見出し画像

【連載小説】堕肉の果て ~令和に奏でる創造の序曲(プレリュード)~

第二部 四章 メダカの王様
722.水鏡

はじめての方はコチラ→ ◆あらすじ◆目次◆

 眠りに落ちたナッキは、目を覚まさなかった。
 それ程、あの嵐の夜の出来事は、小さな小さなナッキにとって、耐え切れたのが不思議な位、本当に過酷に過ぎていたのだろう。

 次の日も、又その次の日も、ナッキは意識を失っている、そう言って差し支えない程、深い深い眠りの中を彷徨さまよい続けていたのであった。

 身じろぎ一つする事も無く、恐らく夢一つ見る事も出来ないままで只々、じっとしているしかなかったナッキが、ダメージを回復し極度の疲労、困憊状態から復活の目覚めを迎える、そんな事は普通なら不可能、有り得ない事であっただろう。

 なぜなら皮肉な事ではあるが、死に掛けだったナッキ自身が避難場所に選んで眠りに落ちた位に、この場所には、ほとんど水の流れが無い、そう言っても過言ではない程に静かな池だったからである。
 静かな池なら文字通り、静養するには最適では? そう考える向きも多い事だろうが、それは違うのだ。

 なにしろ彼らが生きているのは、地上ではなく水中、水の中なのである。
 今の所地上では、特別に密閉された空間以外で生命活動を維持する酸素に窮する事は無い、と言うか殆ど無い、エベレストやそれに準ずる高地以外では滅多な事では息苦しさを感じる事などないであろう。

 静かで水流を感じない程穏やかな池、地上に生きる生き物の価値観で考えれば、差し詰め、湖畔の静謐せいひつなサナトリウム、そんな感じに思う事だろう、胸の病に効きそうである。
 しかし、水中となれば話は全く別、全然違って来るのである、と言うか真逆なのだ。

 鏡の様に静かに澄み切った水面みなもには、さざなみが揺らぐ事も無く、周囲の美しく壮大で、且つ清廉な景色が映し出されて、まるで上質な絵画の様である。
 そんな場所では、水中に含まれる空気の量が圧倒的に不足している為に、そこに生きる水生生物の多くは、深刻な酸欠、窒息状態に陥ってしまうのだ。

 当然の事ではあるが、ナッキ達、魚の仲間も例外ではなく、水に含まれる酸素が少ない場所では何と無く生きていく事等出来る訳がある筈も無いのである。
 命の仕組みに例外が無いのは常なのだ。

 では、彼等や他の水生生物はこのような場所に住んだ場合、如何にして生き延びているのであろうか? 答えは簡単である、必死に生き長らえる、これだけなのである。

 こう言った静かで大気中の空気が攪拌かくはんされる事がない場所に生きる水生生物が、生き残る為にとる手段は二つに集約されるのが一般的だ。
 これは、洋の東西、古今の違いなく共通の認識であり、悪魔達が空の彼方かなたに旅立ち、世界に余剰な魔力が溢れ捲っている、この時代でも変わっていない事柄の一つである。

 簡単に言えば、口や鼻から直接吸気が可能な生物は、水面や岸から顔を覗かせて呼吸をし、えら呼吸しか出来ない生物は、水中のわずかな酸素を集める為に、口を大きく開いて泳ぎ続ける、詰まる所、これしかないのだ。

 ナッキも魚類の例外に漏れず、こう言った場所では泳ぎ続ける事で、行動のために必要な酸素を確保し続けなければ生きる事は叶わない。

 ましてや、今の彼の様に大きな怪我や傷を治癒する為には、普段のそれより、一層多くの酸素が必要になる事は自明の理、そういう類の事柄であっただろう。
 疲労の回復も、傷付いた体の修復も、生命が最優先する行動であり、そして紛れも無く運動の一種に他ならないのだ。

 現在ナッキが置かれている様に、動く事も出来ない魚が重傷を負い、酸欠に陥れば、それは即ち、死、その物を意味している。
 希望は、普通なら存在しない…… 絶望ってヤツに他ならないのである。

 だが、しかし、ナッキは抗い難く避けられ無い筈の、死の運命を乗り越えてみせたのだ。
 決して、偶然や幸運ゆえの生還では無い。

 彼の命は、善良で献身的な小さな命達によって守られていたのである。
 ナッキを守り助けた者達、彼らはその貧弱とも言える、か弱い尾鰭を使って、眠り続けるナッキに向けて、一所懸命に新鮮な水を送り続けてくれていたし、夜は冷えて凝り固まりそうになったナッキの体に寄り添い暖める事も欠かさなかった。

 そのお陰でナッキは目を覚ます事ができたが、それは、既に四日四晩が過ぎた五日目の朝を迎えた時だったのである。


拙作をお読み頂きまして誠にありがとうございました。

この記事が参加している募集

スキしてみて

励みになります (*๓´╰╯`๓)♡