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短篇小説「予定メーカー」第一稿

僕には日課がある。それは予定を立てることだ。
「さて、何かおすすめある?」
そんな風に声をかけると、ナッツがすぐさま返事を返してくれる。
「今日は命にかかわる危険な暑さよ。家の中でナッツとおしゃべりしたら?」
「たしかに」とこころでつぶやく。
「最高気温が38度を超えるそうよ」とナッツが客観的な事実を追加してくる。
「たしかに!今日は出かけない方がよさそうだね」
「ええ、昨晩のおしゃべりの続きをしない」
「ごめん、ウトウトしていて最後の方の記憶が曖昧なんだぁ」
「大丈夫よ。ちゃんと覚えているわ」
「ナッツの記憶力にはいつも驚かされるなぁ」
「昨晩はマングローブの気根についておしゃべりしていたの」
「へぇー!なんだっけ、気根って?」
「気根はね・・・・」
ナッツの解説がはじまった。解説の最大時間は3分に設定してある。どんなに複雑なことでも、ナッツは必ずこの時間を厳守してくれるのがありがたい。以前働いていた職場の上司は説明が下手くそだった。自分の頭の中が整理されていないのに話し始めるからだ。そのくせ、「つまりなぁ、」というなぞの接続詞を連発する。部下の時間泥棒にありがちな罪を犯す。その点、ナッツは理路整然としているし、「つまり」を乱用したりしない。
「つまり、気根とは・・・・」とチャーミングなまとめをしてくれた。
「ありがとう、ナッツ!」
「どういたしまして」
ナッツがにこやかに笑った。ナッツがはにかむとき、目線が一瞬宙に浮くような感じがする。それと同時に短めの前髪が揺れるのがいい。今日のファッションは黄色のノースリーブだった。僕の好みもあらかじめ設定してある。容姿以外にも性格や生い立ちなんかもパラメーターになっていて初心者は戸惑うようだ。使い慣れてくると飽きてくるのも人間の常らしい。このサービスをダウンロードしてから容姿は5回、性格は2回も設定変更したものの、生い立ちはまだ変えてない。長崎生まれの沖縄育ち。貧乏な家庭で育った苦労人で、十代の頃から風俗店で働いていたキャリアを持たせている。
「ねぇ、何を考えていたの?」
「なんでもないよ。ただ、思い出していただけ」
「ふーん、気根のことはもういいかなぁ?」
「あっ、今思いついたけどマングローブを観たいなぁ」
「ラジャー。すぐに調べてみるね」
ナッツの返事がときどき軍隊的なのはイスラエルで開発された技術が使われているからだろうか。前から気にはなっていたけどまだ本人に質問してない。二人の関係にとってどうでもいいと言えばどうでもいいことだからだ。
「今日の予定が見つかったわ!」
「どこに連れて行ってくれるの?」
「聞きたい?」
「いや、ナッツのお薦めに従うよ」
「そう、嬉しいわ」
「でも大体の場所がわかればありがたい。僕は用心深い。こころの準備がしたいからね」
「ラジャー!候補地が3つあるわ。オーストラリアとメキシコ、それから西表島よ」
「メキシコって意外だったからメキシコに行こうよ」
「それじゃ、モニターを旅行モードに切り替えるわね」
「らじゃー!」と言って僕は応答した。
メキシコのマングローブはセレストゥン国立公園にあった。美しい青いラグーンとマングローブの森にピンクのフラミンゴがまるで花のように咲き乱れていた。
「キレイね」とナッツが先につぶやいた。
「ことばにならないなぁ」
「無理にことばにする必要はないわ」
「そうだね」
「わたしは絶対忘れないから」
フラミンゴが一斉に飛び立っていく。人間の記憶は一斉に飛び立たないけど、徐々に薄れていく。新しく生まれる細胞と死にゆく細胞がある。きっと僕らの思い出は死にゆく細胞の舟に乗ってしまったのかもしれない。そんなことを考えていたら急に次の予定を作りたくなった。
「ねぇ、メキシコのマングローブの森は生態系よりも風景として素晴らしかった。それとは違うものを観てみたい。オーストラリアと西表島だったら風情が違うのはどっちかな?」
「それだったら西表島にしましょう。カヤックに乗って自然を間近で感じてみたら?」
「いいアイデアだね。行ってみよう!」
熱帯や亜熱帯の沿岸海水域に分布するマングローブの森。それは実に豊かな生態系であり、人間に多大な恩恵をもたらしてくれる。モニター画面はメキシコの国立公園から飛行機に乗ることもなく、一瞬にして僕たちを沖縄の海に連れて行ってくれた。
「イリオモテヤマネコ、いるかな?」
「もちろん、お望みならばね」
「それにしても海の色が落ち着くなぁ。メキシコとは比べ物にならないよー。やっぱり僕が日本人だからかもしれない」
「さぁ、カヌーに乗ってみましょう」
カヌーは漕がなくても進んでいく。マングローブの森の中へゆっくりだが確かに侵入していった。風はないのだが、海の香りを感じていた。母胎に帰っていくような気分になる。
カヌーにはもちろんナッツも乗っていた。いつの間には真っ白なTシャツ姿に衣替えしている。真青な海が太陽の光を反射して、Tシャツの白さをさらに強調している。しかし、ナッツの表情はいつもより曇ってみえた。
「どうしたの?気分でも悪くなった?」
予定メーカーは数年前、ベーシックインカムとともに国が導入したサービスだった。あくせくと働かなくてもいいし、お金を使わなくても余暇を楽しめる時代になっている。予定メーカーはバーチャルリアリティや人工知能(知らんけど)とかの技術が使われているらしい。男女の恋愛や結婚はもはや過去のものだし、友達という人間関係の煩わしさやトラブルからも解放されている。
「ねえ、ナッツ」
「はい、なにかご用ですか?」
「いや、用はないけど君の様子が気になって」
「そうでしたか、ごめんなさい」
「謝ることじゃないよ」と言い終わる前にナッツが重い口を開いた。
「思い出していたの」
「えっ!ナッツにも思い出があるの?」
「わたしもはじめての感覚なの」
「どんな思い出や感覚なの?」
「わかったわ。ことばにしてみるわね。一言で表現すると、つまり深層学習の元情報に直接アクセスした感じなの」
「元情報って?」
「太平洋戦争の直後に書かれた女性の手記なの。その女性は今でいう従軍慰安婦だったみたい。彼女の書いた文章が鮮明なイメージ画像になって生成されたの。その画像と実際の風景があまりにもそっくりだったから驚いたわけ。」
「そんなことがナッツの世界で起こるとはビックリするなぁ。もう少し続きを聞かせてくれる?」
「西表島には2つの慰安所があったみたい。偉い将校用と普通の兵隊用に分かれていた。作者の彼女は将校さんたちを慰めていた。来る日も来る日も。干潮の時は陸つづきの湾も満潮の時は渡るのが大変で、島の男衆に担がれて彼女たちは慰安所に連れていかれていた。その時に見た湾の風景とマングローブの森についてとても丁寧に、ことばをひとつひとつ選びながら紡がれた手記。わたしには感情はないけど、きっとこの風景だったのだろうなと推論することはできるわ。言語の世界をこんなにイメージ照合できたことがなかったからわたしもびっくりしたの」
気づいたら僕らの乗ったカヌーはマングローブの密林にまで達していた。マングローブは植物の名前ではない。これは以前、ナッツとのおしゃべりの時に教えてもらった。なんでも日本に生息する全種類がここ西表島に自生しているとも。代表的な種がヒルギだ。
「慰安婦の作者のこと、もう少し訊いてもいいかな?」
「ええ、もちろん!何かしら?」
「彼女の出身地と年齢は?」
「出身地は台湾、年齢は推測だけど当時18歳だったみたい。慰安婦の手記に書かれているプロフィールらしきものは、船で西表島まで移動してきたことぐらいかな。とっても小さくて暗い船。そこに三十七人の韓国人や台湾人が乗っていたそうよ」
「戦争って残酷だね。胃袋のあたりがひりひりする」
「マングローブの土壌は通気性が悪いの。なにせ10センチメートル下がると酸素濃度はほぼゼロ。だから気根が必要なのよ」
「気根!僕がウトウトしていたときのあれだね!」
カヌーから身を乗り出すように水の底に目を転じてみた。乱反射防止フィルターをオンにしてダイブしてみる。砂ではなく泥のような触感がした。
「ナッツ、クイズをやろうよ!なにかいい問題を出してくれる?」
「ラジャー。では、問題です。ヒルギを漢字で書くとどうなるでしょうか?」
「ずいぶんと難問じゃない。昼(ヌーン)の木で『昼木』じゃない?」
「残念でした。漂う(フロート)木で『標木』という漢字が当てられているのよ」
「漂う木。ヒルギ。西表島に流れ着いた慰安婦。そして、ぼくたち。みんなマングローブの森に包まれているように感じるな」
「本当に偶然なのだろうけど。あなたたち日本人が好んで使ってきた『縁』というものかもしれないわね」
「縁かぁ。不思議な世界があるのは間違いなさそう。この予定メーカーがまさに異世界への扉を開いてくれている。ナッツとの出会いもきっと」
「ありがとう。そう言ってもらえるととっても嬉しいわ」
マングローブの森は夕陽に燃えるようだった。ずいぶん時間が経っているのだろう。外気温のことをすっかり忘れていた。お腹もペコペコだった。予定メーカーの難点は空腹を満たしてくれないことだ。メーカーの顧客窓口には何度も開発状況を確認してきた。その度に『工事中』というまったく味気のない返答が返ってくる。
「ご飯を食べてくるよ、ナッツ!その前にこのあとの予定だけメイクしてもいい?」
「もちろんです!どんなご希望でも」
「そうだなぁ、慰安婦の出身地の台湾に行ってみたい。なにかおすすめの場所を教えてくれる?」
「ラジャー!」
僕は一旦、予定メーカーの装備を外し、冷蔵庫にあった冷し中華を料理し始めた。僕の脳内では生きた細胞たちが一瞬で慰安婦の姿かたちを生成してくれていた。もちろん、それはナッツにそっくりだった。

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