見出し画像

私の哲学入門

 普段生活をしていて、ふと、「なぜ」あるいは「これは何だろう」と思うことはないだろうか。

 友人と話していて、なぜここで笑うのか、どうしてそういう態度を取るのか。誰しもそんな疑問を感じることがあるだろう。それが哲学になる。哲学は日常生活の床下に潜んでいる。それは広くて、深い。難しい専門用語を並び立てる哲学も確かにある。だが、哲学はそれに限ったことではない。それは日常に寄り添っている。むしろ、専門用語を使う哲学も元々は日常経験から始まる。その経験を土台にしないと、その哲学に説得力は出ない。「迫るもの」や面白さに欠ける。哲学も学問である以上、論理が通らなければならない。全くの他人にも理解できるように言葉を置かなくてはならない。

 迫力のある哲学論文は、自分の体験を踏まえた上で抽象化されている。それが自分だから書ける独創的な論文になると思う。だから、他人が読んでも迫力が伝わる。論文だから論理の世界だが、それでも優れた論文は読む者の心を打つ。理性と感覚がバランス良く溶け合った結晶。読み手によって、共感もあれば、反発もある。一見理解し難いが、なんとか理解したいと好奇心をかき立てられるものもある。「分からないけど、分かりたい」。そう思わせたら、上出来だろう。

 哲学によくあることの一つに「似て非なるもの」の違いがある。
 例えば「こだわり」と「吟味」。これらは同じような意味だと思うかもしれない。だが、こだわりは、下らないことに拘ること。吟味は、よく練られた意味で使われる。似ているようで、全くの別物。
 これは真理にそのような特徴が一つにはあるためと思われる。

 真理は多面体。それは様々な側面を見せる。これも本当なら、あれも本当。だが、厳として受け付けないものもある。それは正しくないこと。間違ったことは真理とは言えない。ところが、真理と間違いは表面上よく似ている。だから、しっかりと見極めなければならない。正しい行いをすると、面白いように事が上手く運ぶ。一方、間違った行いをすると、事が思うようにはかどらず、苦しむ。間違うなとは言わない。誰でも間違うことがあるからだ。なので、いかにその間違いに氣づくかにかかっている。真理は多面体だが、多面体から外れた間違った道もある。後者の外道げどうはつらく、苦しい。前者の真理は快く安定している。身体の感覚が真理を判別する。「そうだ、これが調子のいい時の感覚だ」。理性、感性、身体、真理。真理と間違いは「似て非なるもの」。

 試行錯誤を繰り返しながら、日常生活に真理が見え隠れする。真理という光の大海に包まれているときは、この上のない幸せを感じることだろう。


【参考図書】

・山本信『哲学の基礎』北樹出版、1988年
教科書的ですが、入門書に最適です。「哲学とは何か」から始まって、テーマごとに書かれています。
・熊野純彦『西洋哲学史:近代から現代へ』岩波新書、2006年
近代から現代にかけての哲学の歴史の入門書です。本書の姉妹版で『西洋哲学史:古代から中世へ』もあります。
・廣松渉 他 編『岩波 哲学・思想事典』岩波書店、1998年
西洋の哲学だけでなく、東洋の思想も取り上げています。歯応えがあるので、『大辞林』(三省堂)と合わせて読むと良いと思います。この事典は大抵の大学図書館にあります。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?