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アメリカの大学で日本語教師として活躍。培われた経験と知識を伝える

2024年4月に開設する国際日本学科に所属する(予定)教員にお話を伺う「先生インタビュー」。研究の内容はもちろん、先生の学生時代や趣味の話まで、幅広いお話を伺います。

第9回は、言語学が専門で、関西外大の留学生別科で日本語教員も務められている向井絵美講師です。


向井絵美講師プロフィール

向井 絵美(Mukai Emi)講師
九州大学文学部言語学専攻卒業。同大学大学院文学研究科言語学専攻博士課程前期修了(文学修士)。南カリフォルニア大学言語学部(University of Southern California, Dept. of Linguistics)修士・博士課程修了(Ph.D.取得)。南カリフォルニア大学在学中に、ティーチングアシスタントとして7年間日本語クラスを担当。その後、ウィリアムズ大学アジア研究学部、スタンフォード大学言語センターなどで日本語教師としてキャリアを重ね、2019年帰国。国立国語研究所 理論・対照研究領域 プロジェクト研究員、米国国務省日本語研修所教官(日本語全般担当)を歴任し、2022年9月に関西外国語大学へ。外国学部講師を経て、2024年4月より外国語学部国際日本学科学講師に就任。

日本語教師をめざし、大学では言語学の道へ

読書が好きで、英語に憧れ続けた少女時代

物心がついた頃から読書が大好きで、自宅にあった『世界文学全集』を手に取り、「赤毛のアン」や「若草物語」、「小公女」などの児童文学を読みあさっていたという向井先生。

その中で、自然と異国への憧れが育まれ、英語教育が始まる中学生になったときには、「絶対に英語をマスターする!」と意気込み、楽しみにしていた。しかし、実際に学び始めると、思わぬ壁にぶつかってしまう。


――何があったのでしょうか。

向井先生:英語が大好きなのに、思ったようには上手にならなかったんですよ。今思えば効果的な勉強ができていなかったんですけど…。でも、「英語がもっと上手になりたいのに、思うようにできない」というコンプレックスがずっとあって。


――そこで英語が嫌いになったとかではない?

向井先生:喋れるようになりたい憧れはずっとあって、英会話スクールにも通っていました。その英会話スクールのプログラムを利用して、高校の夏休みにイギリスでの短期留学も体験。現地でも、思ったように話せないことがもどかしかったですが、とにかく憧れだけはずっと持ち続けていました。

日本語教師をめざすきっかけ

高校生のときに、日本語教師が主人公になっているドラマを観たのが、その職業を知るきっかけとなった。

またイギリスに留学した際に、世界各国から英語を学びに来ている生徒たちから「日本語や日本のことについて教えてほしい」と頼まれた際に、上手く伝えることができなかったことも、日本語教師を意識する大きな要因となる。


――日本語教師に対する漠然とした憧れが、どのタイミングで明確な目標に変わったのですか?

向井先生:大学進学の際には日本語教師になりたいなと思っていました。ただ、よく調べもせず「文学部に入れば日本語教育について学べる」と考えていたんですけど、そんなことはなくて…。


――大学では、文学部の言語学専攻に進まれています。

向井先生:「日本語教育を直接学べる学科がない」という事実に気がついた時、それならば、、国語国文学と言語学のどちらかに進めばいつかは日本語教育に行けるだろうかと、またよくわからないまま迷っていたんです。そんな時、言語学の先生から「将来日本語教育に携わりたいなら、言語学をやるべきだ」とアドバイスを受けたことが、言語学専攻に進むきっかけになりました。


――小さい頃から文学が好きだったということですが、言語学に進んで違和感はありませんでしたか?

向井先生:もともと英語も好きだったし、言語そのものへの興味はあったように思います。「日本語を教えたい」と、思っていたくらいですし。よくわからないまま言語学を学び始めましたが、実際にやってみると、すごく面白かったですね。


――具体的には、どういったところに惹かれました?

向井先生:母語である日本語は当たり前のように使っていますし、言葉ってぼんやりと存在しているものだと思っていましたが、「言葉を科学」するというか、数学を勉強するように構造的に言葉についてアプローチできるのが楽しく、こんな学問があるのか!と衝撃を受けました。

理論言語学の生成文法に取り組み、研究を深めていくなかで言語学の面白さにめざめ、卒業後は南カリフォルニア大学の大学院へ進みました。


※ 生成文法の詳細については、以下の山口先生、竹沢先生の記事をご参考にしてください。

アメリカの大学院で言語学を専攻。日本語教師としてのキャリアもスタート

南カリフォルニア大学に進学した頃は、日本語教育というより、言語学をさらに追究したいという気持ちが強く、恩師が在籍していた同大学の大学院に進む。

生成文法の本場がアメリカだったことも当地に赴いた理由のひとつだったが、「いつか留学をしたい」と思っていたことも動機となった。


――『世界文学全集』を読んでいた、幼少期の抱いた「異国への憧れ」が実現したわけですね。

向井先生:そうですね、この時にやっと。長年の夢がかないました。


――現地では生成文法の研究に取り組まれるとともに、ティーチング・アシスタント(TA)として現地学生を対象とした日本語教育にも関わられます。

向井先生:TA時代に日本語教師としてのキャリアがスタートするわけですが、その体験が「日本語教育をやりたい!」という以前からの目標に、再びめざめさせられるきっかけとなりました。

ティーチング・アシスタント(TA)とは
優秀な大学院学生に対し,教育的配慮の下に,学部学生等に対するチュータリング(助言)や実験,演習等の教育補助業務を行わせ,大学教育の充実と大学院学生のトレーニングの機会提供を図るとともに,これに対する手当ての支給により、大学院学生の処遇の改善の一助とすることを目的とした制度。

出典:文部科学省

TAとして日本語クラスを受け持つ

▲南カリフォルニア大学でTAとして教壇に立っていたときの一枚です

日本語教師として教壇に立つのはこの時が初めてで、日本語教授法について専門的な勉強をしてきた経験もなかった。

現場に出る前に、現地大学の日本語コースの担当教員(日本人)の方から徹底的に指導を受けるとともに、実践経験を通じて日本語教師としてのスキルを高めていくことなる。


――最初の頃は苦労されたのでは?

向井先生:当初は、担当教員の方が作成してくださった教案(=授業についての計画案)に基づいて授業を行いました。実際に教室にも足を運んでくださり、改善点などを丁寧にアドバイスいただき、手厚くサポートいただいたので、その点は恵まれていたと思います。


――南カルフォルニア大学では、修士のあと博士課程にも進まれましたが、その間TAはずっとされていたのですか?

向井先生:7年間、TAとして日本語クラスを担当しました。TAといっても専任教員のサポートではなく、一人で1つのクラスを1学期間任されていたので、大変でしたがやりがいも大きかったですね。その中で私自身も、日本語教育の基礎を実践的に学ぶことができ、日本語教師として貴重な経験になったと思います。

日本語を教えることの楽しさにめざめる

――研究活動と並行して日本語教師をされていたとのことですが、実際に教えてみてどうでした?

向井先生:すごく面白く、楽しかったです。「日本人なんだから日本語は教えられるでしょ」と思っている人が少なくないと思いますが、日本語を教えるためには日本語を深いレベルで理解していなければなりません。

その知識を単に学生に伝えるのではなく、「どういう風に教えたら一番伸びてくれるだろう」ということを常に考えながら指導します。仮説を立て、上手くいかなかったら何度も修正し、よりよい指導法を導き出していく。そうした構造的に方法論を考えるのが楽しく、自分に向いていると思いました。


――生成文法にハマったのも構造的に解き明かしていくところが面白いとおっしゃっていましたもんね。

向井先生:あとは、純粋に学生が成長し、喜ぶ姿を目の当たりにできるところが大きな喜びになっています。学期の最後にevaluationといって、授業の評価を学生が提出してくれるんですけど、毎回そこに寄せられる学生たちのコメントを楽しみにしていました。

もちろん、みんながいいことばかりを書いてくれるわけではありませんが、「こんなに日本語が伸びた!」と実感してくれている学生もたくさんいて、なんてやりがいのある仕事なんだと、evaluationを読むたびに実感しています。


――人の成長に関われる純粋な喜びもあるし、それをより良くするための方策を考える。そのこと自体も好きで向いているなと。

向井先生:その両方があったと思います。フィードバックがもらえるのがよかったですね。相手の喜びを感じることができるし、コメントを次の学期以降の指導に活かすという観点から、自身の成長にもつながりましたし。

英語が伸びなかったのは日本語を知らなかったから!?

――大学2年次に、「日本語教育を志すなら言語学に」と先生にアドバイスがあって専攻を決められましたが、言語学の知見は役立ちました?

向井先生:役立ちました。言語学者の間でよく言われるのは、「外国語を勉強するには、母語を知らなければならない」と。私が中学生のとき上達しなかったのは、今思えば日本語を知らなかったからだと思うんです。

母語だけではないと思うんですけど、言語の仕組みを知らずに、ぼやっとしたところに語学の勉強を重ねても効率が良くなくて、土台ができたところに重ねていくからこそ、どんどん上手になっていくんだっていう。ちょっと抽象的なお話ですけど…。


――その理論は、自分が外国語を学ぶときはもちろん、日本語学習者に言語を教えるときにも活かせる。

向井先生:おっしゃる通りです。指導するときに、「日本語のこの部分に引っかかってるけど、英語のこの構造に置き換えて考えるといいのに」とか、「英語も日本語も言語学として構造的に考えてないから、この学生はこの部分に詰まってるな」といったことがわかってくるので。

その観点から、やはり言語学と語学学習のつながりは深いと思います。私が大学生のときに、「日本語教育の道に進むなら、言語学を勉強した方がいい」とアドバイスをしてくださった先生はさすがだなと、改めて実感し、感謝しています。


――ご自身の英語学習の話も少しありましたが、言語学を学んで以降、英語の勉強にもいい影響がありましたか?

向井先生:それは絶対つながっていると思います。「急に伸びた!」という時期がありましたね。言語の構造的なことをわかっているからこそ、習ったことが理解が深まるというのはありました。ただ、本当にネイティブのように話せるようになるには、構造のことなどをその都度考えるのではなく、無意識にできるようになる必要があります。それを促進したのが、私の場合、子どもの頃から大好きだった読書です。


――どういった本を読まれたのでしょうか?

向井先生:はじめは、『赤毛のアン』など、子どもの頃に愛読していた小説の英語原作を読むことから始めました。何度も読んで内容もわかっている物語を、英語でも何度も読んで、オーディオブックでも聴いて。それを繰り返すことで、構造として理解していた英語が、すらすら入ってくるようになりました。

もちろん、研究論文もたくさん読みましたが、内容が専門的なので、英語力の向上には役立っていないと思います(笑)。

日本に帰国。そして、コロナ禍に

南カルフォルニア大学の博士課程を修了後、

  • ウィリアムズ大学アジア研究学部

  • スタンフォード大学言語センター

などで日本語教員としてキャリアを重ね、ビザの問題で2019年に帰国する。

1年後にアメリカに戻る予定だったが、この日本への渡航が、向井先生の運命を大きく変えることになる。


――新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響?

向井先生:はい。コロナ禍となった2020年3月にアメリカが入国禁止になり、ちょうどその頃にビザの書類の申請をしていて…。アメリカに戻ろうと思っていましたが、いつビザが発行できるようになるのか不透明な感じになって、しばらく身動きが取れない状態になっていました。

それでいよいよダメだ、日本で何か仕事を探す必要があるとなったときに見つかったのが、米国国務省日本語研修所での日本語教師の仕事でした。

大人に教える vs. 大学生に教える

米国国務省日本語研修所では、日本のアメリカ大使館・領事館に赴任してくる外交官に日本語を教える仕事を担当。

国の任務を背負って来日してくる方々に指導する機会を得て、教える内容などにも大学生とは違いがあり、日本語教師としての幅も広がったという。


――大学生との一番の違いはどういったところに感じましたか?

向井先生:外交官の方は仕事の一環として日本語の勉強に取り組みます。だから熱心ではないというわけではないのですが、両方経験してみて、「大学生の純粋な日本語への気持ち」が改めて実感することができました。その体験は自分の中で大きかったですね。


――その思いがあって、関西外大にやって来られた。

向井先生:そうですね。アメリカへの渡航が不透明になり、日本で仕事を探すとなったときに、日本語教師として「外国人留学生に日本語を指導できる」環境は魅力に感じました。

関西外大の留学生別科での指導

2022年9月に着任し、約1年半、関西外大の留学生別科で日本語を指導してきた向井先生に感想を伺ってみた。


――アメリカの大学で教えてきたときの違いなどは?

向井先生:日本語に興味があるから始めたという「きっかけ」の部分は同じだと思うんですけど、アメリカの大学生は勉強をし続けるモチベーションの維持が大変という側面があると思います。

実際、日本語が難しいなどの理由で、学期中に離脱する学生もいますが、関西外大に留学している学生たちは「日本に来られたことの喜び」「日本語をもっと上手くなりたいという気持ち」が強い人たちが多く、それがこちらにも伝わってくるのでやりがいも、より大きなものになっています。


――国際日本学科ではどういったことをご指導されるのですか?

向井先生:1年生を対象とした授業では、「国際日本基礎演習」を担当し、今後、日本語教員育成に関する科目も担当する予定です。

国際日本学科でも、英語のスキルアップは必須になりますが、英語学習の観点からも日本語の知識を広げるのはプラスに働くと思うので、双方の視点から学びを深めていってほしいですね。

日本語動詞のデータベースを作るプロジェクトに参加

研究に関しては、現在、日本語動詞のデータベースを作るプロジェクトに、大学時代の恩師や先輩・後輩を含む約20名の言語学研究者・日本語教師と共に取り組んでいる。

このプロジェクトは、「言語習得課程において、動詞を覚える際、私たちはその動詞の意味だけでなく、どんな助詞(が/を/に/と、など)と使える動詞か、何を表す名詞(動作を行う人を表す名詞、動作を受けるものを表す名詞など)と使う動詞かなどの構造情報全体を覚えている」という理論をベースにしており、データベースに収められる個々の動詞は、そのようなすべての動詞情報を明記したものになっている。

また、その日本語動詞それぞれの意味を英語で表し、その英語動詞の構造情報も同じく記述する。さらに、実際の日本語使用例と英語訳も見られるようになっているため、このデータベースが完成した際には、日本語を学ぶ英語話者にとっても、英語を学ぶ日本語話者にとっても、学びの助けとなる「辞書」の機能を果たすと期待されている。

【日本語動詞データベースのHP】

趣味はジョギングとフランス語

昔からスポーツ全般が好きで、現在の趣味はジョギング。

本格的に始めたのは2008年で、研究論文の作成や日本語教員の仕事の気晴らしに、健康面の配慮から走り始めたら、想像していた以上に気持ち良かったという。


向井先生:
大阪に来てからは、淀川の河川敷を走っています。毎週日曜の朝に集まるジョギングのグループに入っていて、今は月2回くらいのペースで参加。淀川沿いは景色がすばらしくて、最高のジョギングコースになっています。あとは、趣味としてフランス語の勉強にも取り組んでいます。


――独学でですか?

向井先生:週に1回、フランス語の学校に通っています。学生時代、第二言語がフランス語で、スタンフォード大学で働いていたときにも、同大のフランス語の先生(アメリカ人)と仲良くなって、その先生の授業に参加したりもしました。そのときは仕事が忙しくて、一か月くらいで離脱してしまいましたが(笑)。今は中級者レベルくらいのクラスを受けていますが、日常会話程度ならなんとか、という感じです。


――学生時代にフランス語に取り組んだときと違って、言語学の構造的な知識はここでも役立った?

向井先生:言語学の学問的な背景があるから、理解が深まっているのは実感しています。フランス語を学ぶのは、喋れるようになりたいというのはもちろんありますが、一番は知識欲で、言語学的な側面も含めて、言葉に対する知見を広げることに喜びを感じます。

ちなみに、英語のときといっしょでオーディオブックを原文で聴く学習法も実践しており、特にサン=テグジュペリの『星の王子さま』は何度も繰り返し聴いています。

さいごに

――最後に、関西外大に着任されて1年半ほど経ちますが、本学についての印象は?

向井先生:学内に留学生がたくさんおり、日本にいながら海外の大学のように国際交流が日常的に行うことができる、すばらしい環境だと日々感じています。


――国際交流が盛んなのは、関西外大の大きな魅力の一つになっています。

向井先生:外大生はもちろん、日本人学生と交流をしたいと思っている留学生も少なくありません。留学生別科では授業の中で外大生をゲストに迎える「guest day」を各教員が学期中に1回以上は実施して、留学生と外大生が自由に対話し、交流する機会を設けています。

留学制度が充実しているのも魅力ですが、上述したようにキャンパス内でも日常的に留学生や、英語を母語とするネイティブの先生たちとコミュニケーションを取ることができ、国内外で国際交流が盛んに実践されているのがすばらしいですね。


――そんな関西外大で学びたいと考えている高校生の皆さんに、メッセージをお願いします。

向井先生:英語が上手く話せないので留学生をはじめとする外国の方に話しかけにくいという人も少なからずいると思いますが、尻込みしないでコミュニケーションを取ってほしいです。

関西外大に入学すると、留学はもちろん、「グローバルコモンズ結」やキャンパス内でも国際交流は日常的に行えるので、そうしたチャンスを自分から探し、実践していってほしいですね。


【国際日本学科・特設サイト】

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