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俺とお前はひとつ(2023年1月7日の日記)

遮ってくれないか……と思っています。


いや、こういう話題見るたび、その通りなのはわかるんですけど……正直、この人話遮ってくるな……って思ったことないな……気にしたことないな……みんなそんなに気にしてるのか……こわ……と思う。

と同時に、別に最後まで待たなくていいですよ……と思ってしまう。

なぜなら!私は「最後まで話すのが苦手」という人間だからである!!

最後まで聞くこと、無意識の人ならいいけど、意識的に努めてやってる人は私と話すと間違いなくイラつくんだろうな、と思う。

まぁ例えばなんですけど、「これだとちょっと……」で言葉を止めてしまうので、「あ~~やっぱり難しいですかねぇ?」とか反応してくれたほうがありがたいんですよね。その段階で。

違ったら「いや、難しいってよりはちょっと足りなくて、同じのもう1個……」とか言うから。それは全然苦にならない。ふわふわと短めの往復をしたい。

いや、わかってんのよ。しっかり文章でしゃべれている人、かっけぇなって思ってますもん。できればそうなりたいですよ。

なんでこんなに言い切るの苦手なんだろうな。しゃべってる自分と考えてる自分が違う感じはする……事前に言うべきことを考えていても、その通りに言えない。考えてから喋れと言われましても、やってるんですよこちとら。

昔、人の相談にのるバイトしてたことがあって、そのときはけっこう普通に長尺でしゃべれていた。完全アドリブで、今来たものに打ち返せ、なら、しゃべる自分だけが運営しているのでなんとかなる。

前もって言いたいことがあって、それを言わないといけない場面が苦手だ。考えているほうの自分がちゃんと原稿を用意しているのに、しゃべっているほうの自分が、言い回しの修正をしようとしたり、主張に迷い始めたりする。結果、事前に考えているほうの自分が途中で負けてフリーズする。そういう感じ。共同作業になるとしゃべる自分が足を引っ張り始める。

たまに家で誰もいないときに、しゃべっているほうの自分を自由にさせてやることがあるんですけど、そうするとけっこう普段考えてないことをしゃべり始めたりするんですよね。考えている自分がわかっていると思っていることでも、しゃべる自分に話させるとそうか!と気づきがあったりするので、受験生のときとかはよくやっていた。

考えている自分と物を書いている自分は同一なんだけどな。今年の目標を、言い切れる人間になる、にしようかな。つまりは自我の同一性を手に入れる、ということですね。僕は正気だぞ。


今日はここまで。ありがとうございました。



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