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架空の航空会社で人生が決まった話

KHOの木口です。私のプロフィールをご覧になった方から、よく「架空の航空会社ってありますけど、あれって何ですか?」と(怪訝な顔をされながら)質問をいただきます。今回はこの架空の航空会社、ANJ(エアネットジャパン)について、お話します。


羽田空港に8時間いた高校時代

小学校3年生の時、祖母の家に飛行機で帰省するときに乗ったB777を見て「なんてかっこいいんだ」と飛行機が好きになりました。それまでも何度か飛行機に乗ったことはありましたが、同時期にデザインにも興味を持ち始めたせいだと思います。徹底的に機能美を追求した形、空港の雰囲気や体験、エアラインのグッズ、異様な加速度で重力に逆いつつ、必ず晴れた雲の上を飛ぶ非日常感…。全ての要素が私の心に刺さります。それからずっとエアラインのファン。高校1年生のとき、用もないのに羽田空港に8時間ほど滞在したこともあります。そんなことをしていると、いつしか飛行機のエンジン音で機種やエアラインを当てることができるようになりました(同じ機種でも、エアラインによって採用するエンジンメーカーが異なり、微妙に音色が違う)。


羽田空港でお気に入りの場所だった、牛のモニュメントそばの窓

高校1年生の1学期終業式、学校からの帰り際に寄った羽田空港の展望ロビーで「日本にかっこいいエアラインができて欲しいな」と、ふと考えます。もちろんANAもJALもJASもかっこいい。しかしこだわる人はこっちを使う、というエアラインができたら、日本の航空業界ももっと活性化するよな、と思ったのです。デザインに興味があり、ちょうどウェブサイトが自分で作れるようになったころ。自分で何かを発表する機会が欲しく、いっそ作って発表しようと思いつきました。当時はTwitterやSNSはなかったため、ウェブサイトをゼロからデザインし、コーディングする。その前に会社自体のデザインをして、あくまで実在するようなウェブサイトにしよう、と決意します。今思うと、あの日が人生の転換点だったように思います。

真面目に、架空のエアラインを構想する

機種はエアバスA320

夏休み、特に部活もしていない(友達も少ない)私は早速エアラインの構想に入ります。名前は「エアネットジャパン」。羽田空港と関西空港で稼ぎ、なおかつ羽田と地方空港をネットして、地方に元気を与えられるような航空会社にしたいという思いからこの名前にしました。機種はA320。そこまで大きな人数を乗せずに飛び、乗り心地、エンジン音の小ささで当時気に入っていた機種です。この機種だけにして乗務員訓練の負担を小さくし、部品を共通化して整備のコストも下げようということまで考えていました。経営はしないのに。

ロゴ・ブランドカラー

ロゴはマークではなく、シンプルにロゴタイプだけを使用。Myriad Proを使用し、カジュアルとフォーマルが同居しているかのようなデザインを心がけました。ロゴタイプにすることで、制約を受けず様々なグッズに展開しやすいロゴにしました。色は、どこにも染まらず都会的な雰囲気を感じさせるダークグレーと、地方に元気を届けるオレンジの二色。

機内サービス



そしてグッズや機内サービスです。当時ブラックコーヒーが飲めるようになり調子に乗っていたので、「ANJ cafe」と銘打ち、機内で提供されるコーヒーは厳選されたコーヒー豆をバリスタの方に監修いただき、提供する紙コップも思わず持って帰ってしまうようなデザインのものを考えました。コーヒー豆自体を機内で販売することで、「本気で機内をカフェにしたいんだな」というイメージ戦略を立てました。コーヒーは「テイクオフブレンド」「クルーズブレンド」「ランディングブレンド」という3種類にして、飛行機の離陸から巡航、着陸までをイメージするブレンドにしていました。持ち帰り用の紙バックもシンプルなものにしました。機内誌は「機内でライフスタイルを考えるマガジン」というコンセプトを出し、旅行のみならず日々の生活の質を上げるような特集を検討。繰り返しますが、架空なのでなんでもできるのです。

空港や機内をイベントスペース化


空港や機内でのイベントに注力することを意識していました。実現可能性は全く考えなくて済むので、色々と企画を立てていました。初日の出フライトはもちろん、星が綺麗な時期に臨時便を飛ばして天然プラネタリウムフライトをする。私は機内オーディオが好きなので、ラジオ局よりも早くアーティストの新譜をオンエアして、機内の画面でPVを流したり、機内で聴いてほしいプレイリストをさまざまなDJの人に企画してもらいノンストップミックスにして流すなど、音楽も好きなので、音楽関係に注力したイベントをよく企画していました。

機体デザイン

機体のデザインは、コーポレートカラーのグレーを全面に塗装し、オレンジのラインを一本引いたデザイン。ANJの文字を前方に大きく配置し、認知度の拡大を図るようなデザインにしました。尾翼のデザインは、日本の伝統的な模様を配し、日本の航空会社であるアイデンティティを演出しています。運用する7機それぞれが異なるデザインにすることで、「今回のフライトはどの機材なのか」というワクワク感も演出させています。

高校1年生の冬、ウェブサイト公開

そして、これらのデザインや企画、キャンペーンをもとにしてウェブサイトを立ち上げました。ウェブサイトのデザインはシンプルなものですが、なんとか人様にお見せできるようなデザインにしていました。2005年当時はお互いのウェブサイト上の掲示板や、ポータルサイト(死語)でやりとりをしていました。ある架空鉄道のコミュニティが活発に動いており、そこで「こんなことを企画してみました」というお知らせを載せると、そこそこいい評判をいただいて、とても嬉しかったのを覚えています。

大きな転換点になったメール

最初、機体のデザインはA320のフリーの線画に手書きでデザインをして載せていました。お世辞にも上手いものとは言えず、基本的にはウェブサイトの端に小さく載せているだけでした。そんなある日、メールをいただきます(上記の通り当時はSNSもないので連絡手段はメールだけ)。
内容は「私は大学でCADを勉強しています。ANJの機体を3Dで作らせてもらえないでしょうか。」というもの。もちろん二つ返事で快諾し、メールでのやり取りを重ねます。こちらからは上記の機材のデザイン案と、希望する飛行機のアングルや風景をお伝えしました。
確か一週間もしないうちだったと思いますが、お返事がきました。びっくりするほど精巧にできた3Dのモデルが添付されていました。

びっくりするほど上手くできてるANJの3Dモデルをいただいた

早速お礼を伝えると、「ロゴとかデザイン、あとコンセプトがはっきり決まっていたので、あとは作るだけだったので助かりました」という返事をいただきました。なるほど、ベースができていると展開する時に楽なのか、ということに気がつけたのはこの時です。調子に乗り、何パターンも作っていただきました。

大々的にウェブで自慢

あまりに3Dモデルがすばらしかったので、一気にウェブサイトを充実させることができました。A320をリニューアルするという名目でキャンペーンを張り、専用のウェブサイトを設けました。
このサイトだけ奇跡的にデータが残っていたので、以下のリンクに貼っておきます。今見ると文章のイキがり方、統一しきっていないデザインなど、大変恥ずかしい出来なのですが、やっていること自体は今とあまり変わっていないな…と思います。

技術的にできることも増えていたので、機内のグッズもリニューアルさせたり、広告を本格的に合成させるなど、リアリティを追求しだすのもこの頃です。

Yahoo!カテゴリへの掲載

公開から1ヶ月。掲示板などのコミュニティで少し話題になりました。当時のアクセス解析はIPをある程度拾えることができていたのですが、リアル航空会社からのアクセスやら、知っている会社からのアクセスがちらほらあり、大変嬉しくなりました。
その後、経緯は失念してしまいましたが、Yahoo!カテゴリに掲載いただくことになりました。当時ヤフーにはYahoo!カテゴリという機能があり、ヤフーから認定されると、優良サイトとして掲載されます。一人前のサイトとして認められ本当に嬉しくなり、より一層企画やサイトの更新に励む日々。すると、アクセス数も右肩上がりに増えます。きちんとしたものを作り、その管理を怠らないと、アクセスは増えるということを学びました。
そのあたりから、ちらほら感想のメールをいただくようになります。わざわざメールフォームから送っていただいているので、内容はとても嬉しくなる感想ばかり。しかし中には驚くようなものもありました。「実際に予約をしてみようと思ったのですが、予約することができません。詐欺ですか?どうしたらいいですか?」というメールや、「機内誌を集めるのが趣味です。就航する空港近くに住んでいませんので、お金を払うので送ってください」という、現実にある航空会社と思い込んだメールも届いたこと。「あれ、これはもしかすると、仕事としていけるのではないか?」と自信がつき始めます。もちろん丁寧に説明の上返信をしていました。今後も日頃からアクセスしますというお返事をいただき、丁寧な対応は良好な結果を生むことを学びました。

ラジオに取り上げられ、アクセス爆増

幾分アクセスも話題も落ち着いたある日、某ラジオ局のディレクターを名乗る方からメールが届きます。変わったサイトを取り上げるコーナーがあるので、そこで紹介してもいいかという内容でした。当時からラジオ愛聴者だった私はもちろん快諾。オンエア当日は学校の授業だったため、母にMDに録音してもらうように頼み、帰宅即正座をして聴きました。わずか3分ほどだったと思いますが、涙を流して喜んだことを思い出します。そして、その番組のブログにもANJのアドレスと簡単な紹介をしていただきました。
そこからの爆発力がすごかった。オンエア当日から翌日にかけてはサーバーが落ちてしまうギリギリのアクセスをいただき(確か1万アクセスほど)、いろんな方からの感想メールが届きました。本当に嬉しかったです。中には「私は50歳を超えるおばさんですが、あなたのような高校生を大人にしてあげたい」という謎めいたメールも届きました。

仕事にすることを決心

「こういうことを仕事にしよう」と決心しました。高校2年生の冬。当時はまだブランディングという言葉を知らなかったのですが、会社をきちんとデザインして広めて、会社の価値を上げる仕事に就きたいと思ったのです。

慶應大学SFCへ進学

進学を本格的に検討し始める時期だったのですが、これは芸術系の学部だけの知識だけではなく経営的な視点も必要だと考え、色々と検討した結果、文理融合かつアートの授業も豊富にあった慶應義塾大学SFCに進学することを希望します。

いっそ、ANJの評価をしていただいて大学に入学するのもいいのではないかと勢いづき、AO入試を受験することを決めます。もちろん受験勉強も継続しながら、毎日コツコツANJのCMを作ってみたり、ウェブサイトの更新を続け、どういう会社が愛される会社なのかを考えていました。
当時のAO入試の提出物は多岐に渡り、テーマが与えられた400文字の小論文を何本かと、ANJの経験から学んだ、かっこいい会社を増やすためにどうすればよいかを、自分なりに考えた2000文字のものを提出。日頃から考えていたことだけあって、我ながらいいものを書くことができました(未だに読んでも納得できる内容)。そのほか、ANJのウェブサイトデータなどを送付。
書類が通過した後に行われる面接では、実際にグッズとして作っていたANJのTシャツを着て臨みました。冒頭から面接官であった教授陣に「なにそのTシャツ?」と笑われましたが、結果は無事合格。SFCではブランド、マーケティングと地域活性化について勉強し、今に至ります。

好きなことを仕事にするのはキツいことも多いが、最後になんとかなる

架空の航空会社のウェブサイトを勢いで作ってみたら、そのまま人生まで決まりました。色々と学ぶことも多かったです。

  • 企画を考えたら、とりあえず表現をしてみると、結果がわかるのが早い

  • コンセプトやデザインをはっきり決めておくと、展開がしやすい

  • 第三者から認められると、広まる

  • 「若いうちにやっておくと良い」というのは、認められやすいというメリット

  • 常日頃から考えられることは、他人に説明するときに苦労しないので仕事にしやすい

今考えると当たり前のことばかりなのですが、高校生のころに気がつくことができたのは本当にラッキーです。あの頃から10年以上経ち、色々とうまくいかないことも多くなってきましたが、人生の根っこにある考えのようなものは変わっていないことに気が付きます。
もし、将来について悩んでいる中高生や大学生がこの記事を読まれているのであれば、やはり好きなことに真摯に向き合い、そこからの展開をみてみるとよいのではないか、と思います。毎日コツコツ誰からも言われずにできることが、そのまま仕事になったりします。私なんか友達も少なく、親からも「あんたの将来が不安だ」と言われることもありましたが、好きなことに真摯に向き合うと、なんとかなるものです。

長くなりましたが、プロフィールに書いてる架空の航空会社というのは、このような経緯で作っていたものです。なんだか小っ恥ずかしいですが、これで怪訝な顔をされないで済みますように。


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