2020年代に起きる感性ディバイド
2020年代に起こりうるものとしては、AIの自己学習が進むことで、感性があるものとないもので、生活スタイルが大きく変わる時代になると考えています。
1. 人間が操作する必要がどんどん減っていく
2. ユーザーインタフェースがスマホに囚われなくなる
3. リソースとしてのヒト
1. 人間による操作の減少
例えばNetflixでは観ても観ても、映画が尽きないのと同じで。操作しようと思う以上に消費したいコンテンツが多い現状なので。テレビみたいな感覚で、自分好みのコンテンツが垂れ流されるようなメディアになる。
判断基準についてはAIがアシストしてくれるので、代行業務などはほぼミスのないロボットやAIが肩代わりしてくれるので、生活がより効率的になる。逆にランダム性が求められるもとに人間が活きることになり、コンテンツ生成に介在することが多くなってくる。よりランダム性を生み出せるか、もしくは人間が喜んでくれる教師的なデータを生み出せること、が人間の価値になってくる。
2. スクリーンから解放されたもっとシームレスなインターネット
コンピュータビジョンの進化によってリアル空間に投影されるARの進化や、VRの発展によって、そもそもスマホを持たなくても目に情報が棲み着くようなユーザーインタフェースになる。
コンテンツ生成に重要なヒトとしての能力と、コンテンツ消費の経済に必要なヒトとしての受け皿。いずれにしても、自ら移動する必要性はほとんどない。移動を必要とするのは、ランダム性によって完全なロジックによる統制が効かない人をうまくコントロールする際において重要と判断される場合。一方で、それさえも、AIのルールに従えば身体的反応をうまく捉えながら統制を効かせられるのかもしれない。
身体的にはリモートワークかもしれないが、リモートワーク以上につながっている中でどう人生を過ごすか、ON/OFFがより薄まった世界で生活することになる。
3. AIのリソースとしてのヒト
AIが進化する過程の中で、人間の個性に匹敵する進化を生み出してくか。
例えば音楽を作る際に、ある程度はAIが作詞作曲してしまって、ちょっと足りない何かを人間が補うという流れになる。ちょっと足りない何かが感性で。他の人を刺激する何かを生み出す要素。
感性ディバイド
人を刺激するちょっと足りない何か、それを生み出せる感性があるヒト。
人を刺激する感性は少ないが、AIの成長のデータとなりランダム性を与えるヒト。
前者は特に消費するヒトに対して影響力を持ち続けられる。なんでも覚えている暗記や、簡単に翻訳できる言語力、つくるだけのプログラミング力はどんどん重要ではなくなる。AIが自らでは限界がある、身体行動、作曲、選曲、絵画、ひらめきの様な感性をどう磨くか。またはAIによって生み出されたコンテンツをどう再生成するか、DJの様な編集力が、より評価される世界になる。
ヒトがインターネットとシームレスに繋がる中で、この2つのディバイドが人の満足、または不平不満の源になる可能性がある。
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