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世界はまた美しいビーチを失った

祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。

『平家物語』第一巻「祇園精舎」より

鐘の声の代わりに小波の音
娑羅双樹ではなくココナッツの木
春いうよりは常夏の夢

ではあるが、私が一夏を過ごしたあの楽園は諸行無常、盛者必衰の理を痛いほどに教えてくれた。自分が愛した場所が目の前で壊されていくことほどに切ないことはあるだろうか。

カンボジアの楽園

私はカンボジア南部の小さな常夏の離島で暮らしていたことがある。誇張でもなんでもなく私の人生で最も美しい場所だった。自分の足元よりも何メートルも下にあるサンゴ礁がはっきり見えるほどに海は好きとおり、ビーチの砂浜は海の青さを引き立てるかのように真っ白だった。光ひとつない新月の夜になれば、視界一杯の海中のプランクトンと一緒に泳げる。ハンモックと簡素な椅子だけが置いてあるビーチ沿いに、木造のホステル兼レストラン兼バーが十数件あるだけだった。コンクリートの道路なんて存在しなくて、反対側のビーチに行くにはジャングルを通り抜けなければならなかった。「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」ではないけれども、「ジャングルを抜けるとそこは天国だった」と言いたくなるような、この世のものとは思えないほどに美しいビーチがあった。

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この島には、ほとんど電気は通っていないから冷蔵庫もWi-Fiもホットシャワーもエアコンもなかった。毎朝カンボジア本土から漁船で食糧やビールと一緒に氷が送られてきて、それをクーラーボックスで冷やしていた。島への定期便もなく、地元の漁師と交渉して島と本土の行き来をしなければならなかった。時間の概念なんてなくて、みんな朝日が昇り二日酔いから覚めた頃に起きてきて、どこかのレストランで朝ごはんを食べ、昼になればハンモックでゆっくり読書するか、海で泳ぐか、ジョイントを回すかをし、日が暮れ始めたらどこかのバーでパーティーが始まる、そんな毎日だった。靴も携帯も服すら必要ない、いや身に付けたくない、現代社会で忘れられた幸せに溢れた島だった。

この島の歴史は浅く、元々無人島だったところにクメール・ルージュの後に地元の人たちが住み着き始め、そのうちのほとんどが漁師として生計を立てている。その後あるリアリテイ番組がこの島を舞台にして撮影を行い、カンボジア以外にも知られるようになった。しかしそれでもこの島は大々的に知られていったわけではなく、私が住んでいた頃はホステルやレストランを所有する地元のカンボジア人と、そこで働きながら島で暮らすヒッピー達だけしかいなかった。地元のカンボジア人は、欧米人ヒッピーが島にお金をもたらしてくれているのを知っていたし、反対にヒッピーたちは元々は彼らの土地に住ませてもらっていることを理解していて、互いが互いを尊敬する関係性が築かれていた。それに加え、小さいコミュニティだったので、嫌な奴は村八分のようにコミュニティから自然と外されていくのだった。

この島は良くも悪くも無法地帯だった。警察も村長もいなかった。この島のあるビーチは警察がいないことを皮肉ってあえて「ポリスビーチ」と呼ばれていた。満月の夜になれば、ポリスビーチでフルムーンパーティーが開かれた。

この島はまさしく地上の楽園だった。一般社会で生きることを選ばなかったヒッピー達が長い旅の果てに見つけたユートピアだった。しかし、現実は非情で「ヒッピーたちはこの楽園で幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。」というわけにはいかなかった。

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失われし楽園

こんなに美しい楽園を、汚い大人達が放っておくわけがなかった。この美しさに価値を見出した大富豪達が開発を始めた。何ヶ月もしないうちにコンクリートの道路の舗装が始まり、バイクが上陸した。ベンチひとつなかったポリスビーチには鉄筋のホテルが建てられた。エアコン付きのバンガローが建設され、元から島にあった簡素な地元の宿は「汚い」と批判の対象になった。開発の噂を聞いた企業は島へのツアーを開始し、楽園には似つかない富とセルフィー棒を持った人で溢れかえった。「映え」目的で来た人が必死になって映えスポットを探して写真を撮り、SNSにあげ、さらに同志を呼び込んだ。そうやってヒッピー達の楽園は奪われていった。

私はこうやって、失われた楽園を世界中でたくさん見てきた。自由な暮らしを求めたヒッピー達がまず土地を見つけ、そこでコミュニティを作って幸せな生活を送り、その噂を聞いた権力者が開発を始め観光化が進み、ヒッピー達は土地を追われ、原住民の貧富の差が激しくなり、一部の富を持った人だけに利益が回る。どこにいってもヒッピー達の楽園は同じ道を辿っていた。

たしかにこれが資本主義の成れの果てだ、しょうがないのかもしれない。しかしなぜ、資本主義社会での富と権力ばかりが先行し、本当の意味での幸せが失われたことに特に不満を持っているからこそ、楽園へと逃れたヒッピーたちの後を追わなければならないのか。精神的な幸せを求めて現代社会を逃れてきたヒッピー達が、なぜ表面的な見てくれを追求するSNSフリークに場所を奪われなければならないのか。世界中「開発可能」な場所なんてどこにでもあるのだから、自分たちで探してくれないのか。

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まとめ

諸行無常が世の常。永劫不滅のものなど存在しない。そんなの痛いほどに分かっている。でも、何かが自然と朽ち果てていくのと、他者から壊されるのでは傷の大きさが全く異なってくる。

そこで暮らしていたヒッピー達が今どこで暮らしているのかは分からない。まだどこかで楽園を探し求めて世界を旅しているのかもしれない。新たな楽園を見つけた人もいるだろう。でもきっと彼らも、いつかは壊されると心のどこかで思いながら生きているはずだ。

いただいたサポートは、将来世界一快適なホステル建設に使いたいと思っています。