちの物語だが、物語で描かれた作中の人物像は、永い時を越えて現在にまで語り伝えられているのだ。

私は、天地が転倒するような大災害の最中でも、決して諦めず自分を救い、他人を助けようとした人たちの姿をたくさん見てきた。

その一方で思い出すのは、映画「タイタニック」の一場面で、浸水しようとしている自室に居て、正装してその時を静かに迎えようとしている老夫婦の姿。

終焉への抗いとは、もしかしたら人の数ほどたくさんの姿があるのかもしれないな、と思った次第。

人の数ほど姿があるということは、そこに正解などないということでもある。

私は物語を見過ぎたために、答えを求める努力を早々と放棄してしまったのかもしれない。

しかし今、私は終焉へ抗うため私自身の物語を紡ごうとしている。

西欧の人たちが、神の前に独り立つ者として在ることを受容したといわれるように。
(2024.6.15)

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