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やりたいことを仕事にするのはそんなに重要か考えた結果

今の仕事を続けて7年近く経つが、本当に自分がやりたかったことなのかがわからない。

 昨夜、私は急に不安になって、Googleで、「やりたいことがわからない」で検索をかけていた。
とあるネットの記事に、以下のことが書いてあった。

 幼い頃から自分のやりたいことをやらせてもらってきた人は、やりたいことを見つけて、それを続ける力があるが、
 幼い頃、やるべきことしかやらせてもらえなかった人は、やりたいことをやれ、と言われても、見つけることができないか、長続きさせることができない。
(すいません、出典は忘れてしまいました。)

 私の幼いころは、どうだったかな。
考える間もなく、私は後者(=やるべきことしかやらせてもらえなかった)である。
 私は3才から15才くらいまでピアノを続けていたが、最初は自分の意思で始めたわけではない記憶がある。
やめるという選択肢もなく、なんとなく続けてきた気がする。
 学生時代の部活も、大好きな祖母がやっていたから、影響を受けて私も始めることにしたくらいだ。
 大学の学部を選ぶときも、”つぶしが効きそう”とか、”単位が厳しくないのでバイトと両立できそう”とかいう理由で決めた。
(キムタクのドラマ「HERO」に影響されて漠然と法曹業界に憧れていたが、大学説明会の時に大学職員の人に、「司法試験を受けるには大学時代は遊びやバイトは一切しないで勉強に専念するしかない」、と言われたのをきっかけにあっさり諦めてしまっていた。)
 就活で仕事を選ぶときも、なんとなく、IT業界(PCを操作するのが好きだった)、尊敬する先輩がコンサルになった、から、という単純な動機でTコンサルを志望した。
(もっとも、面接ではもう少しちゃんとした志望動機を答えていたが、簡単に言ってしまえば上述の理由だ。)

 本当に、私は、やりたいことがない人間だと思う。

 でも、今まで7年間、私はITコンサルを続けている。
コンサルの仕事(私がやっているようなコンサルの仕事)は、一言で言ってしまえば、クライアントが困っている複雑な問題を解決する仕事だ。
 クライアントが解決できないような難しい内容に対処することもあれば、手数が足りないから、膨大なデータを修正するという地味で体力だけが奪われるような仕事もある。

 振り返ってみれば、「やりたいこと」ではなかったのかもしれない。
けれど、これは、私が「続けられる」ことであり、会社が賃金を払ってでも「私にやってほしい」ことなのだ。

 そう考えると、昨夜不安で押しつぶされそうで、胸が痛かった私の心はふっと軽くなった。

 好きなことを、やりたいことを、これだ!と気づいてできる人は多くないと思う。
 ましてや、20代前半の人間が、経験できることには限りがあるので、気づきも少ない。
 (小さいころから色んな経験をさせてもらっている人は羨ましいと思う。でも私みたいに、親からやるべきことしかやらせてもらえず、自分のやりたい、で何かを続けてこなかった人は少なくないはず。)

 私のように、自分の今の状況やこれまでの成果をたまに振り返って、理由づけして生きていくしかないのだと思う。

 ただ一つ言えるのは、目の前のことを全力でやっているかどうかは重要だと思う。
 私は、いつも自分の選択に理由づけをすることや、選択肢の中ではこれがベター(ベストと言えれば良いのだがなかなか難しい。)と思えるものを選択して生きているので、振り返ったときにぎりぎり後悔していない気がする。


おわりに


 社会に出たからには、働かないといけません。
でもその意味付けは、ただ「お金を稼ぐ」だけだと物足りないな、と感じたのでこのエッセイを書いてみました。

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