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本との出会いについての葛藤と、成長欲求とどう付き合っていくか。

※この記事は前回の投稿の続きですが、あんまり関連はありません。

本との出会い方について、時々考えます。

「系統立てて読書をした方がいい」と作家のFさんもどこかで仰ってたけど、どうにもそれができなくて、手を伸ばすまま本を選び、読んできました。

唐突に村上春樹やカズオイシグロばっかり読んだり、伊藤計劃のハーモニーにドハマりしてからSFの名著を読みまくったり、はたまたゼミの活動で使えそうな新書を片っ端から読んでみたり…

それはそれで楽しい。楽しいのだけど、果たして


このままだと、自分の好きな界隈/レベルの読書しかできないのか?


それとも偶然の出会いに任せていれば、自然と読書の幅も広がっていくものなのか?


どちらなのでしょう。


といいつつ、いつも「前者だよなあ…」と思っています。理由は2つ。

1つに、自分の好みや直観に従い続ければ、最近よく言われるフィルターバブルと同じ現象が起きる気がするから。興味の幅は広い方だと自覚してますが、前に読んだ本に触発されて次の本を選んでいけば、ストライクゾーンから大きく離れることはないに違いないと思っています。

知り合いにお勧めしてもらっても、相手が好きそうで読めそうなものをチョイスしてもらうことがほとんどでしょう。実際私もそうすることが多い。


もう1つに、人間は楽に楽に流れる生き物だということ。多分意識的に全然違うジャンルに接することはできても、それを読み続けるのには労力が要ります。いわゆる「難しい本」なら尚更。

そこで「読んでみて合わないな、と思ったら読むのやめちゃいましょう!」的な主張に出会ったらもうダメ。


でも、本や漫画にはやたらいろんなジャンルがあるし、やたらいろんなレベルに合わせてある。だから自分の楽しい、フィーリングに合うところででも一生遊んでられる。


それで満足できないのはなんでだろう。


しばらく向き合ってこなかったけど、それは明白です。


自分に強烈な成長欲求があるから。


「この本は私は分からないです。と言いたくない」

「どんな本でも、共感できなくていいからその価値を分かるようになりたい。」

「そんでできれば専門性を持ちたい!広く!数か所で深く!!」


うん、ただの欲張りですね。


こういう欲求ってあればいいもんでもなくて、現状との乖離があまりにも大きいと動き出せなくなってしまう。現に私は楽しく本を読んでるはずが、どこか後ろめたくなってしまう。他人と比べたりなんかしてしまう。
(だから成長欲求とかたいそうなものではなくて、他人より優れていたいという焦りなのかもしれない。)


ただ、結局上手くこういう欲求と付き合っていくしかないな、というのが仮置きの結論です。

尊敬するブロガーのちきりんさんは、「早めに自分の人生を諦めてしまった方が楽」と仰ってて、すごくすごくそうなんだろうなあと思うんだけど、自分は何者でもないのだと思うには、まだちょっと私はあきらめが悪い。

自分のキャパシティと、この先の不確定の人生に、恐る恐る過信していたい。
学生の間くらいは。


だから今のところは、小さなステップを用意して、毎日踏んでいくことで自分を宥めておこうと思います。
理想までに何万段必要なのか、とか、つーかほんとに理想に続いてんのか、とかは横に置いておいて。
もしかしたら思いもよらない面白いところに繋がってるかもよ?なんて囁きかけて。


というわけで今日も、
興味ある分野でちょっと難しそうな本と(末吉 宏臣さんのおすすめ「エセー」を)
全然興味なかった分野だけど読めそうな本(「ゲーテとの対話」を)
手元に置いて、ちょろっとぱらぱらめくってみたりするのでした。



それじゃあ、また。



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