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5年間のフリーランス活動を振り返る

2020年8月でフリーランスになって5年が過ぎ、6年目に突入した。この間、いろいろあったと言えばあったような気もするが、基本的には順調に仕事も増え、安定した生活を送れるようになった。

5年というちょうど区切りがいいタイミングなので、フリーランスになってから今までの期間を少し振り返ってみようと思う。

1年目:Uターンとバイト生活

フリーランス活動をスタートするため福岡にUターンしたものの、すぐに食っていけるだけ稼げるわけもなく、ランサーズで月数千円の報酬を得るのがやっとの状態。当然バイトを掛け持ちしながらの生活だった。

引っ越しの手伝い、量販店の真夜中の棚卸支援、イベント設営などいわゆる日雇い肉体労働系バイトをあれこれやって食いつなぎ、長期バイトでソ〇トバ〇クのコールセンターのオペレーターもやった。

何せあの悪名高き(?)ソフ〇バン〇だけに、コール内容のほとんどがクレーム。電話に出るなり「どんだけ待たせるんじゃボケ!殺すぞ!!」と言われることは日常茶飯事で、バイトという気楽な身分だったからいいものの、社員なら絶対メンタル死ぬわと思ってた日々。今風に言えば「底辺」かもしれないけど、この時はいろいろ必死だった。

9か月過ぎたくらいからバイトなしでもなんとか生活できるようになったので、フリーランス活動に専念。こうやって1年目を乗り切った。

人間、生きていくだけならどうにでもなる。仕事だって選ばなければ何とでもなる。

結果、1年目で「生きていくこと」に対する不安は消えた。

2年目:限界まで働いたらどうなるのか!?

専業フリーランスとして限界まで働いたらいくら稼げるんだろう?

ふと浮かんだ疑問を自分で証明するために、1年間ほぼ休みなしで毎日朝から夜中まで仕事した2年目。文字通りセルフブラック。体を壊すまで働くことで自分の限界を知るという目的もあった。今考えるとアホだと思う。

学生時代、酒飲みの先輩に「酒はつぶれるまで飲んではじめて自分の限界が分かるんだ。さあ飲め」と言われたのが影響しているのかもしれない。

打診された案件はほぼ断ることなく受けた。自分の知らない分野、仮想通貨とかプログラミング言語とかのライティングも依頼があれば手を挙げてやってみた。

クオリティが低くてクライアントに迷惑かけたことももちろんあった。けれど、何でもやってみないとわからないからとにかく必死に調べて書いた。

カメラを買ったのもこの年。写ルンですしか使ったことの無いド素人がデジタル一眼必須の仕事にダメもとで応募して、当選して、そこから必死でカメラスキルを磨いた。

結果、体を壊さなかった。あんだけ働いたのに。ブラックなのに。稼ぎはいまいちだったけどね。

とりあえず、2年目で自分の気力と体力に自信を持った。この気力体力があれば、フリーランスとしての将来は明るいと確信した。

3年目:各地を飛び回る講師になる

やることなすこと順調で怖いくらいの3年目。

フリーランスとしての実績も積みあがり、ランサーズから声をかけていただき「講師」として各地に出向きセミナーを行う仕事も担当できるようになった。

この年だけで4地区全20回のセミナーを実施。各地に知り合いも増えた。

ライターとしての仕事も増え、特に取材・インタビューが激増した。これは社会人時代の営業経験が生きているのだと思う。相手を乗せて口を開かせるのは営業の一番大事な仕事だ。

ただ、ブラックさは相変わらず。基本、仕事は断らないをモットーにガンガン書いた。書くことで知識が広がる。書き方のバリエーションも増える。

自分に向いているジャンルとは?なんて考える事もなくひたすら書きまくった。

そして3年目で悟った。調べれば大体のことは書ける。記事にできる。クライアントが求めているのは文章のクオリティだけない。即レスとマルチな対応力も大事だ。

もう自分に不安は無かった。女心を知ること以外。

4年目:わがままになる

4年目から少しわがままになった。仕事を選ぶようになったのだ。

単価が合わないと思う仕事は断り始めた。既存のクライアントに対して堂々と単価交渉もした。そろそろブラックから卒業しなければという思いもあった。

そして何社かのクライアントが消えた。その代わり大型のクライアントが増えた。案件単価が一気に上昇し、脱ブラックも達成できた。安心して夜寝れるようになった。人間らしい生活を取り戻すことに成功したのだ。

この年、トータルの報酬もかなり上がった。自分ひとりで生活していく分には何ら不自由のない、一人前のフリーランスとなった。趣味やボランティアに費やす時間も確保できたし、地域に貢献する団体を支援する心の余裕もできた。

4年目でようやく「自分らしい働き方」を実践できたのだ。

5年目:営業時代を思い出せ!

ライターとカメラマンと講師とコミュニティマネージャーとコンサルタント。肩書が増えた結果、フリーランスとしてのセルフブランディングが難しくなってきた。

もちろんそれはいいことなんだけど、初対面の相手に自分を説明することが難しいと感じるようなってきた。「あれもできますこれもできます」状態では相手の意識に残らない。事業を整理する必要があった。

一方で、若かりし営業時代は毎日感じていた数字のプレッシャーをフリーランスでも感じてみたくなった。なぜ今更こんな考えに至ったのかは自分でも不明だ。隣の芝は青い状態なのかもしれない。とにかく年間の売上目標を大々的に掲げ、どうすれば達成できるかを毎日考えた。

営業戦略の立案。言葉にすると簡単だが、その背景にはマーケティングやブランディングなど様々な要素が複雑に絡み合う。

結果、法人化に落ち着いた。フリーランスライターという看板だけ残し、残りは法人の業務として進める。初心に戻った+αの状態だ。

なお、5年目の売上目標については無事達成した。営業スキル健在を証明できた。もう何があっても大丈夫。

そして6年目、法人を設立した。


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