見出し画像

2023年の三陸沖を訪れた。

機会があって三陸沖の津波被害のあった土地を
はじめて訪れました。

2011年の東日本大震災から12年でしょうか。

今更ということもあるかもしれませんが
そこで復興に尽力してきた方々に
「今更」なんていうことはないのだな
とも感じられたので訪問だったので
その地で感じたことを書いてみようと思います。


◼️震災遺構で観た津波のリアル

たろう観光ホテルという震災遺構を訪れました。

たろう観光ホテル1階

宮古市の田老という地域にあるホテルで
津波の被害を真っ向から受けているものの
建物の中に入れるほど
今も上層階はしっかりと残っているホテルです。

このホテル跡地の最上階で
オーナーが津波発生時に撮影していた映像を
観せていただきました。

一部はメディアでも公開されているそうで
見覚えのある映像
聴き覚えるのある声もありましたが
全編はここでのみ観られるとのこと。

私は被災時ディズニーシーにいて
園内に園内に一泊したのですが
通信もほぼ無効になる中で
夜にやっと建物内に入れた際に
そこで津波の映像が流れているのを目にしました。

その時にも「これが日本で」
という衝撃を受けた記憶がありますが
やはり被災した映像のその場所で
同じ景色を眺めながら観る映像というのは
リアリティが全く異なるものでした。

そもそも津波ってどうやってくるのか?
ということすらも曖昧な状態でしたが
いわゆる「波」が高くやってくるのは波浪なのですね。

津波は海面自体が上昇し
波というよりは海自体が街を飲み込むような
そんな光景がホテルの6階からの映像では
よくわかりました。

6階から観た海と修復された防波堤

ホテルにも波は届いており
一瞬映像が乱れたのちには
ホテル4階まで水浸し。

他にもいくつか
地元の方が撮られた映像がありましたが
残っている映像はどれも助かった方々のものでしょう。

3階から上は壁も残ったまま

◼️生き延びた人の持つ使命感

観光ホテルも含めた田老地域の震災跡地案内は
ツアーとして組まれており
道の駅の観光案内所からスタートして
1時間程度の内容となっています。

今回案内してくださった方は
津波被害から1年後
この経験を伝えなければという使命感を持って
防災師の資格も取られて
今の職に就いたと話されていました。

その土地で暮らしていて
近隣の方が多く亡くなった中で
それでも自分自身がやらなければという使命を持って
未来に向けて行動を続けているということに
胸が詰まる思いがしました。

とても明るく気さくで
辛かったであろうことも
その空気感の中でお話してくださったのですが

10年以上が経って
こうして足を運んでくれることが嬉しい
と言ってくださったのがとても印象的です。

宮古市の中でも田老は本当に小さい地域で
今回もこちらの震災遺構以外には
特に観光に訪れるような土地ではないというのが
正直な印象です。

初めは注目されたかもしれませんが
だんだんと人の訪れが少なくなることに
活動のもどかしさを感じ
忘れられていく切なさを感じるのではないか

そんなことを想像すると
今回訪れることができてよかったと感じました。

ただ、田老地域というのは昔から津波被害が多く
「津波対策をされたまちづくり」で
海外の研究者等も訪れる地域ということで
小さいながら可能性を秘めた地域だとも感じました。

◼️被災した方それぞれの想い

陸前高田市の復興記念公園を訪れました。

こちらのTSUNAMIメモリアルという施設では
とてもわかりやすく
ビジュアルとしても美しく
津波のメカニズムが解説されており
非常に勉強になりました。

メモリアル前

津波跡から見つかったものからは
人々の暮らしがそこにあったこと
津波の威力が凄まじかったこと
も感じることができました。

泥が詰まった楽器や顕微鏡
被災した消防団の車

展示の一つに
津波発生から被災者捜索や支援にあたるまでの
緊急対応にあたった方々の
取材記録がまとめられていました。

外からの支援を可能にするために
急ぎ道路を開通させるために動いた方々

どこからの命をうけるわけでもなく
地元の道の瓦礫を撤去しに動いた方々

その中でも印象的であったのが
土木系の事業を営んでいる方のお話で

道が瓦礫だらけでどうしようもない
津波警戒がまだ解かれていない恐怖
その中でも今ここで瓦礫撤去できるのは自分達だけだ
みんな家族がいる中で命の補償が出来ない作業
想いに賛同してくれる人を募っての作業になった

知らない人から見ればただの瓦礫でも
そこに暮らした人にとっては
とても大切な思い出や形見の可能性がある
できる限りその声に耳を傾けながら
丁寧に撤去作業を進めていった

そんな内容でした。

植え直された防風林
震災遺構のホステルと一本松

田老地域で話を聞いていた際に
生まれて間もない赤ちゃんが津波の被害に遭い
お父さんがそこにいた方に
瓦礫撤去をすぐにして欲しいとお願いしたところ
ここの家の方の許可が必要になると言われた
といった話がありました。

撤去しなかったことを非情だと思う一方
その家の方には感謝されたかもしれない。

何かあった時の責任問題
その家で暮らした人の思い
今目の前にいる人の思い
動けないことの苦しさ

全てが正常ではなくなった状況の中で
どのような行動が正解かは誰にもわからず

ルールの中でも自分の意志で
難しい判断を迫られる場が
いくつもあったことが想像できます。

国など機関の規模が大きくなればなるほど
ルールに従わざるを得ないことも想像に難くなく

そのような中で
地域の方々が自身が被災者でありながらも
地域のために動ける状況というのは
とても地域復興の一歩として
大きなものであったのだろうと感じました。

田老地域では津波警報があった際に
中学生が日々の訓練を活かして
率先して声を掛け合ったり
ご老人や保育園の子どもたちの避難を手伝ったそうです。

田老地域の防波堤

その話を聞くだけで涙が滲んできますが
システマティックな支援が重要でありつつも
地域の人の顔を思い浮かべられる距離感での
細やかな思いやりをサポートというのは
救いになるところが大きかったのではないか
と諸々の情報から感じられました。

◼️「津波てんでんこ」の難しさ

津波が多い地域では
大切な人のことを思って戻ってしまうような
一瞬の判断が命取りになるということで

とにかく自分だけが助かることを考えて逃げる
「津波てんでんこ」
ということを幼い頃から教えられるそうです。

実際に小学校に子供を迎えに行って
帰り道で津波に巻き込まれてしまった親子

沖に出た息子を見守っていて
逃げ遅れてしまったお父さん

そんな話もいくつか聞いています。

きっとみんなわかってはいるのでしょう。
しかしながら特に親が子を想う時に
この「津波てんでんこ」がいかに難しいか。

私には子供はいませんが
子供を持っている友人知人は
子供は自分の命よりも大切だと言います。

そのような存在がいるのであれば
例え自分の命に変えてでも助けたい
最期の時になるのであれば
最後に一眼でも会って一緒にいたい

そう想ってしまうものなのではないか
と思わずにはいられません。

戻らなければ助かった
というのは結果論でしかなく
自分と大切な人の最期の選択を迫られた時に
何を選ぶのが幸せなのか
ということを考えずにはいられませんでした。

◼️被災地の今に感じる課題

気仙沼あたりの港近くで
新鮮なお魚の朝食をいただきました。

みしおね横丁
朝は奥の鶴亀さんがやってます

元気の良いフレンドリーなおじちゃんが
色々と案内をしてくれたのですが
店員さんだと想っていたそのかたは
ただのボランティアなのだとか。

たしかに朝からビール飲んでたけど。笑

朝食を食べたエリアは
外の地域から来た方が多いらしく
朝は盛況で回らないのでお手伝いしているのだとか。

カツオうまー

この地域でも被災した高校を
震災遺構として残して観られるようにしているようで
このボランティアのおじちゃんも
その立ち上げに携わったそうです。

陸前高田のメモリアルは
とても規模も大きく
メモリアル内の展示をとっても
街の景観をとっても
としても整備された美しいものでした。

一方で田老地域は宮古市の一部で
復興時に防波堤を含めた景観を
海外のチームと考えたこともあったそうですが
財政的な厳しさもあり実現には至らなかったとか。

ある程度綺麗で規模も大きく
展示もしっかりしていれば
やはり人は集まりやすく
その分財政も安定していく

逆にお金がないとその整備も最低限で
人もなかなか集まらない

そんな差が悲しくも見えてしまいます。

この辺りは津波被害ということに限らず
地方の課題に近いところもあるのかもしれませんが
特に東北は拠点ごとの移動も
車で山を越えなければいけないようなところも多く
なかなか明確な目的地でない限り
訪れる機会がなさそうなところが多い
という印象です。

10年以上の月日が過ぎた今
知る側の興味をこれまで以上に煽る
ということは段々と難しくなるのではないか
と考えると
訪れた人を次の土地へ繋げる
地域の連携みたいなものが必要なのかな
とふわふわと考えたりした旅でした。

◼️訪れる大切さと学び

田老地域での津波被害が甚大化した理由は
人々の慣れと驕りが大きかった
と話されていました。

危機感を忘れてはいけない
思考停止せずにその場の状況を
一人ひとりが考えて行動しなければいけない

そういったマインド的なものを
経験していない人に伝えていくことって
とても難しいことだと思います。

私はIT業界で働いていますが
仕事でも同じようなことってあります。

ちょっとした違和感を覚えて
まあ大丈夫だろうと考えることをしなかった時に限って
それが原因で炎上します。

そういうのってやっぱり
経験して初めて覚えるんですよね。

ただシステムならまだ取り返しはつきますが
津波で命を落としてしまってからでは遅い。

だからこそ
その土地で経験者の声を聞き
目に見えている景色で当時を想像する
ということが大切になってくるのだろう
と感じました。

これだけリモートで色々できる世の中でも
現地に赴きその土地の「風を感じる」ことは
変わらず大切にされています。

実際にその空間に立つということで
見えてくるものは確実にあるのだと思います。

直近2年ほど海外で生活をする予定です。

私が生まれ育った土地は海がなく
震災を経ても尚
津波というものはテレビの向こうの世界のもので
どこか他人事のように感じていたのが
正直なところです。

今回それを少しだけリアルに感じ
「次の拠点って津波とかあるのかな?」
とふと思いました。

まだ任地が決まっていませんが
新たな土地で生活を営むにあたって
例えば「津波てんでんこ」のように
その土地だから知っていること
知らなければ命に危険が及ぶこと
そんなことにも目を向けなければいけないな
と感じました。

特に外国なので
どんな災害があるのかもそうですが
その時どの程度国や地域が助けてくれるのか
といったことも
日本で暮らすのとは異なっていることでしょう。

また、震災の時には
海外からも支援に駆けつけてくださった方々もいる
外に出る時には日本人として
そういった事実も知っておくべきだな
とも感じました。

そんなことにも
気がづかせてくれる良い機会になりました。

今回は東北出身の方の案内があって
青森から宮城まで南下しながら
被災地も訪れるような旅行でしたが

東北の美しい自然と美味しい海鮮を楽しみつつ
貴重な体験ができてとても良い旅になりました。

復興記念の花火
バスツアーもあるようでした

以上です。
ありがとうございました。

この記事が参加している募集

最近の学び

みんなの防災ガイド

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?