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自分が見ている世界と、誰かへの優しさを疑う|『流浪の月』読書感想文(ネタバレなし)

『事実と真実は違う』
何度も語られるそのテーマに、私は自分のことが信じられなくなる。


序盤を読んでいて、自分がいかに幸せ者で、知らない世界のことは何も見ていないんだということを思い知らされ、つらかった。
物語の中で紐解かれていく、人の痛み、絶望、やるせなさ。自分が経験してきたものとはあまりにかけ離れた彼女の人生に、胸を痛める。けれど。
「これは自分が生きている世界とは別の話だ」と思うことで、私は胸を痛めるフリをして、つらさから逃れようとしているだけ。
途中からそう気づいたとき、どうしようもない無力感に襲われた。

この物語は決して空想の世界ではない。実際にある。私が知らないだけで、すぐそこに。もしかしたら、身近な人にも。
自分が見ているものは事実の一部、ほんの少しだ。真実は、本人しか知らない。『流浪の月』でふみ更紗さらさがそうだったように。


 白く味気ない廊下を歩きながら、目に見えなくて、どこにあるかもわからなくて、自分でもどうしようもない場所についた傷の治し方を考えた。まったく痛まない日もあれば、うずくまりたいほど痛い日もある。痛みに振り回されて、うまくいっていたことまで駄目になる。
 唯一の救いは、そんな人は結構いるということだ。口にも態度にも出さないだけで、吹きさらしのまま雨も風も日照りも身に受けて、それでもまだしばらくは大丈夫だろうと、確証もなくぼんやりと自分を励まして生きている、そんな人があちこちにひそんでいると思う。

『流浪の月』


自分が今まで他人にかけてきた言葉や、接してきた態度は「優しかった」のだろうか、と考えてみる。

自分から見えている世界がすべてじゃない。誰しも何かを抱えて、必死に隠して生きていて、それを他人が理解することはできない。だから悪気なく傷をつけたり、蓋を開けてしまったりする。
そう思うと、他人に言葉をかけること、接することが怖くなる。いっそ何も話さず、見えないように目をそらし、誰にもかかわらずに生きたほうが楽なのでは、とすら思う。

でも私は、他人の言葉で傷ついたのと同じくらい、救われた経験がある。接してもらった態度に、もやもやしたこともあるけど、泣くほどうれしかったこともある。
人とかかわることでしか生まれない喜びがあって、それはお互いさまなのだと思いたい。

他人には理解できない何かがそこにあることを、知らないフリはしたくない。
そう思うことは、誰かへの「優しさ」になるだろうか。



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