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90's、あの豚骨ラーメン屋を思い出せ!

90年代、誰もがGLAYの「HOWEVER」を熱唱した青春を送ったわけじゃない。まして小室哲哉に関しても同様。ある世代にとってはtrfでありgloveなんだろう。マーク・パンサーのラップパートしか歌えないやつも少なくないだろうしKEIKOのハイトーン・パート、あきらかに歌えてない友達以上恋人未満のカノジョの歌を「ええやんええやん」と褒めちぎり「SWEET PAIN」ならぬ「DEPARTURES」な展開へと持ち込むべく電気グルーヴ「NO」を持ち出し失速したナインティーズの痛い思い出を持ってる方、どれぐらいいるかなー、なんて考える余裕ができた2020年代も悪くはないよね。まあ時代はひどくなる一方なんですが。

さてこのテキストを週末金曜日深夜、新宿西口のラーメン屋「天下一品」に並びながら書いてる。さてボクにとって90年代、特に前半〜中盤戦はどんな日々だったのか思い出してみる。

けして寒さのせいじゃないのさ、と歌ったのはカジヒデキなんだけども90年代も半ば、「渋谷系」なるワードが完全定着しボクはポップスの未来は明るい!と信じていた。実際のところはどうだったかっていうと端境期だったんですよね。当時ボクは東京からずーっと西、住んでたのは京都だったけど入社したレコード会社の大阪営業所に配属され、新卒(留年してた)だったが研修などまるでなく、もちろん入社式もない、なんなら「卒業までヒマやろ?さっさと出社してこんかい、ワレ」ぐらいの勢いで大学卒業の1カ月前から会社に呼び出され、三日後には四国へ飛ばされた笑。CDショップのセールスプロモーションってのが担当業務だったんだが、営業部門立ち上げたばかり、、いや、正解には「立ち上げ真っ最中」でしかも3月にはリリースがある。立ち上げというか、CDショップと「契約」ってのが最初の仕事だったわけで当然ボクは卒業を控える学生だったので上司が同行してくれると思いきやそんなフォローはなく、ボクはたったひとりで四国4県に点在する280店舗と契約を交わさねばならなかった。土地勘あるエリアならまだしもまったく行ったことないエリアですよ。たしか松山から入って高知〜高松、最後に徳島ってコースだったな。もちろん誰も教えてくれないから自分で時刻表調べて店に電話してアポとって行きましたよ。なので1995年〜96年の邦楽新譜はほぼ四国で購入している。大瀧詠一さんのCD選書によるリイシューとかカバンに詰めてウォークマンで聴きながら四万十川をながめていた90年代半ば。「ナイアガラカレンダー」とか「ナイアガラムーン」ってアルバム聴いてるとなぜか四国を思い出すわけです。

96年春になるとエリア異動でボクの担当は広島になる。「すげえ都会だ」と思いましたね。広島PARCOの本屋がやたら充実してたのと定宿してたホテルの隣がやたら大きく深夜まで営業してる古本屋があってまったく退屈しなかった。永島慎二の「若者たち」ってマンガはその店で買った。昼飯はほぼ毎日広島焼き食べてた記憶がある。

ボクが東京住むようになったのは98年2月で、いわゆる渋谷系全盛期を地方で体験したんですよね。ピンポイントで東京行って(就職活動)渋谷クアトロにあったWAVEでモンドなCD漁ったり、渋谷HMVでコーネリアス「太陽は僕の敵e.p」試聴を発売前にしたり、ZESTに緊張しながら入店し、よくわからない7インチアナログ買ったり(まだ持ってます)そんなことはやってはいたんだけどブームの渦の中にどっぷりいたわけじゃない。

関西に住んでたせいで、ほどよく距離感は取れてたんですよ。当時京都でよく行ってた銭湯が蚕ノ社ってとこにありまして。ほどよく広くてキレイでサウナもあり充実した設備で、なによりもその銭湯はずーっとFM802を流してるんですよ。Mr.Chirdren「君がいた夏」、L⇔R「BYE BYE POPSICLE 一度だけのNo.1」、あの頃のヘビーローテーション曲はほぼすべて銭湯で体験した。ミストサウナに癒されながら聴いたヘビロ楽曲を羅列してみよう。


安藤秀樹「さよならいとしのBABY BLUES」
橘いずみ「君なら大丈夫だよ」
詩人の血「春のまま」
井上睦都美「ボーイフレンド」
ザ・コレクターズ「世界を止めて」
スピッツ「裸のままで」
五島良子「ハロー・アゲイン」
高橋ひろ「いつも上機嫌」
MIYA &YAMI「神様の宝石でできた島」
斎藤和義「君の顔が好きだ」
川崎真理子「ガールズファイト」
THE CHANG「今日の雨はいい雨だ」
GREAT 3「DISCO MAN」
宮本浩次「タイトでキュートなヒップがシュールなジョークとムードでテレフォンナンバー」
エレファントカシマシ「四月の風」
ホフディラン「スマイル」
中村一義「犬と猫」
スガシカオ「黄金の月」
コーネリアス「STAR FURITS SURF RIDER」

ヘビーローテーションは毎月あったので実際はもっと聞いてるんだけど、いまソラで思い出せるのが上記ラインナップだ。こうして1部でもオボロゲな記憶頼りでラインナップすると東京と大阪の微妙な「好み」の違いもわかる。出汁の味わい方の違い。ボクは楽曲のコード感とかメロに乗っかる声が生む「切なさ成分」、つまり音楽のグルタミン酸の受け取り方、好みの違いと理解している。お好み焼きを焼く際に砕いたイカ天を入れるのか否か。昆布の旨みをベースにたっぷりの鰹節、カツオを活かすかそれとも昆布か。たとえばザ・コレクターズの「世界を止めて」。コレはまぎれもない大阪ミュージック・ラヴァーズが好む旨み成分全開の曲だ。骨太でわかりやすいメロと粋とダサさがギリギリで交錯するサビのキャッチーさ。自身のkey限界臨界点で切なくシャウトする加藤ひさしの声、そして後半でささくれつつもメロウなギターソロを延々弾き続けるコータローのギタープレイ。これぞ「おっちゃん、豚玉。あと焼きそばとビールな!」文化が支持するポップネスの最高峰よ、ってなんの話だコレは。

まあ、ずーっと関西いてピンポイントで東京きてたりはしてたが、都内に住んでる皆が中目黒や代官山でカフェオレボウルにしがみついてたわけじゃないもんな。とはいえ20代前半のボンクラリスト俺、から見れば「カフェの常連」にならなきゃ都民じゃねえぐらいな思い込みはあったかもしれない。それだけ強烈なムーヴメントだったんだよ、渋谷系ってやつは。

ブームってのは必ず終わるし、揺り戻しと検証をどう楽しむかでその人が「粋」かどうかわかる気がする。恥ずかしい自分を肯定できるかどうかじゃないかなー。ダサかった自分を棚上げしちゃいかんよね、ほんとに。  

ぜんぜん関係ないけど、いま渋谷のHMVアナログショップあるあたりにあった豚骨ラーメン屋。たぶん90年代末期まで営業してたと思うんだけど店の名前がまじで思い出せない。覚えてるひといたら教えて欲しいのココロなのだ。


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