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短編: 透明な風景

この小説は、名作小説の型を用いて短編小説を書くワークショップで書いたものです。 内容はほぼフィクションです

私は持てるエネルギー全てを使って恋していた。

大学3年生の夏、いつも一緒に過ごす男性ができた。アルバイト先で出会った彼と仕事以外の時間を過ごすようになるのにそれほど時間はかからなかった。お互いの部屋を行き来し、同じ部屋で食事をし、同じベッドで寝た。でも、相手には恋人がいた。 彼とサトミさんは4年ほど付き合っていた。 

相手は私より前にそのアルバイト先で働いていた女性で、バイト代をためてドイツに留学に行ったということだった。

彼から、 サトミは料理が苦手だからほとんど手料理を食べたことがないと言うのを聞くと、 私はアルバイトが早朝までの夜勤でも授業が終わると仕事前に走って部屋に戻り、料理を作った。 離れている期間が長くなってサトミへの気持ちがもうわからないと聞き、 雨の日だろうが次の日の就職説明会が早かろうが、彼の部屋に急ぎ足で向かった。

最近では国際電話代もかかるし授業に忙しいとのことで、彼女からの連絡はあまりないという。そのままドイツで進学する可能性もあるということだった。 彼がふと「たまに電話しては喧嘩する相手より、お前と一緒にメシ食っている方がなんだかラクだな。 」と言った。

その日、いつも通り大学の授業の後アルバイト時間が始まるギリギリにお店に入ると、エントランスの近くでみんなが集まって楽しそうに話しているのが見えた。 何だろう、と近づいてみると輪の中心にいる背が低く色白で髪の長い女の子と目が合った。 少し離れて立っている私に気づいた店長が 「ああ、この子、サトミちゃん。 前ここでアルバイトしていて、今留学中なんだけど、一時帰国してきたんだって。」と言った。

相手は私に一歩近づき、「初めまして。」と言った。そしてにっこりと笑った。 彼は少し離れたカウンターから優しい目でサトミを見ていた。 店長の隣にいる私にはまだ気づいていないようだった。

負けた、負けた。 

思い出話に花を咲かせる同僚、笑顔の店長、暖かい視線を送る彼。
その先にいるのは、はじめから私ではなかった。

バイトが終わり店の扉を開けて外に出ると外はすっかり明るくなっていた。歩道の隅にあるゴミ袋のひとつがカラスに破られたのか、中身が散乱していた。まだ閉まっている銀行のシャッターの前では、男性がカバンを放り出し、寝ているのか起きているのかわからない角度で項垂れて座っている。駅につながる地下の階段からシワのないスーツを着こなすサラリーマンや綺麗に化粧をした女性が昇ってきて、それぞれの職場に向かい足早に大通りを歩く。私はその流れにぶつからないようにゆっくり歩いた。世の中から逆走をしているような気分だった。

負けた。これは、初めから一度も勝ってなんかいなかったのだ。戦えてすらいなかったのだ。 明日提出するエントリーシートの記入をまだしていないことを思い出しながら地下鉄の入り口の階段を少しだけ駆け足で下りた。


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