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LSDとサイトランス

早速だが、この音楽を聞いてほしい。

どう感じただろうか。おそらくほとんどの人が嫌悪感を示したのではないだろうか。しかしほんの一握りの人たちは、ここの音楽に美しさを見出したのではないだろうか。そしてこの美しさに気付いた人はおそらく、幻覚系のドラッグをやったことがある人だろう。そうでなければ、そういった類のものを楽しむ天性の才能がある人に違いない。

サイトランス

この種の音楽はサイケデリック・トランス、略してサイトランスと呼ばれている。文字通りサイケなトランスだ。トランス以外にも「サイ」の名のつく音楽はたくさん存在するが、どれも全てトリップした時に気持ちよく聞こえるようにデザインされている。気分によって聴きたい音楽が変わることは、誰にでも起こることだが、それはドラッグでも同じで、摂取しているドラッグによって好む音楽は大きく変わる。そのため特に西欧のアンダーグラウンドの音楽には、ドラッグが大きな影響を与えている。サイケな音楽もLSD文化ともに発展してきた。

トリップ中は、このようなサイケな音楽は脳内でのオーガズムのように気持ちよく聞こえるが、反対に体が全く受け付けられないほどに嫌悪感を示してしまう種の音楽もある。ヒップホップやポップミュージックはLSDとの相性が悪い。音楽的な激しさに欠くのでつまらないのと同時に、音が思考のスピードとリンクしていないのでイライラしてしまうからだ。

興味深い点として、LSDをやる前は、サイトランスの良さに全く気づけない。それどころか、うるさくて嫌う人がほとんどだ。しかし一度サイケデリックに挑戦すると、その素晴らしさに気付き、さらにドラッグの効果が消えた後もその音楽の良さが忘れられないのだ。サイケデリックに挑戦する前に、なぜこの音楽を嫌っていたかの感覚が全く思い出せない。まるで、好みが一瞬にして全く変わってしまったかのようである。

サイトランスの聞こえ方

トリップの感じ方は主観的に異なるので、音楽の聞こえ方も人によって違ってくるだろう。私の場合は、トリップの内容にぴったり合った音楽が流れてくると、この宇宙に私とその音楽しか存在しないような感覚に陥る。空気さへも存在しない、私と音楽だけの真空空間だ。まるで四次元の空間にいるように、音が四方八方から私を包み込んでくる。無重力の音の中に浮かんでいるようだ。この感覚をトリップの後に振り返ってみた時に、私がいつもふと思い出してしまうのは、ドラえもんが引き出しからタイムマシンでタイムトラベルするときの画だ。

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時計の代わりに音だと考えてみてほしい。摩訶不思議に歪んだ空間に存在する音の中を、自分が通り抜けていくような感覚だ。この空間に存在している間は、言葉にできないほどの多幸感に溢れていて、一生音楽が終わらないでほしいと願ってしまう。

そしてこの空間にいる時は、複雑で緻密に構成されたサイトランスの音一つ一つが、はっきりと全て聞き取れるのだ。音楽自体の速さは変わらないのに、音一つ一つはゆっくりくっきり聞き取れているようで、音楽的時間が歪んでいる。そして音が個別で聞こえているにもかかわらず、その音と音の繋がりが全て見えてくる。まさしく音が繋がり紡がれていく一瞬一瞬を、1コマたりとも聞き逃さずに捉えることができるのだ。この繋がりが見えた時に、サイトランスの美しさが私の頭の中で爆発する。もっともっとこの美しさを追求できないかと、さらに音楽の中に入り込んでいこうとする。そしてこの音の繋がりは音同士だけに限らず、自分の思考、視覚へと繋がっていき、音が見えるようになるのだ。

ただでさえ美しいサイトランスに宗教的音が加わったなら、それはもう他のどこでも経験できないほどの快感の波がやってくる。LSDでは、自分でも気付かない深層心理を見ることができ、それは今まであるとも知らなかった心理に気づくような感覚で、悟りを開くことに似ている。人によっては、この悟りを神の啓示と思う人もいるようで、LSDは宗教的経験を与えてくれる。なので宗教的な音楽は、トリップしながら聞くと、さらに美しく深遠なものに聞こえてくる。宗教的な音は神を象徴しているように聞こえ、まるで全知能の神が自分を包んでくれているような気がして、大きな安心感を得られるのだ。

私は、サイトランスに出会うまではそこまで音楽に興味をもたずに生きてきた。サイトランスが音楽観を変えてくれた。LSDをやっていなかったら、平凡な私では音楽の深さに気づくことはできなかっただろう。

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