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内なる善性

宗教は大嫌い。
私財をなげうって貧しい人に施すような人はともかく、母校の聖職者はみんな、都内の一等地に立派な家を構えていた。
そもそも、自らは慎ましい生活をして他人を助けるような人は、神を理由にしなくても感謝の気持ちがあるし、人を思いやれるんじゃないのかと、ずっと疑問だった。
神がいるなら、あんなにひどい事件や天災や事故なんて起こらないだろうし。いても起こっているのだとしたら、祈ったところで何の意味もない。

父がインチキクリスチャンなら、母はファッションクリスチャンだ。
戦後の西洋コンプレックスみたいなもので、横文字をありがたがっていたに過ぎない。チャプレンとか、クリスマス礼拝とか、幼児洗礼とか。自分の子供時代には存在しなかった洒落た用語を知って、酔いしれていただけなのだ。神様なんて信じていないのは、子供の私でも気付いていた。

普通の人間は十代でわかるようなことなのかも知れないが、最近私が強く感じるのは、善いことをすると気分が良いよね、というシンプルなこと。
自分の内には純粋な善性があるのだと感じられると、根底にある自己嫌悪が、少し溶けて消える。
もう引っ越してしまったママ友のお父さんが、シルバー人材で駐車場で働きながら、休みの日は子供のハイキングの案内をするボランティアをしているんだって。その話を聞いた時、いいなあと思った。どんなにお金と時間に余裕があっても、ボランティアをしようと思えない人は思えない。思える人は、薄っぺらい言い方になるけれど、真に豊かなのだと思う。 
私も、無理しない程度に色々するようになった。大丈夫、大丈夫。親は卑しくても、私は違うみたい。自然な気持ちで、善いことをしているよ。

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