誤解されてるかも
私はあるときにnoteに「神道は「和をもって尊しとなす」が得意なのだから、世界に平和をもたらすことのできる宗教であろう」というふうなことを書いた。
そして、最近気づいた。
こういう反論もありうるだろうなと。
「いや、それはおかしい。だって国家神道が戦争を引き起こしたじゃないか! 国家神道が若者たちに神風をやらせたのではないか! 神道は害悪だ」
という反論がありえる。
それも妥当だ。
たしかに日本国は神道を強制して、神札を各家々に置かせて、アマテラスの赤子である天皇を崇め、そして天皇のために戦に出よ! と、そう言ったかもしれない。
それは悲しき歴史だ。
しかし、それはどの宗教にも言えることではないのか?
宗教は権力者の道具になると、人殺しマシーンになる。
でも僕は古神道を知りたい。
原始神道には何か希望が残っているのではないか?
そう信じたい。
温故知新ですな。
古神道を知って、そのことによって、何か新しい、平和的な概念や行動が産まれれば、それでよし。
生まれなければ、一度世界を見直す。
世界を旅してみれば、意外と、人と人とが通じ合うのに必要なのは「宗教」なんかじゃないと分かるかもしれない。
そこに必要なのは「まごころ」でしょうね。
岡潔ふうに言うなら「情」でしょう。
情愛とか人情と呼ばれるもの。
ハワイの人は白人に「あいつらにアロハの本当の意味なんて分かるはずない」みたいなことを言ったらしいが、それに近いのかもしれない。
なにが?
人と人とが通じ合うのに必要なのは人情だと思うけれども、それを認識できるのは一部の人だけかもしれない。
人情が分からないから無差別殺人事件が起こる。
人情がないから酷いことができるのだろう。
ところで、LGBTのトランスジェンダーとは?
女の子の着ぐるみを着た男の子ですか?
男の子の着ぐるみを着た女の子ですか?
性別は魂に宿るとかいう言い方をされると、混乱する。
魂は見えないから。
心は見えないから。
直接は見えないから。
心が現れるとはなんだろう?
魂が表現されているとはなんだろう?
それが行動に現れているとき?
言葉に現れているとき?
声ににじみ出ているとき?
とにかく、私は、できることなら、愛の道に生きたい。
今の私は他人からどう見られているのだろうか?
兎角カオスになりがちな海王星魚座期の自分である。
ネイタル太陽にトランジット海王星がかぶるとは?
きっと、今言ったことと次言うこととが矛盾する状態であろう。
発言が曖昧になるというのか。
表に出てくるものが、酩酊状態になるのだろう。
たまに自分でも「二律背反だな」と思うことがある。
けれど、その矛盾に一見見えるなかの、正しさというのは、とても難しくて抽象的で、捉えづらい。
とにかく、もう言葉を見るのをやめにしないか?
言葉は指し棒だ。
ここに空中に輪っかが浮いてるとしよう。
私は指し棒を三つ持っている。
そして、私は三つの指し棒でそれぞれ違うヶ所の輪っかの一部を指す。
私は三つの指し棒を使った。それは同じものを表現しているつもりで。
しかし、ここを他人から見たときにどう見えるか?
それぞれ指し棒しか見ておらず、三つとも違う場所を指しているじゃないか。お前は矛盾している。そう言われると思う。
これが、海王星魚座期の魚座人間かもしれない。
たとえ三つの指し棒が違うところを指差していても、その指し示す先の、輪っかは一つに繋がっている。
真理は一つかもしれない。
しかし、それはシラフの魚座だ。
本当に酩酊して、毎日違ったものを指し示して、矛盾した心境にいる人もあるのかもしれない。
しかし、そこに人間くささというか、面白味があるのではないかな?
その矛盾が人を傷つけるものならば、無用だが。
「この人は何が言いたいんだろう?」
その人の言葉は、未来の人のための、今の人の現在生きていることの証。
誰かのツイートで見た。
人文学というのは誰かに語りかけているものと捉えていたが、それはもしかしたら、未来の人のいなくなった時代のために、人はこのように生きたという、証としての文献なのかもしれない。
というふうなことを。
文章が狂っていてもいいじゃないか。
狂人も現代を生きたのだ。
未来に生きる狂人の慰めにもなろう。
僕らはみんな、心のどこかを欠けている。
どこか壊れている。
だから補い合える。
だから助け合える。
完璧な人がいたら、その人は神であろう。
無限向上という言葉がある。
宇宙は産まれてから進化を続けている。
今は不完全でいいかもだが。
明日はそうとは限らない。
成長はやめたくないね。
お互いに傷つけ合って、磨き合い、宝石となれば良い。
と書いてみたが、この一つの文章で矛盾が出た。
先ほど私は、人を傷つける思想なら無用だと、書いた。
今私は、お互い傷つけ合うことも必要だろうと書いた。
これは矛盾か?
それこそ二律背反である。矛盾でありつつ、一部は矛盾ではない。
それはどういうことか?
人を傷つけるだけで進化のない思想ならば、無用である。
しかし、成長するためには傷つけ合って、痛みを知ることも必要であろう。
成長できるならば、思想を熟するためならば、時には人を傷つける、傷つけてしまうことも、許すべきではないか?
これは私の思想である。
未だ未熟な思想である。
古典を当たれば良い。
きっとそこにはもう、あるはずだから。
人を傷つける必要のない、平和な思想が。
ならば、なぜ、今の世は平和ではないのか?
それが、古典が古典たるゆえんではないか?
人は歴史から学ぶ生き物なのだろうか。
そうあってほしいが。
ああ、随分と駄文ですな。
結論に何が欲しいか?
考えてみる。
私は「人を愛することができる思想」が欲しい。
これを結論としよう。
はて?
どこかの占いの動画で見たな。
「あなたは他人はものすごく愛せる人。でも自分のことはそうでもない。だから自分自身も他人と同じくらい愛せるようにね」
みたいな。
インナーチャイルドを癒やすワークをやるか?
また今度、考えてみる。
さよならの言葉として、何が欲しい?
考えてみる。
六道を出でよ。
君のいるべき場所は、そこではない。
二乗界に留まるな。
仏菩薩になれよかし。
キーポイントは「他人を助けたいという心」でしょうね。
そのためには、まず自分が助からなくてはならないか?
ホームレスがホームレスを助けることはできない。
まずは心を、裕福な人にすることか。
祖先は大切にした方がよいですよ。
私たちは、大戦を生き延びてしまった人たちの血を引き継いでいるのですから。
友を沖に置いて、大戦を生き延びてしまった人の背徳感は言い知れないものがありそうだ。
生きていてごめんなさい。
あなたの命の分だけ、ちゃんと働きます。
この命の火を、繋いでくれて、どうもありがとうございます。
吹けばすぐに消えるような灯火かもしれませんが。
今を精一杯に生きます。
だから、英霊様、見守っててください。
私は生きます。
できたら、ちゃんとした人間になれるように、頑張りますから。
応援よろしくお願いします。
とは?
これは土星型の精神疾患になるタイプでしょうな。
どうしたら、もう少し生きやすくなるのだろうか?
本を読め?
すみませんね。読書は大の嫌いなんで。
ダラダラと読書している。
なかなか読破しきらない。
最初の40ページは1日で読める。
それから10ページ増えるごとに、かかる時間は十倍くらいだ。
三分の一程度、読み終わった本が、至る所にある。
岡潔のように、三晩寝ずに仕事するくらいの集中力が必要か?
一体何冊読んだら、読者が好きになる?
ああ、波動速読ができるようになりたい。
報身如来の山崎弁栄上人の無差別智のように。
そのように、右脳を開きたい。
鍵がなければ、蔵の中の宝を見ず。
右脳を開く鍵はどこに?
七田眞を調べてみようかな。
つらつらと書いたが、結局、何の成果も得られなかった。
これは思考の軌跡であり、記録である。
これをお読みになって、人生の時間を無駄にしたと感じられた人には、大変にすまなく思う。
ここに謝す。
一句詠もうか。
「
長き旅思考の声を旅人は
今休めんと座して眺める
山吹や枯れたる井戸にひとひらの
若葉は散りてハッとする人。
」
Long journey
Traveler tries to stop thinking voice
Sitting and seeing
Oh flower! On burned well the leaf
Falling leaves
Back to myself
英訳も済んで、僕の仕事はこれで終わりだ。
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