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田舎者が東京に憧れ、上京10年経った結果のお話し
福島県の田舎に生まれ育ち、19歳で東京に出て行ったケビンです。上京して10年が過ぎた今、ここいらでこの10年で何が起きたかを、お話ししてみます。
思い出話しのような内容なので、優しい心で読んでみてください。
1.田舎育ち時代
ケビンは福島県のとある田舎で生まれ育ちました。
終電が19:30で無人駅。
よくある田舎です。
東京に憧れを持ったきっかけは『コロコロコミック』です。
毎月15日の発売日を楽しみにしていた小学生のケビンは、コロコロコミックのイベントが開催される「幕張メッセ」に憧れていました。
「幕張メッセ」は千葉県ですが、小学生のケビンには千葉も東京も一緒でした。頭は悪いようです。
とにかく行きたかった。限定の遊戯王カードやベイブレードが欲しくてたまらなかった。
でも、親に行きたいと言えなかった。
とてつもなく遠い気がして気を使ってたのかな。
とにかく、すぐ行けるであろう東京の同い年に憧れと憎しみを抱き、都会の小学生はどこか違う存在に思ってました。
テレビで流れるマクドナルドCM。
ハッピーセットを持って、団地の公園で遊ぶ小学生の姿をテレビの前で指をくわえて観る。
ハッピーセットが欲しいんじゃない。都会の小学生に憧れていました。
3階建の小学校が、町では1番大きい建物。
遊具のない公園。というか、収穫の終わった田んぼで遊ぶ毎日。
そんな『田舎者』というレッテルを作り出した大きなきっかけが、
【おはスタ】
福島県の田舎町には「テレビ東京」チャンネルは存在しない。おはスタ観たいなぁ。
隔離されているような気分でした。
2.はじめての東京
そんなケビンに東京に行くイベントが訪れました。
『従兄弟の上京引越し手伝い』
従兄弟が美容師になる為に東京の専門学校に通うことになり、一人暮らしが始まるとのことです。
その引越しの手伝いに行けるという!
しかも、1泊2日で!
曖昧な記憶ですが、恐らく池袋らへんだった気がします。
「狭い1Rのマンション」
マンションを見るのも初めて。
キラキラして見えました。
「狭いけどアスファルトだらけの道」
緑と土の匂いがしない、まるで海外に来たようでした。
「高架下で殴り合いをしてるヤンキー」
そもそも電車が頭の上を走っていることにも衝撃でしたが、それよりも殴り合い。映画の中にいるようでした。
そして、
これが本命。
【おはスタ】
朝の6:30には起きてテレビの前に待機して放送を待ちました。
今でもその瞬間の感動は忘れません。
そして胸に刻みました。
『オイラ、東京に住む』
3.待ちに待った上京
指定校推薦の枠を勝ち取ったケビンは、東京の大学に進学をしました。
いよいよ上京。
これから始まるシティボーイ生活。
右も左も分からないとは、
よく言ったモノで、上京してから自分がどこに居るかもよく分かっていませんでした。
でも、田舎者だと悟られたくないからすました顔で歩く。
それも楽しかった。
「渋谷と原宿は歩いて行ける」
そんな話しも聞いて試してみました。
迷いに迷って歩いてみて、着いたのは「六本木」それも楽しかったのです。
大学生活も始まり、サークルにも入り、お金はありませんでしたが、充実していました。
サークルからダンスを始め、クラブに出入りし始め、某アイドルのバックダンサーをしたり、もう身も心も「シティボーイ」
福島の田舎に帰らないようになりました。
4.それからと今。
大学卒業後、色んな職を転々としました。
・番組制作AD
・IT系営業
・心理カウンセラー
・パーティプランナー
・イベントプロデューサー
・雑貨営業
ここら辺は、また別の機会に。
とてもとても濃厚な10年を『東京』で過ごした今、思うこと。
それは、2つ。
①何もないから『欲しい』という行動熱量を得た
②全てあるから『欲しい気持ち』を失った
小学生のケビンと比べたら、今のケビンはガツガツ『欲しい』がありません。
でも、それは悲しいことではなくて、
要らないモノが増えたから、充実しているのでしょう。
沢山のモノを所有することが、幸せと決まっているようではないみたいです。
だって、小学生のケビンの方がキラキラしてた。
大人になるとはこういうことなのでしょうかね。
とりとめもない思い出話でした。
途中のストーリーは、また別の機会に。
最後まで優しい心で読んでくれたアナタとは、
きっと価値観が合うことでしょう。
もうブラザーです。
ありがとう。ブラザー。
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