見出し画像

脆く儚い民主主義

民主主義まで5秒前、4、3、2、1!
人々が浮き足立ってその瞬間を待ち望んでいたのが、肌で感じられた。

2015年秋、私はミャンマーで歴史が作られていくところを目撃した。ミャンマー国内で15年ぶりの民主的総選挙が行われるわずか数週間前、私は国内最大都市、ヤンゴンにいた。その熱気は凄まじかった。街中に選挙ポスターが貼られ、どのニュースチャンネルも日夜、候補者の演説を放送していた。言葉が分からない私ですら、その熱量に感動を覚えた。

長期軍事政権による支配が続き、アウン・サン・スー・チー国家顧問を初め、多くの人々の自由が制限されていたミャンマーの歴史を鑑みれば、国民全員が「たかが」選挙にここまで本気になるのも無理はない。

「俺達の国は意地でも俺達が決める」とでも言わんばかりの、民主主義に対する国民の熱意や一体感を目の当たりにし、不断の努力により民主化を勝ち取るという、いわば民主主義のあるべき姿を直接見せてもらった私にとって、先日の軍が政権奪取したというニュースは、非常に衝撃的だった。あんなにひたむきに努力して勝ち取った民主主義は、こんなにも簡単に散っていくものなのか。

民主主義は「当たり前」

The Economistによると、世界中で完全に民主主義国家と言い切れる国は、たった23ヶ国しかないという。この調査の「完全な民主主義」の定義が正しいかどうかに議論の余地があるにせよ、民主主義は世界の一部でしか享受できない、贅沢な特権なのかもしれない。

にもかかわらず、日本や欧米での暮らしに慣れると、私たちが日々当たり前のように授かっている民主主義の恩恵が、世界中どこでも普遍的だと錯覚してしまう。コロナの対応が不十分だと公に不満を垂れることができるのも、保育園死ねと言うことができるのも、アベノマスクなんて首相を小馬鹿にしたような造語を生み出すことができるのも、全て日本が民主主義国家であり、政治に関して言論の自由が保証されているからだ。そしてこの自由は、悲しいことに、世界の多くの国や地域では、全くの贅沢品である。

しかし私は、「民主主義をもたらしてくれた過去の偉人に感謝しようね!」なんて陳腐なことが言いたい訳ではない。感謝すべきということは、民主主義を求めているという前提の上に成立する。しかし、民主主義は、人類が出した絶対的正解なのか。民主主義社会でしか生きたことのない私たちが、なぜ感謝すべきなどと言えるのか。もし人類が民主主義よりも優れた統治方法を発見した場合、私たちはそれに向かって「進化」していくのだろうか。

民主主義以外を理解できない人

日本人は、良くも悪くも平和ボケしていると言われる。政治的自由が保証されているにもかかわらず、自民党がほぼ一党独裁的政治を敷いている現状は、ある意味では幸せなのかもしれない。戦後アメリカが手取り足取り民主主義を導入し、特に革命や流血もなく民主主義に到達した歴史的背景に鑑みれば、納得がいくことなのかもしれない。

一方で、過去の歴史の中で、国民および市民が努力して民主主義を勝ち取った西欧では、全く考え方が異なっている。彼らは、民主主義国家であることに、日本人よりもはるかに誇りを抱いている。それ自体は素晴らしいことだ。しかし、中には過度な民主主義中心的、または西欧中心的考え方により、民主主義以外の方法で、世界中のほとんどの国が統治されているという事実を、理解できない欧米人が多数存在している。

その好例が、私のイギリス人の知り合い、ジャックだ。彼は「世界中で成功している国のほとんどが民主主義を採用し、民主主義なしでは成功できない。民主主義に至っていないのは、その国がまだ発展しきっていないからだ」という主張をしている。

もしかしたら正解なのかもしれない。しかし、そもそも彼の言う「成功」とは何なのか。例えば、世界的経済大国である中国では、共産党による一党独裁体制が敷かれている。彼らが経済的に成功していることは、間違いない。また東南アジアのタイでは、一応民主主義が採用されているとはいえ、多くの国民は民主主義よりも国王による統治を好んでいる。これは、彼らが発展しきっていないからなのか。民主主義および超資本主義を採用している大国アメリカは、国家分断の危機に陥り、マルクス主義や無政府主義が台頭してきている。民主主義が絶対解ならば、なぜこのような状況になっているのか。

暫定一位の統治方法

私の友人が以前言っていた。

So far democracy marrying capitalism is the best answer but things could be changed.
現在のところは、民主主義と資本主義の結託が最善策だが、必ずしもそうではないかもしれない。

私たちは、人類がこれまで経験してきた歴史の中で、民主主義が最善のように思われるからそれを採用しているだけであって、もしかしたら私たちは、何世紀にもわたる大きな間違いを犯しているかもしれない。共産主義が流行した時代、共産主義がいつか終わるだろうと考えていた国家党首は、おそらくいなかっただろう。

民主主義も資本主義も、自然界に存在するモノではない。人間が作り上げたものだ。紀元前に貨幣の概念が登場して以降、現在の仮想通貨に至るまで進歩してきたように、民主主義も進化していくかもしれないし、共産主義のように衰退していくかもしれない。

特にこの先、グローバル化や分散化が進んでいけば、国家の概念は遅かれ早かれ消え去るだろう。そうなった時は、ジャックのような凝り固まった民主主義的視点しか持ち合わせていない人の生活が、一番危ういのかもしれない。

いただいたサポートは、将来世界一快適なホステル建設に使いたいと思っています。