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ニューヘブンにルイス・カーンを見に行く(その②:イエール・ブリテッィシュ・アート・センター

やや後ろ髪を引かれながら、「イエール大学アートギャラリー」を後にし、斜向かいに建つ「イエール大学ブリティッシュ・アート・センター」へ向かう。

実はこの建物にはちょっとした思い出がある。約5年前に初めてのニューヨーク旅行で訪問した際、休館日でがっくり肩を落としたことがあるのだ。諦めるに諦めきれず、結局2日連続でニューヘブンに通って、ようやく中を見ることが出来た時の感動は、まだ覚えている。

つまり、ここに来るのは初めてではなくて、なんなら3回目なのである。脳裏に今でも焼き付く建築空間に足を踏み入れたい気持ちがはやるが、ちょっと我慢して外観を観察する。

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一見すると、地味な建物である。キンベル美術館のように特徴的な形態はなく、リチャーズ医学研究所のように、既存コンテクストから突出するプロポーションでもない。しかし、タダモノでないのはすぐに分かる。コンクリートのフレームに嵌め込まれた外装材はステンレスで、黒く燻されたこの表情は他では見たことがない。

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ポツポツと開いた開口部は、法則性がなさそうで、ありそうな不思議なリズム。「ブリンマー大学女子寮」を見た時にも思ったことだが、まるで秘密の数式で導かれているかのようだ。

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ピロティの奥に半ば隠されたエントランスをくぐると、吹抜けのホールに出迎えられる。ここはクリアガラスのトップライトから光が降る、明るい空間だ。外装同様、RCのフレームに対して仕上げがツルンと納まっている。この時点で、ちょっと暗くてブルータルな「アートギャラリー」とは全く違う世界観であることが伝わってくる。そして、コンクリート、木、ステンレスそして空調ルーバーまで含めた完璧な納まりが、この建築全体の圧倒的な完成度をはやくも暗示している。柱は上階にいくに従って、段々と細くなる。これも一種の布石である。

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この美術館に来たら、何をおいても4階の常設展示室に急ごう。そこには唯一無二の「光」を体験できる空間がある。

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ルイス・カーンと「光」というと、なぜかキンベル美術館ばかりがフィーチャーされるが、この「ブリティッシュ・アート・センター」の採光システムも間違いなく最高峰だ。その秘密がトップライト。といっても、エントランスホールで見たそれとは違う。展示室で用いられる機構はそれよりずっとずっと複雑で、結果として「濾過された」としか形容できないような抽象的な光が実現している。

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近現代建築において、「光」は美的にも、機能的にもテーマであり続けているが、その「純度」においてここ迄の境地に達した実作は恐らく他にはないだろう、と思わせるものがある。(ちなみに、僕の個人的な感想では、キンベル美術館は「マテリアル(コンクリート)と光の融合」がテーマだと思う)

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この光の様態を実現するために、相当な工夫が凝らされているようだ。図面を調べたり、上から屋根を見た限りでは、複数の遮光板と凸面ドーム、平板アクリルを組み合わせている。

くどいようだが、この光になみなみ満たされた空間というのは本当にすごくて、僕らが普段吸っている空気とは異なる気体の中にいるような感覚すらある。そして、空間にあるもの全てがサマになって見える。美術品だけでなく、什器や、そこに居る人(訪問者や警備のオッチャンたち)も含めてだ。これは、最上質な空間の備える一つの共通項だと思う。

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以前の訪問時には意識していなかったが、今回気づいたことがある。それは音。ここの展示室、非常に静謐である。そういえば、床仕上げがカーペットになっている。斜向かいのアートギャラリーも、キンベル美術館もフローリングだったので、カーンの美術館としては初めて体験するパターンだ。恐らくこの吸音が結構効いているのだろう。

そしてこの静謐さは、空間のムードにも絶大に寄与していると思う。音が減衰されることで、より光と視覚に意識が向いてくる。これは意識的にデザインされているのではないだろうか。

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建築要素(床・壁・天井)による「音」のデザインって、機能要件をクリアした時点で終了してしまいがちだが、本来は空間を満たす一要素として、光や色に劣らないくらいの工夫があってもよい気がする。この空間のように静かにするだけでなく、あえて響かせる場所をつくる、とか、そのメリハリで空間にコントラストをつくるとか。

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建物の中心には、シリンダー状の階段室がズシンと構えており、この構成はアートギャラリーと共通している。手摺周りは鉄板を曲げて溶接したディテール。この何ともクセの強い曲線が特徴的だ。後期作品のキンベル美術館や、死後(というか最近)完成したニューヨーク・ルーズヴェルト島の公園でも比較的類似した形状を見ることができる。

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「光」のような大きなテーマに限らずとも、カーンの建物は見ていて本当に勉強になる。なぜなら、彼の建築は機能的な部分も決しておざなりにせず、かといってむやみに隠蔽したりもせず、すべてキチッと収めているからだ。その点は、近代アメリカの作家としては圧倒的に徹底していると思う。例えば、今回気づいたのは幅木の納まりで、固定壁/可動壁両方で統一した見た目になるように構成が工夫されているのは勿論、寸法もコンセントの納まりをちゃんと見込んで設定されている。壁付け設備類がとりつくパネルも建築側でキッチリとデザインされている。

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他には、時折室内に現れるこの燻しステンレスの黒い物体。これは十中八九シャフトだろう。これも点検・メンテナンスを考慮してしっかり点検口がついているし、そのヒンジまでもが神経の通った意匠になっている(短手側足元の部分に注目)。機能や合理性に応えたデザインが本来持つべき美しさみたいなものが、至る所で体現されている。

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先に述べた、階層ごとに段々と細くなる柱であるが、最上階の寸法は□305×305。このプロポーションは、一度見たら忘れられない。合理性を突き詰めた先にようやっと掴めるか否か、といった儚さすら感じる。この20年前に出来た斜向かいのアートギャラリーの柱が武骨だったことを思い起こせば、長年に渡るエンジニアリングとの格闘の成果が、ここにもひとつの完成形として現れているように思う。ちなみに、中間階の天井も、ボイド・フラットスラブで大分サッパリとした感じになっている。前回「アートギャラリー」の天井について「難しすぎるのでは・・?」なんて感想を漏らしたが、こちらカーン的な最終解だったのではないか、と捉えている。

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最後に、この建物の中、というか今まで見たあらゆる建築の中でも僕が最も気に入っている場所を紹介したい。それは4階の隅っこにある小さなスペースで、そこにはグルッとターナーの絵が飾られている。19世紀と20世紀最高峰の「光」が競演するこの一角は、静けさの中にこの上ない文化的豊かさを体現していると思う。毎日でも来ることができるイエールの学生は贅沢だ(言い忘れたが、この美術館も入場無料。寛大さ無限大である)。

いつか機会があったら、朝から訪ねて日がな一日座っていたいものである。

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(おわり)

参考文献
『巨匠たちのディテール Vol.2』エドワード・フォード 著、八木幸二 訳
丸善/1999

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