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えらいはどこからやってくるのでしょう(2023年4月12日の日記)

チャットGPTとかAI絵とかの話題を見るにつけ思うのですが……

「えらさ」って何なんでしょうね。


1人でアニメを見つめてるだけだったら全然関係ないんだけど、何かしらの方法でオタク・ソサエティの一員になってしまうと、やはりそこに自分より「ものすごいオタク」みたいな人がいるという事実と向き合うことになるわけじゃないですか。向き合ってどう対処するかは別として。

それは例えば、めちゃウマな絵が描けるとか、面白いお話が書けるとか、キラリと光る感想を述べられるとか、めちゃくちゃ金をかけているとか、めちゃくちゃ手間や時間をかけているとか。そういう能力が他より抜きん出ている人というのは間違いなく存在する。

それに対して、すごいねと褒めるとか羨むとか、ケッと貶すとか、いやいやオタク皆平等で関係ないよ、と言うとか、それぞれ何かしらの方法で折り合いをつけているわけで。

そういう時に思い出すのが、小学校とかの「表彰」なんですよね。

あれって、絵や作文が上手い子や、スポーツができる子、皆勤の子、虫歯がない子なんかがもらえる。つまり、そういう能力が抜きん出ている子がもらえるということで。

料理が上手い子、とても人望がある子、身体が柔らかい子、ゲームが上手い子、声が大きい子、などはもらえないわけですよ。抜きん出てはいるのに。「えらいね」と讃えてもらえる機会が少ない。

ただそれは、小学校が「虫歯がない」を「えらい」とするコミュニティだからであって、小学校を出たら虫歯がないことだけで拍手してもらえるコミュニティってあんまり見つからないと思う。

今、オタク・ソサエティでは、絵を上手く描く、金を躊躇無く使う、などが「えらい」とされている(という気が私はする)。元々持っている抜きん出た部分が、このコミュニティの「えらい」ポイントと合致しているので自動的に「えらい」となっているということ。よそのコミュニティでは浪費家としてドン引かれてる可能性もある。

実際、なんだかんだ「えらくなりたい」と思って絵を上手く描いたり金を払ったりしているオタクよりは、黙っていても絵は上手いし金は払うというオタクの方が多いんじゃないかと思う。つまり、逆に言えば「ただただ絵を楽しく描いていただけだったのに勝手に"えらく"なってしまいだるい……」ということも起こりうる。

その辺の「えらさ」みたいなものは、抜きん出ている部分の突出具合が変化すると、何か変わるんだろうかということを最近考える。ある程度綺麗な絵を描けるツールができてみんなに行き渡ったとしたらその時、絵を上手く描けることは「別にえらくない」に変わるんだろうか。それとも「みんなできてみんなえらい」になるんだろうか。「よりこういう絵が描けたやつがえらい」みたいにえらさのポイントが動くのかな。

実際、Twitterなんかはかなりオタクの「えらさ」をシフトさせたんじゃないかと思うので、結局は技術革新が新しいえらさを連れてくるんだろうか。俺たちの価値観はかがくにおどらされている……


今日はここまで。ありがとうございました。


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