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隣の芝生が青かろうが赤かろうが何色だろうと知らん

一人暮らしを始めて何年か経つ。1人の時間が好きな私も、家ではSNSを開いて他人の共有した写真や動画、ブログなどを見て羨ましいと思うことがある。結局この小さな機械の中に存在し本当の意味で1人ではないのかもしれないが、今日は私が1人が好きなんて話ではなく、

「何故、誰かが素敵に加工してこの世に共有したものを羨ましく思うんだろう」と考えた話を記録しておきたい。

SNSの中の人に一度も関わったこともないのに、その人の性格、生活スタイルや人間関係も知らないのに、投稿にいいねを押してその人の世界を羨ましく思う。そして自分の生活でも真似してみようと取り入れてみて、でも時間が経てばまた元の楽な暮らしに戻っていたり。まるで自分の世界に何か足りない様に感じてしまう。もう目の前には素敵な景色や、人や物がたくさんあるのに。

冷めた言い方をすると私の見ているこの小さな機械の中は、すごーく素敵な加工、整えられた生活、綺麗な言葉たちに溢れ美化されすぎているのだ。見えている部分なんてごく一部。

なので、インプットしすぎもよくない。情報を取り入れて生活を送ることは良いことだ。でも自分の生活と比べるのではなく、劣等感を感じたときは「隣の芝生が青かろうが赤かろうが何色だって知ったこっちゃないし、自分の芝生を精一杯楽しんで、誰かに認められるためではなく自分で芝生を整備し続ける」この言葉を忘れずにSNSと共存することを勧めたい。

結局SNSにあげたものは記憶にあまり残らないことを考えると、私の目で見た現実の世界のことを死ぬまで覚えて私の記憶の中で宝物のように保存していたい。死ぬ時に思い出して良い気分になりたいのであまり現実以外の世界に溺れずに今を生きてみてほしいのだ

ただただ生きていると感じている今日の自分に届けたい今日の記録。結局自分の芝生が1番居心地が良く素敵だ。

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