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晴れ時々雨

下津井の歴史会館を出ると、自転車のサドルが雨に濡れていた。
僕はポケットからハンカチを取り出して、サドルを拭き、再び自転車に跨った。
ホテルで借りた電動自転車を一漕ぎすると、濡れたアスファルトの匂いが風とともに僕の鼻に一気に押し寄せてきた。
後ろを振り返ると、母が自転車で僕の後を付いてきていた。
今、僕は母と倉敷を訪れている。
下津井の町屋造りの町並みを走り抜けながらこの町の歴史が僕の頭の中を巡った。
ここは江戸の初めは海だったらしい。
それを池田の藩主が干拓を行って陸地を作ったのだ。
しかし、塩分の多い土地では米は育たず、代わりに綿花が栽培された。
綿花の一大生産地となった倉敷は明治時代、紡績業で栄える。
そして戦後、繊維業の技術を活かしてジーンズの生産が行われるようになったのである。
歴史は面白い。
点と点が線となって僕のシナプスを刺激する。
歴史会館に干しダコの写真があったことを思い出す。
タコ漁の盛んな下津井の秋の風物詩らしい。
干しダコの写真を見ると、凧を「たこ」と呼ぶ意味がわかる。
凧が先か、蛸が先か、はたまたなんの関係も無いのか。
そんなことは僕らにとってはどうでもよかった。
また干しダコを見に下津井を訪れたい。
そんなことを考えながら、僕らは瀬戸大橋の足元近くまで来た。
このように大きな建造物を人が作り上げ、何十年と坂出・児島間の交通手段となっているのだからすごい。
人が集まれば、国を作ることも、戦争をすることも、そして、四国と本州をつなぐことだってできるのだ。
そんな瀬戸大橋を尻目に、僕らはあるカフェに入った。
そのカフェには「名曲喫茶 時の回廊」と書かれた看板が掛けられ、ドアの貼り紙には「店内で会話はできません」と書かれていた。
店内は薄暗く、壁にはブラームスやワーグナーの肖像画が掛かっていて不気味な雰囲気がした。
そしてモーツァルトの交響曲第二十番のレコードが流れていた。
店の奥から店長が現れ、席を案内してくれた。
店長は「注文時以外は会話はお控えください」と言ってメニューを渡した。
僕らはコーヒーとガトーショコラを注文した。
ここから会話はできない。
僕らの空間をモーツァルトだけが充し、ブラームスやワーグナーは僕らを見定めるようにじっとこちらを見ていた。
しばらくして備前焼のカップに淹れられたコーヒーとバッハの鬘のようなホイップがのせられたガトーショコラが運ばれてきた。
口に運ぶと、中でコーヒーとガトーショコラがワルツを踊った。
目の前にいる母は静かにコーヒーを口に運んだ。
ここまで静かな母は珍しい。
母は普段よく喋る。
そのせいか僕は人の話を聞くのがうまくなった。
また、母は僕に勉強の楽しさ、そして文章の面白さを教えてくれた。
母は僕の人生に間違いなく大きなそして大切な影響を及ぼしている。
すると何かを言いたげな母が僕に目配せをした。
LINEの通知音がモーツァルトを邪魔した。
見ると、母から
「ドアベルと 音楽喫茶に 春の風」
との一句が送られてきた。
なるほど、俳句ときたか。
最近、母は俳句作りにはまっている。
僕もたまに俳句を作る。
が、今日はいい句が思いつかない。
モーツァルトの中に母の俳句の余韻が古池に投げ込まれた石の波紋のように静かに響き、消えていった。
僕はその残響をモーツァルトの中に探そうとした。
でも探す必要なんてなかった。
僕が探そうとしたその響きは僕の中にあった。
母が僕に与えてくれた全ての中に。
モーツァルトが終わり、店内を静寂が包んだ。
店長がレコードを換える音がして、次の交響曲が流れる。
いくつかのレコードを聴いた後で、僕らは席を立って会計を済ませた。
ドアベルが心地のよい音を奏で、春の風を招いた。
湿った匂いがした。
自転車のサドルは濡れていた。

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