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2020に20世紀をおさらいするということ: 建築見学記のあとがきにかえて

平穏あるいは平凡な日常、もしくは予定というもののあてにならなさをただ噛みしめる数ヶ月間の挙句、僕の米国生活は終了した。

時を隔ててこの記事を読んでくれている方のために書き記しておくと、2020年前半のアメリカ合衆国は大変な苦難に見舞われた。悲しい出来事もいっぱい起きた。

ひとつめの苦難は新型コロナウイルスの流行だ。昨年末に中国で発生が確認された「COVID-19」。ニュースこそひっきりなしに耳にしていたものの、暫くはまさに対岸の火事って感じで、米国では僕や周りの人含めて呑気に構えていた。「いやーこっちでは影響は全然ないですねー」とかテレビ電話で言っていたのを覚えている。

しかし、2020年3月中旬、事態は急変。このタイミングははっきり覚えている。僕はニューヨークを訪れる「予定」で、数週間前から航空券OK、ホテルOK、と準備を進めていた。確かに、この時点ですでに米国内での感染者は確認されていたので、現地に住んでいた会社の先輩に様子を伺いつつではあったのだが、その返事は「気をつければ大丈夫では」くらいのムードであった。それが一変したのはまさにその「予定」の前日。NY市全体で200人程度であった感染者数は一気に増加の兆候を示し始め、ロックダウンに備えて買い占めが発生、いきなり緊急事態ムードになった。先輩に再度のお伺いを立てるまでもなく、「とてもじゃないが訪問は無理」なのは明らかだった。

この影響は、僕の住む中西部地方都市にもすぐにやって来た。3月後半には州政府から自宅待機令が出され、準備もそこそこに在宅勤務を経験することになった。この期間は約一月半続き、次に僕がオフィスに出勤できたのは5月11日だった。希望すれば在宅勤務を続けることも可能で、実際多くの従業員がそれを選んだので、結果として僕は上司や同僚たちに直接挨拶もできず米国の職場を去ることになった(代わりに実施してもらったビデオ会議形式の「virtual farewell」は、なんか現代だなぁ、って感じがした)。

5月も後半になると、徐々にコロナウイルスの感染増加も落ち着き、経済再開のきざしが見え始めた。そんな最中に起きたのが、黒人男性ジョージ・フロイド氏が白人警官に取り押さえられ、首を圧迫され続けた結果死亡するというショッキングな動画に端を発するBLM(Black Lives Matter)運動だった。

この事件を受けての米国社会のリアクションは本当に、本当に凄まじく、5月最後の週末には各地で行われた抗議行動が同時多発的な暴動に発展した。僕の街もダウンタウンの一部が破壊され、市長によって夜間・週末の中心地への立入禁止が発令されるに至った(なので、帰国前に市内をもう一度見ておこうという「予定」も叶わずじまいとなった)。僕が出国した時点でもこのうねりは止まず、日本に向かう航空機の下に広がる様々な町で、デモ行進が行われていたはずだ。

このBLM運動を巡る出来事の総体は、アメリカ社会の歪みが複雑に絡みあって、今のところ僕自身はちゃんと理解できた気が全くしていない。所謂「マイノリティ差別」とは異なるレイヤーの根深さがある黒人の人権問題、かたや自分たちのマジョリティが年々脅かされている白人コミュニティ、危険な銃社会で職務を遂行しなければならない警察官、コロナウイルスの影響による失業やストレス、そして分断を煽ることが支持に結びついてしまう現在の米国政権など、(心情的には全く与することのできないものも含めて)単純化できない様々な社会問題が一人の人物の死をきっかけにえげつないかたちで噴出してしまったのだ。

曲がりなりにも2年間暮らしたアメリカが、最後の一週間に僕に突きつけて来たのは、「結局お前はこの国について何も分かっちゃいないんだよ」という事実だった。

さて。この記事を書いている今でもこの複雑な悲しみは癒えておらず、そして自由に、安全に米国内を飛び回れた日々がなんだか違う世界線のようにも思えてしまうのだが、この辺で、建築を訪ねてはヘタクソ承知の上で見学記をしたためてきたこと、について振り返ってみたい。

2年間に渡って、お金と週末の時間を費やし、わざわざデカイ米国のどこか(それも往々にしてメジャーではないところ)に建物だけを訪ねる。一般的通念からしたらリソースの蕩尽に近い一連の行動の中で意識せざるを得なかったのは、「この時代に【建物】として【建築】を経験する意味とは???」という問いだった。

【建築】には、それを表現する様々なメディアや手法があるが、その究極の目的は【建物】としてそれを具現化することだ。従って、実物の建物を目の当たりにすることこそ至高で、図面も写真も、実物体験に比べたら下位互換的な手段に過ぎない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・とは、実は僕は全然思っていない。むしろ、実物を訪れることは、(幸か不幸か)現代においては建築を見る、というか経験するオプションの一つでしかないと考えている。

例えば、「ファサード」についてちょっと考えてみよう。仮にあなたが最近知った建物を訪ねようとしているとして、最初に目にするファサードは、前面道路に立って目にするその姿だろうか?いや、違うんじゃないの?その前に航空写真やGoogle Earthで場所をチェックしつつ「屋根」から見てしまっているのではないだろうか。こんな調子で、訪問見学に限らず、実務プロジェクトや設計課題で敷地を調査する時にもまずみんなが見るのはブラウザを介したエアリアルビューだ。最近作られる建物(特に工場とか)の場合、この視点を見越して屋根にでっかくロゴをあしらったりすることもある。それがちょっと直裁的すぎるというツッコミは置いておくとして、とにかく実際に行っても見えない屋根を「衛星ーブラウザ視点のためのファサード」として設計する時代なのだ。それでも、「実物以外は見たうちに入らない」といえるだろうか?逆に言えば、「わざわざ実物の建物を訪ねる意味」ってそんなにあるのだろうか?

こんな疑問は時間と金をかけて建築訪問している間(あるいは、長距離のフライトやドライブでそこに向かっている時間)も脳裏の片隅にあった。また、実を言うとこれは学生時代くらいからずーっとボンヤリ考えていたことでもあった。なので、さらに白状すれば、米国に来るまでの僕は、どちらかというと建物を実際に見ることへの執着は随分薄いほうだったのだ。(きっとそれは当時卒論・修論として取り組んでいたジョン・ヘイダックの影響もあって、実作のほぼ無い彼の作品は図面やスケッチを「建築」として当たり前のように扱わなければならなかったから、その一連の作業を通して、ちょっとズレた認知が育まれてしまったんだろうと我ながら思う。あ、余談でした。)

では、そんな元建築学生が改心?回心?して、建物を見に行くようになって得たものは何か?とりもなおさず先ほどの問いへの回答でもあるのだが、それは大雑把に言えば「20世紀が取りこぼした建築の様々な側面」だった。

ご存知の通り、アメリカ合衆国はお世辞にも歴史が厚いとは言い難い国だ(それでも、先述の通り多くの問題がそれはもう複雑に絡み合ってしまうのだが・・・)。すると、訪ねるべき建物というのは自ずと近代建築、とりわけ米国が大国としての勢いに乗った20世紀後半の建築に集中する。この時代の建築は、少なくとも大衆への受容という意味では、もっぱら視覚的なものだった。理由は単純、当時は原則的に視覚的イメージとしてしか建築を伝えることができなかったからで、同時に視覚メディアが大変な影響力を持ったからだ。

で、実際にそんな建物の数々に赴く。すると、先ほどの事情とは裏腹に、その建物が視覚以外の様々な感覚に訴えるアトリビュートを持っていたことに気付かされるのだ。

象徴的なのは音だ。例えば落水荘。多くの人がこの住宅を「フォトジェニック」な建物として捉えているだろう。もちろんそれも事実なのだが、僕にとってとりわけ印象的だったのは滝の音だった。当時の見学記にも書いたけど、そもそも、家の中から滝はほぼ見えないのだ。あのサイトは滝を耳で楽しむためにあると思った。

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他に例を挙げるなら、エーロ・サーリネン設計のインガルス・ホッケーリンク。僕が訪問した時にはたまたま試合をやっていて、船底のような天井に屈強な若者のぶつかる音が響いていた。空間が生命を得ていた。あのサマは、20世紀建築の教科書からは絶対に読み取ることができない。

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音以外では、肌で感じる気温や湿度、あるいはもっと抽象的なムードといったもの。シャイアット/デイのオフィスビルをはじめとする昔のフランク・ゲーリー建築の見た目のヘンテコさを馬鹿にする人は、是非いつかLA・サンタモニカまで行ってみてほしい。現地のムードに包まれれば、あんなものがあそこにある意味が肌で理解できるはずだ。

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視覚にしても、実物への訪問によって初めて得られる時間あるいは持続(duration)の感覚がある。建物の中に佇んでいる間にも刻々と太陽は動くし、天気も変わる。例えば、ルイス・カーンのブリテッシュ・アート・センターのギャラリーを巡っている途中、最上階の4F展示室がわずかに暗くなった。太陽が雲に隠れたのだ。幾重ものフィルターを通して純化されたあの光はあくまで自然と呼応していることに気づかされた。写真だけだと照明設備に見えなくもないあの採光装置がいっそう神秘的に感じれた瞬間だった。

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とまれ、このような経験を重ねる中で気づかされたのは「建築は見るだけのものじゃない」という、まぁ単純この上ないが、かたや頭だけでは(=教科書や雑誌といった20世紀型視覚メディアによる勉強では)絶対に理解できないことだった。だから、今まで散々「見学記」と銘打って写真中心に紹介してきたこの試みも、(言葉で補完していたとはいえ)実は、随分矛盾していたことをやっていたことになる。

繰り返しになるが、20世紀、建築は原則として視覚的に伝えることしかできなかった。だから建築は視覚的創作物として受容されたし、それ以外の要素はあまり意図されないか、仮に建築家が意図していたとしても取りこぼされてきた。実際に訪ね、そこで過ごした人間のみが「取りこぼされた果実」を拾えたという訳だ。視覚偏重の影響はもちろん今も引きずっていて、(僕も含め)視覚以外の方法で建築を設計し・表現するトレーニングやデザイン教育を受けてきた人は居ないはずだ(例外として、ディプロマetc.で個人的にチャレンジをした人は居るだろう。すごい慧眼だと思う)。

でも、この21世紀、どんどん状況は変わっていくだろう。建築や空間を表現し、伝える方法はこの20年で既に目まぐるしく進歩しているし、さらに数年、数十年したら、今では想像すらできないもっとすごい技術が登場しているに違いない。そのときに、僕らはきっと、見ることに過度に偏重していた20世紀型の建築知覚からようやっと「目を覚ます」。そこで、建築を設計したり伝えたりする人が直面するのは、新しい(けど元来人体に備わった)感覚を端緒とした、あるいはそれら全てを総合した創作という、チャンスと苦悩になるのではないだろうか。このブレイクスルーを試みる時、前世紀の遺産に改めて意識を向け、「取りこぼされた果実」を拾いなおすことは決して無益ではないと、僕は信じる。

最後に、どうしても行きたかったけど行けなかった4つの建築を、将来の忘備録も兼ねて記しておこう。ひとつは、何といってもソーク研究所。見学予約を入れた次の日にコロナウイルスの影響でクローズとなった。また同様にカーン設計の、エクセター・ライブラリー。去年行くつもりだったのにうっかり夏休みの閉館を勘定に入れていなかったのは我ながら間抜けだった。もちろん帰国前に再チャレンジする「予定」だったんだけど、これもコロナウイルスによってチャンスはやって来なかった。あとの2つは・・・・・・・・・・・やっぱり秘密にしておこう。ひとつはサンフランシスコ郊外の庁舎建築、もうひとつはシカゴから延々3時間ドライブすると辿り着けるオフィスビルだ。何年後、あるいは何十年後かはわからないが、設計者・建築家としてもうちょっと巨匠たちの背中に近づいた時、その瞬間の感性で得られたことを、何らかの方法で皆さんと共有できたらと思う。

(おわり)

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この記事を含め、1つでも建築見学記シリーズをご覧いただいた皆さま、本当にありがとうございました。当初はせいぜい数十人の目に触れるくらいだろう・・・と思ってnoteを始めたのですが、最終的(2020年6月現在)には累計約6万5千のPVを頂くことができ、これは嬉しすぎて当惑しちゃうくらいの誤算でした。ヘタクソで回りくどい表現も多かったと思いますが、少しでも楽しんで頂いたり、将来の米国建築訪問の役に立てば幸いです。

今般の出来事により、ずいぶん色々な「予定」が狂ってしまったことは冒頭で述べました。実は帰国に合わせてこれとは別トピックの記事を執筆しようと思っていたのですが、自分の中の条件、というか目標が達成できずこれはお預けになってしまいました。これについては日米のコロナウイルス状況が改善された頃に改めてリベンジ(?)しようと思います。

上記に限らず、日本に居ながら何か皆様と共有したいこと、文章にしたいことを思い立ったら、引き続きヘタクソ憚らず記事を書くかもしれません。よかったら読んでください。またお目にかかれる日を楽しみにしています。

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