『幸せになる勇気』から考えたこと
--------------もっと熟成させたい下書きとして-------------
自分のバイブルの一つである「幸せになる勇気」を再読した。定期的に読みたくなるのは、自分の軸が分からなくなっているとき。人として、教員としての原則を再確認したい。
教育の目的は、子供が自立すること。でもその自立って何だろう。アドラーはこう解釈しています。
自分で自分のことの価値を認められること。
=自己中心性〔私の価値を他者から認められようとする状態〕からの脱却
私は、「自分のことが自分でできるようになること」だと思っていたので、違いを再認識することとなった。自分のことが自分でできるようになることは究極のところ、いまある技術や他者の助けという代替可能なものも多い。その事実と方法さえ知ってしまえば、あとはどう使うかということになる。つまり学び方を学ぶことができれば良いことになる。
一方、アドラーが説く自立は、本当に自分でしかできないことだ。他者がかわってあげることもできない、究極の自立だと感じた。
そしてこのことは、自己理解に通ずることのように感じた。
ではどうやってアドラーの自立に近づくのか。
まず、マインドセットとして自分をメタ認知することの重要性に気づかせたい。今この瞬間で自分が感じていることに気づき、そこから離れたり意識的に近づいたりする習慣をつけること。その自己理解の段階で、自分を受け容れることが必要。
でも、凡庸な自分に気づいた結果、自分の価値を他者と比較して下げてしまったり、他者からの評価が自分の評価だと思っている人にとっては、より苦しくなってしまうかもしれない。
そこで必要なのが教員の勇気づけだ。子供へ尊敬を寄せ、存在自体を承認することで、承認された子供は、自分を承認する勇気を持てるようになる。たとえうまくいかぬくて、子供からどう思われても、そこから先は相手の課題となるので介入することはできない。私達教員は、尊敬を寄せ続けることしかできないのである。さらに、子供たちは他者に尊敬を寄せ、愛するという経験を通して、幸福感を得る。
そんな子供たちが社会に出て、誰かを愛し、自分を愛する人でいてほしい。
それが私の、教員としての原則としたい。
そして人生は続く。
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