「空気を読む」は悪なのか
夏ドラマ、始まっていますね。今期もGP帯ドラマはおそらくほぼ録画しています。
SNSでも話題になっている「凪のお暇」、私もとっても面白く拝見してます。ちなみに注目しているのは恋模様よりも…”空気”の描き方。
(以下、ネタばれとはいきませんが多少内容も含まれます)
空気の悪さを見える化しちゃう
先週は慎二の会社が新製品として空気清浄機を発売。この空気清浄機が、たびたび流れる不穏な空気に反応してランプが真っ赤になるんですよね。慎二が同僚に放ったただならない一言や、凪が慎二に放った辛辣な一言で、バックに映る空気清浄機のランプが赤く灯り、場の空気を物語る演出。
本来、埃っぽかったり、たばこの煙などで空気が悪かったりするときに光るアレですが、なるほどな、こういう使い方、面白い!と思わず唸りました。あの空気清浄機、本当に発売してほしいです(笑)
ポイントは、見えないものを見えるようにしているところなのかなと思います。人間のコミュニケーションによる空気の淀みは、感じることはあっても目に見えないもの。見えないからこそ、都合が悪ければ皆でスルーしてなかったことにできる。でもあれだけあからさまに空気清浄機から「はい、空気悪いですよー」ってアラート出されたら、気まずさMAXですよね。
向き合うキッカケ
淀んだ気まずい空気をスルーしてその場をやり過ごす技は結構多くの人が使っているように思いますが(自分も含め)、ある意味その技はコミュニケーションの妨げになっている、とも考えられます。
「心地よくない」という事実を直接つたえたら、相手に嫌な思いをさせるかもしれないし、そして何より自分が嫌われるかもしれないし。だったら笑ってやり過ごすとか、話題を変えるとか、この気まずさと直接向き合わない選択をしようかな。本質的な解決はできないけど今はまるくおさまるしな。
心の中でそんなグルグルした思いを抱えた経験、私は数えきれないほどあります。
でも、あの空気清浄機があったら、相手と向き合えるんじゃないかと思うんです。空気清浄機が真っ赤になってアラート鳴らしてる、ということは、コミュニケーションの中で、心のどこかに、引っかかりがあるってこと。普通は心の中だけの話だから一人胸の内に隠しておけばいいけれど、おおっぴらにアラート鳴らされたら引っかかってるのがバレてしまう。なら、正直に話そう、って、思うんじゃなかろうか。
「それってどういうことなの?」って聞いてみるとか「俺はこう思うよ」って素直な気持ちを伝えてみるとか、引っかかりをそのままにしないことで、相手との関係性は変化する。前に進むか後ろに進むかはわからないけど、確実に深くはなる。浅くはならない。
聞こえているのに聞こえなかったふり。本音が見えているのにわかってないふり。それ、やめようよ。あの空気清浄機はそう言ってるような気がします。
本音を交わすことで空気は悪くならない
たぶん、日曜劇場ノーサイドゲームで繰り広げられている激アツなお互い本気の討論には、空気清浄機のランプは赤くならないと思うんですよね。傷つくのを恐れて本音から逃げたり、知らないふりするときに赤くなるんだろうなって。
(気付けばTBSドラマのまわしものみたいになってしまいましたがたまたまです・・)
つまりあのランプは、慎二や凪が放ったような言葉そのもので赤くなったわけではなくて、周りが波風立てないほうに空気を読んで自分の本音をしまいこんだから、赤くなったと。そういうことなのかなと解釈します。
空気を読むのは、波風たてないためじゃなく、相手がなんか引っかかってることに気付いて、それを見つめるために必要な力だと思います。
でも「空気読んで」という言葉は、そういうニュアンスではない気がするので、なんかもう使いづらいですね(笑)
来週も凪のお暇、楽しみです!
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