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一匹の妖怪が頭の中を歩き回っている。恋愛という妖怪が。

こんにちは、カオマンガイコダイラです。

「恋愛(恋愛関係が成立する以前=片思いの時の気持ち)」に苦しめられた人(または苦しめられている人)はとても多いと思います。
苦しんだ結果うまくいけばよいのですが、苦しんだ結果、今も苦しんだままという人も結構いるのではないでしょうか。私もその一人です。
この恋愛という名の妖怪の倒し方について、思い浮かんだことがあったので、メモがわりにここに書き残しておきます。

恋愛の「所有」

まず、一番単純な(そして一番難しい)倒し方についてです。
哲学者である高田明典は著書「『私』のための現代思想」の中で、ある事物や制度の束縛から逃れる方法について、こう述べています。

私たちが「Aという事物や制度の束縛」から逃れる方法は一つしかありません。それは「Aの所有者となる」ことです。たとえば、「金銭の束縛から逃れる」唯一の方法は、「金銭を所有する」ことです。
高田明典「『私』のための現代思想」

これを恋愛に当てはめると、「恋愛という事物の束縛」から逃れるためには、「恋愛の所有者」となるほかない、ということになります。
では、「所有する」とはどういうことか。高田はこう述べます。

ここまで「所有」という言葉を使ってきましたが、この場合の「所有」とは、権限をもつことと同義です。
高田明典「『私』のための現代思想」

つまり、「恋愛を所有する」とは、「恋愛をどうにかする権限を持つ」ということです。言い換えると、「恋愛を成就させ、恋した相手と合意する」ことが必要になります。こうすることによって、恋愛をどうにかする権限が持てると私は考えます。

恋愛が難しいのは、「恋愛をどうにかする権限」が自分の側に半分しかないことです。自分の側には「告白する権限」や「好きでありつづける権限」しかなく、「楽しむ権限」や「関係をさらに深める権限」は相手の側に(半分)ゆだねられており、そのままではどうしようもありません(逆に言うと、好きでもない相手から好かれた場合にも相手の権限はどうしようもできないので、「恋愛の束縛」が生じる隙を与えてしまいます)。

ですから、この権限を得るためには、相手の合意を取り付けるしかない(もしくは相手を受け入れるしかない)。合意が得られれば、(お互いの合意の上で)恋愛をどうにかする権限を手に入れたことになります。

これが、「恋愛を所有する」ということです。あくまで恋愛を所有するのであって、「相手を所有する」のではありません(それは多くの場合犯罪です)。
ひとたび恋愛を所有してしまえば、恋愛(片思い)の束縛から解放され、恋愛そのものに苦しめられることはなくなり、さらなる契約関係(例えば結婚とか)へ進む権限も与えられます。

ただし、常に恋愛関係になる=恋愛を所有するではありません。恋愛関係になったあと、相手と合わないとか、嫌いになったとか、別の苦しみが生じてくるかもしれません。その時は、「別れる」という権限を用いることで、恋愛の束縛から逃れることができます。その権限を用いることができないということは、「恋愛を所有できていない」ということです。

……そんなこと言ったって、恋愛を成就させるのは難しい。恋愛は成就しないから苦しむんじゃねーか、と言われたら、確かにそうなのですとしか言えません。
それでは、成就しない場合はどうしたらいいのでしょうか?

むじな

ひとつの方法は、自分の側にある「諦めるという権限」を用いることです。「恋愛の束縛」自体が消滅しますが、これは恋愛を成就させるのと同じくらい非常に難しい方法です。時間も必要になります。

では、別な方法はないのか。
ここで、日本思想史家・先崎彰容の言葉がヒントになりました。

時代を論じても、さして意味はないようにも見えるが、化け物はその正体を「名指し」すると、ドロンと煙を吐いて逃げていく。本書が化け物の正体を暴いたとはいわないが、そうしようと試みたことだけは事実です。
先崎彰容「バッシング論」

これは先崎の著書からの引用なのですが、彼が先日テレビに出演していた時、この化け物とは「むじな(という妖怪)」のことだと言っていました。むじなは正体を言い当てられると逃げていく。同じように、「恐怖」や「不安」の正体を言葉を用いて言い当て、皆を襲う心理を雲散霧消させるのが人文系研究者の役目なのだと。

この「化け物=むじな」、「恋愛」という言葉で置き換えても成立しないでしょうか?

私には、恋愛というものもその正体を言葉で名指しすれば、ドロンと煙を吐いて逃げていくような気がします。逃げていくのをみて、私たちは「なあんだ、こんなものだったのか」とつぶやく。

つまり「恋愛という妖怪」の正体を探り、雲散霧消させてしまいましょうという方法です。
では恋愛の正体とはなにか?それは人を恋するようになることの裏側にあるメカニズムなのではないでしょうか。単に「動物の本能だから」ということを超えた「なにか」、「必ずしも子どもを産みたいわけではないのに、なぜ人は恋するのか」といってもよいと思います。

これをつかんだとき、むじなのごとく「恋愛による束縛」そのものが消えてしまうと思います。
ただ、残念ながら、私には「恋愛という妖怪の正体」がいまだにわかっていません(うまく言い表せません)。こんな文章を書いておいてなんなんだよ、と思われるかもしれませんが、本当に分からないのです。今のところは。

認識論的切断

しかし、フランスの哲学者・アルチュセールが「認識論的切断」と呼んだ「人間の思考が突然進化する瞬間」が、恋愛という分野においてもやってくるかもしれません。
ある日突然、思考が進化して恋愛の正体がつかめるかもしれない。その時、はじめて私は恋愛という妖怪の束縛から逃れることができるのだと思います。そのためには、必ず認識論的切断に至るとは言えませんが、そうであっても恋愛について不断に考えることが必要です。

なので私は、恋愛という妖怪に頭の中を好き勝手に歩き回らせようと思います。その正体がわかる日まで。

#散文 #恋愛 #高田明典 #先崎彰容 #アルチュセール #妖怪

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