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僕のフィルム一眼レフ事始め ~PENTAX MXの話

 一眼レフカメラと言えば、中学生の頃(60年代末)、家には父親が使っていた「ミノルタSR-T101」があった。これはミノルタ初のTTL測光方式を採用した一眼レフカメラだが、高校生の時に使い方を教えてもらって登山旅行に持っていたことがあるが、当時はうまく使いこなせなかった。その後、10代の終わり頃から20代初め頃まで(70年代前半)、旅行やツーリング時に持ち歩くのはコンパクトカメラだった。当時使った記憶があるカメラは「ヤシカ エレクトロ35」と「コニカ C35」だ。
 
 そして僕が初めて自分で買って使った一眼レフカメラは、20代の半ば頃(70年代末)に買った「PENTAX MX」だった。初めての一眼レフになぜMXという機種を選んだのか、その理由ははっきりと記憶していないが、一眼レフにしては小型・軽量である点が気に入ったのだと思う。そして、僕が「絞り」「被写界深度」「焦点距離」「露出」「シャッター速度」等の関係を覚えたのは、このMXというマニュアルの一眼レフを長く使ったことによる。購入当初は適当に撮影して遊んでいたが、本格的に使いこなすに至ったのは、ぶっつけ本番の「仕事」として撮影しながらだった。


■初めて買った一眼レフで仕事

 会社を退職してフリーランスのライターになった時(確か1981か82年)、ある技術系月刊誌の仕事で「マイコンブームに沸く秋葉原の電子・電気系店舗の紹介」(正確な記事タイトルは忘れた)…という内容の連載記事の取材・ライティングを受託した。知人が経営している編集プロダクションからの仕事だったが、たまたま自分がマイコンやアマ無線の趣味があり、秋葉原のその手の店には詳しかったため白羽の矢が立った感じだ。写真は?…と聞かれたので、「大丈夫」と答えたら、そのまま写真も自分で撮ることになった次第だ。当時、MXを購入して2~3年使っていたので、まあたいていのシチュエーションでまともな写真が撮れる自信があったからだ。
 しかし、実際に商用誌の誌面で使う写真を撮るとなると、それがどれほど大変なことか、実際に仕事を始めてから思い知ることになった。
  記事中に必要な写真は、店舗の外観、内観、主力商品のアップ、インタビュー対象の店長(店員)のポートレート…などで、使う写真は、最大で4~5点、普通は「外観」「内観」「主力商品のアップ」の3点だった。
 A4、5段組みの誌面の下3段分の記事で、モノクロページである。写真は基本各段に収まる小さなサイズなので、あまり解像度は要求されない。極論すると多少のピンボケでもわからない。その点は助かった。
 使っていたレンズは、本体と一緒に購入した純正のSMC 50mm F1.4と、タムロン35mm~70mm F3.5の2倍ズームレンズ、いわゆる「17A」の2本だけ。今考えると、これだけの機材で商業誌向けの写真を撮っていたのだからひどい話である。ただ、このタムロン17Aは、解放での描写も悪くなく、安価ながら結構使いやすく良いレンズだった。解放値のF3.5は、焦点距離全域を通しで変化しない。一度露出を決めてからズームで画角を変更することができた。オートストロボが使えるし、マクロの最大撮影倍率は1:2.8(70mmで25cm)とかなり寄れる。純正の単焦点と較べれば解像感は少し劣るものの、十分に実用的なレンズだった(現在中古で2~3000円で買えるので遊びで使ってみるのはお勧めだ)。むろん、フィルムはトライXを使っていた。
 店舗の外観写真は17Aの広角端(35mm)近くで撮れば問題なかったが、当時の秋葉原の小さなマイコンショップやパーツショップは店内の照明が暗いところも多かった。GN20の小型外付けストロボはいつも持っていたが、店の人に話をしてもらうために気軽な取材の雰囲気が大事だったので、止むを得ない場合以外はストロボは使いたくなかった。店内写真では隅々まではっきり写すために被写界深度が必要だ。そこでF8まで絞ると、シャッター速度は1/30秒が使えればオンの字、照明が暗い店では1/15秒か1/8秒になることも多かった。当時何とか手振れせずに手持ちで撮れるのは、50㎜で1/30秒、17Aの広角端の35mmで1/15秒が限界(それでも使い物になるのは数カットに1枚)だったので、シャッター速度が1/15秒以上になる時には止むなくストロボを使って撮っていた。商品写真とインタビュー対象の写真は、たいてい50mm F1.4を使った。インタビュー対象の人物写真も、さりげなく撮るために出来る限りストロボを使いたくなかったので、50mmレンズのF2.8~F4あたりで撮ることも多かった。背景がきっちり整理されるので我ながらいいポートレートが撮れると満足していた。

■MXの露出計

 MXは中央部重点測光で、TTL露出計が内蔵されている。絞りとシャッタースピードの組み合わせが適正な露出になると、ファインダー内に緑色のLEDが点灯する(視野外右側に5個のLEDが縦一列に並ぶ)。露出状態を示すLED表示は縦(上下)に並んで赤・黄・緑の3色に色分けされている。赤は露出が完全にズレた状態、黄は訳1段分ズレた状態、緑は露出が合っている状態を示す。つまり真ん中の緑を基準にして、一番下の赤は1段以上のアンダー、その上の黄色は0.5段のアンダー。緑のすぐ上の黄色は0.5段のオーバー、一番上の赤は1段以上のオーバーを示す。非常にシンプルだが、この表示に慣れると露出補正も簡単にできる。何と言っても昨今のデジタル一眼レフとは違い、測光は中央部重点測光のみでスポット測光などない。最適の露光を得るためには、被写体の位置や背景の状況などによって頻繁に露出を補正してやる必要がある。
 ちなみにMXのシャッター速度は1/1000秒が上限で、真夏の明るい屋外の店頭に並べた直射日光下の商品を撮る場合など、絞りを開けられなくなる。それで、NDフィルターを購入した(ND2とND4)。MXは機械式シャッター(機械制御式横走り布幕フォーカルプレーン)なので、電池切れでも撮影することができる。電池が切れても露出計が動かなくなるだけだ。これは安心感につながった。

■MXのピント合わせ

 MXのピント合わせは、スプリットイメージとマイクロプリズムだ。スプリットイメージは、ファインダー中央部の円の中に被写体を置き、上下の半円部のずれを一致させるもの(文字だけではちょっと説明しにくい)。スプリットイメージの円の外周部がマイクロプリズムで、像がざらついたモザイク状になっているのがピントが合っていない状態。ピントリングを回してざらつきが消えクリアになった状態がピントが合った状態。ピンが欲しい被写体が画面の中央部になく、マイクロプリズムではピント合わせをしづらい場合などには便利だ。こうして書くと、ピント合わせは面倒な感じだが、慣れればスプリットイメージとマイクロプリズムで素早くピントを合わせることができる。また、MXのファイダースクリーンは自分で交換することが可能で、標準仕様のスプリットマイクロマットの他、全面マットや格子線入りなど、全部で8種類のスクリーンが用意されていた。
 先に、インタビュー相手をノンストロボで撮る場合にF2.8からF4あたりで撮ることがあった…と書いたが、こうした際に相手の「眼」にピントを持ってくることなど、人物写真をたくさん撮ることで自然に学んだ。
 
 そういえばMXの良いところのひとつに、レバーによる手動式フィルム巻き上げがある。小刻みに分割巻き上げができるのだ。シャッターボタンにはネジ穴があり、僕はここに大きめのレリーズボタンをつけて使っていた。個人的な感覚だが、指と接する面積が大きいレリーズボタンは、シャッターボタンを押す力をコントロールしやすく、手ぶれを防ぐのに効果的だ。

■MXで覚えたこと

 ともかくこのMXというシンプルなマニュアル機を使い続けたことで、写真撮影の基礎とも言える「ピント」「絞り」「被写界深度」「焦点距離」「露出」「シャッター速度」等の関係を肌感覚で覚えた。例えば自然光が入る屋内のこの位置で人物写真を撮る場合、この明るさなら「F2.8、1/60秒」が適当といったことを、露出計を確認せずにほぼわかるようになった。「この屋内の明るさの中で、絞って被写界深度を稼ぎながら、なおかつ手持ちでシャッターを切るための最適な絞りとシャッター速度の組み合わせはどうなるか…」といったことが、感覚的にわかるようになったわけだ。先に書いたように、機械式シャッターのMXなら電池切れで露出計がうごかなくても、概ねまともな露出で撮影することができた。
 広角35㎜でスナップを撮るなら、F16まで絞れば、距離を3メートルぐらいに設定しておけば明るい屋外の写真ならピント合わせが不要」なんてこともわかってくる。今になって思うのは、余計な機能のないマニュアル一眼レフこそ、写真のイロハを学ぶための最適のカメラだったということだ。

■PENTAX MG

 このインタビュー記事の仕事を始めて半年ほど経った頃に自動露出の一眼レフが欲しくなり、MXの予備機を兼ねて、発売されたばかりのオート機「PENTAX MG(絞り優先AE)」を追加購入した。MGは、MXと同じTTL中央重点測光で、シャッターも機械式で1~1/1000秒と同じ。露出補正にASA(ISO)感度設定ダイヤルを使うのだが、これも慣れれば素早くできる。
 「ASAダイヤルで露出補正」と言っても何のことかわからない人もいるだろう。ASAダイヤルとは、ASA(ISO)感度を設定するダイヤルのこと(昔は「ISO」ではなく「ASA(American Standers Association)」だった)。MXを使っている時には、このASAダイヤルは、カメラをフイルムの感度に合わせるためだけ使っていた。さて、絞り優先オートのMGには「露出補正ダイヤル(ボタン)」がついていない。レンズ側で絞りを決めたら内臓の露出計による適正露出の検出結果によって自動的にシャッター速度が決められてしまう。では、例えば逆光時の露出補正をどうやってやるのか…という問題が起きる。そこで使うのがASAダイヤルだ。僕が普段使っていたコダックのトライXはASA400のフィルムだ。このASA400のフィルムを使っている時に、+2EVの補正が必要な場合には、ダイヤルを回してASA100に設定すればいいということだ。+1EVならASA200に設定する。逆に暗い中でスポットライトが当たっている被写体を撮るために露出をマイナス補正したい場合、ASA800に設定すればいい。
 MXで露出について学んだからこそ、シンプルなAE機MGを使いこなせたわけだ。MGは、大きさも重量も、そして左手に載せて保持した感覚もほぼMXと同じで、分割巻き上げができない点を除けば、非常に使いやすいカメラだった。

保管しておいたMG見付けた!! 愛用していたレリーズボタンがついている。
MGのASA感度設定ダイヤル

■その後…

 結局このインタビュー記事の仕事は、8か月ほどで終わりを告げたが、写真撮影に妙に自信を付けた僕は、その後、就職情報誌の「中小企業経営者インタビュー」の仕事を受けた。A4、1ページのモノクロ記事だったが、今度は使う写真が大きかった。SMC 35㎜の単焦点レンズとタムロンの90㎜(F2.5 マクロ)レンズを購入し(50㎜と35㎜ばかり使っていたのでこの90㎜はほとんど使わなかった)、ベルボンの三脚も買った。MXとMGだけで撮っていたこの仕事も半年ほどで終わった。その後このPENTAX MXは、1983年のニューヨーク長期取材旅に持って行った(この旅の話はこちらを参照)。50mm F1.4とタムロン17Aも一緒にだ。ニューヨーク滞在後の全米バス旅行も併せて、リバーサルフィルムをメインに約4000カット以上の撮影をした。これが、フィルム一眼レフを仕事で使った最後である。ちなみに、帰国後には現地でトライXで撮ったフィルムの自家現像、引き伸ばしにも手を出した。
 そして、一眼レフをまた仕事で使うようになったのは2000年代に入ってからになる。デジタル一眼レフの時代になって以降の話だ。フィルム一眼レフは1980年代の半ば頃にプログラム機「PENTAX スーパーA」を買ったが、その後1980年代半ばから1990年代を通して2000年代半ば頃まで、20年近く一眼レフカメラを購入することはなかった。デジタル時代になって最初に買った一眼レフは「PENTAX K10D」そして仕事用の「ニコンD3」である。
 
 一方で、80年代後半からフィルムカメラ時代末期の90年代は、一眼レフこそ使わなかったが、写真はたくさん撮っていた。旅の記録撮影を中心としたカメラについての興味は、一眼レフからコンパクトカメラに移った。
 80年代後半には、83年のニューヨーク在住時に取材写真も撮ったオリンパスXAXA4(両者ともにゾーンフォーカスのレンジファインダー機)をいちばんよく使った。キヤノンの「オートボーイ2(AF35M)」も国内旅行時に持ち歩いた。また、85年頃に「ミノルタCLE」、そして80年代末に「コンタックスT」を相次いで購入した(今でも持っている)。さらに80年代末から90年代前半に、旅カメラとして最も愛用したのはコニカの「BIG mini」で、中でも3代目にあたる「BM-301」は、その抜群の携帯性もあって本当によく持ち歩いた。そういえば同じコニカの「現場監督」も、防水で頑丈なのを気に入ってツーリングや登山に持ち歩いた。また、趣味のカメラとして「CONTAX T2」や「Rollei ローライ 35」なども購入した。
 これら、80~90年代に愛用した数多くのフィルムコンパクトカメラの話は、別記事として書こうと思う。

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