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No.15 新卒で林業という選択

加藤 翼(かとう つばさ)
京都大学総合人間学部卒業。在学中に1年間休学し、NPO法人東北食べる通信でインターン。卒業後、林業をするために鳥取県智頭町に移住。現在、林業5年目。

_________ 大学を卒業して、そのまま"林業をする"という決断に至った経緯を教えていただけますか。

きっかけは、3年生の頃、就活をしていてサマーインターンに参加して、いわゆる"就活"自体がしんどいなと感じたのと、自分の志向性として、都会がそんなに好きじゃないというのが感覚的にあったんですよね。ビルが並んでいるのとか、人が多いのが苦手だなと。
僕は長野県出身なのですが、大学選択のときも、長野の人はアクセスがいいことを理由に関東方面に行く人が多いんです。だけど、自分は東京が都会っていう偏見で他を探して京都に来たんですよね。実際、来てみたら京都も都会だったのですが(笑)、ビルは少なかったので、そこは好きでした。

あとは、なぜ都会に行こうとしているのだろうという疑問もありました。僕の専攻は社会経済学だったんですけど、その中で「格差が拡大していること」「東京一極集中」「資本主義の限界」など、現代社会の負の側面に興味を持って勉強していました。それなのに、"いざ就職"となった途端に、学んだことは学んだこととして横に置いて、課題を拡大する側に自分がなるのか?という違和感もあり、地方に目を向け始めました。

地方でなにをするのかを考えるときに、自分がPumpit(カンボジアでの小学校建設を目標とした学生団体)に所属していたので、"楽しく"仕事をしたいという気持ちは根本にありました。ただ、リクナビやindeedなどの就活サイトで勤務地が「長野県」で調べてみても、地方で楽しく仕事をしているイメージが湧かなかったんですよね。

でも、「楽しく仕事をできないはずがない!」と信じて、地方で活動していて、かつ熱量をもっている人を探して、サマーインターンが終わった3年の秋頃から、いろんな人に会いにいきました。
週末の時間を使って、東京で開催しているイベントや、地方創生をテーマにしたもの、スタディーツアーなどに足を運ぶ中で、東北食べる通信を発行するNPOの当時代表の高橋博之さんに出会いました。登壇するイベントに参加して、熱量がすごくて面白いなと思ったんですよね。自分の中で響いたのは「基本的にお金で買える世の中で、消費的に生きていても生活は成り立つ。けれど、その暮らしの中にいると問題の当事者になることはない。」という内容の話をされていて、本当にそうだと思いました。

農業でいうと、日々いろんなニュースがメディアで流れてきて、例えば、台風の被害で米の価格が暴落したときに、見ている瞬間・読んでいる瞬間は「なるほど」と思うけれど、ニュースが終われば、当事者からは離れてしまって何かアクションを起こそうというマインドにならないということをおっしゃっていました。高橋さん自身、東日本大震災のときに都会の人がボランティアで被災地にきて農村漁村の生産者と関わって、そこで顔の見える関係性が生まれていくのを見て、一次産業の問題の根本は関係性の"分断"にあるんじゃないかと思ったそうです。そこから食べる通信で、生産者の顔と名前とストーリーを伝えながら、生産者が作った食べ物を、頭でも知りながら舌で味わうことを提供されています。
また、高橋さんはいろんな分野での"分断"を問題視していて、ちょうど大学の時の自分は「熱量があがるものってなんだろう」と悩んでいたので、何かの課題の現場に飛び込まずにやりたいことを探していても見つからないんじゃないかと思ったんですよね。それで、まずは一次産業の現場に飛び込もうと思い始めました。

_________ はじめに林業と決まっていたというよりは、一次産業の当事者にまずはなってみようと思っていたのですね。そこから、林業に決めるまでにどのような出会いや経験があったのでしょうか?

林業に決めたのはまだまだ先で、まずは大学3回生が終わってから休学して、東北食べる通信で1年間インターンをしていました。
そこで農業・漁業の現場に取材のアシスタントで一緒に行かせてもらって、取材をしたり、出荷や発送をしたり、ということをしていたのですが、出荷に関われたことで生産者と頻繁に連絡とったり、現地に何度も行ったりして、だいぶ可愛がってもらいましたね。でも、東北に行ってからも悩んでいました。農業・漁業には触れたばかりで本当に興味や関心がここにあるのかわからなかったです。

ただ、現場行かないとなにも湧いてこないなというのはすごく実感しました。いくら本を読んでも、話を聞いても、現場にいて体験したこととは全然違うことが、少しずつわかってきました。頭でっかちではなくて、実際に自分で身体動かしてみて、頭と体のバランスを取らないといけないということも高橋さんが言っていて、本当にそうだなと、そうしたいなという思いが心に芽生えてきました。

いろんな人に会わせていただいたんですけど、会う人みなさん素敵でかっこよかったです。そのときの自分には何も提供できるものはなかったのにすごく良くしてもらいました。あとは、実際、畑や海にいっても、野菜ひとつ、魚一匹獲れない自分もいて。生み出す力、生きる力を何にも持っていないなとも感じました。

「現場にいきたい」という思いを強くもつようになって、農業漁業も考えたんですけど、漁業は、船酔いがすごかったので、無理だってなりました(笑)。農業は、農的な暮らしには興味があったけど、仕事にするほどの覚悟がなかったです。

山に目がいくようになったのは、東北にいる最後の時期に、山地酪農という酪農をしている方に取材をさせてもらう機会がありました。そこは牛を牛舎などではなく山で放牧していて。それを見て、人と牛の関係性や、人と山の関係性がすごく調和できている、無理がない感じがして、いいなと思いましたね。「森は海の恋人」って言葉をご存知ですか。宮城の気仙沼で牡蠣の養殖をしている漁師さんが仰っていた言葉で、その方は、牡蠣の漁師をしていて、戦後からだんだん牡蠣の実入りが悪くなっていることに気づいたそうです。その原因を考えたときに気仙沼の湾に注ぐ上流の森が伐られていたり、拡大造林で針葉樹に変わっていったことで、山からの栄養がなくなっているということに行き着きました。そこから「森は海の恋人」というキャッチフレーズを掲げて、漁師さんが広葉樹を植林して再生していこうという活動を行なっていたんです。
当たり前ですけど、山も海もつながってるんだなと気付いて、農業しても漁業しても林業しても、全部つながっているからあんまり変わらないような気がしたんです。そこから山も大事な場所だなと思って、一次産業の中で林業に目がいくようになりましたね。

林業に関しても知識はなかったですけど、嫌な感じはしなかったんです。小中学校にキャンプとか行っていたこととか、通っていた幼稚園が山の中にある"森のようちえん"でした。母親もそういうのが好きだったみたいで。これらは後付けなんですけど、山の中で仕事をしている感覚は合っているかもと思いました。
東北にいるときも全然決心はつかなかったんですけど、休学期間が終わる直前に、林業を考えてみようかなと思いました。林業も現場には全く行ったことがなかったので、会う人会う人に「林業したいです」と言い続けて、たまたま巡り合い、ご縁をいただいたここ(智頭町)になりました。

_________ 複数受けて、今の場所に巡り合ったのですね。林業の面接って、何を聞かれるのですか?

何を聞かれる…「本気でやるの?」って聞かれますね(笑)。本気でやりたいけど、本気でできるかわからないけど、頑張りたいから頑張ります、みたいな感じで答えていました。「大学生に覚悟はあるの?」と聞かれたりとか。
それはそうですよね、それなりに土地に根付くものなので「移住するの?」「ずっとここにいるの?」という話も聞かれたんですけど「ちょっと、まだわからないです」としか答えようがなかったです。今働かせてもらっているところは、親方が若くて40代で、自由を求めてきたような親方なので、フランクで「いつ来てもいいよ」という感じでした。

自分自身、林業の中でも、大規模林業ではなくて"自然との調和"もテーマとしながら探していたので、その辺のバランスがうまくとれているところという軸で探していました。林業は今、機械化が進んでいて、重機を山の中にいれて仕事をするのがメインなのですが、大きな機械を入れると山に負荷がかかるけど、小さい機械だと生産性が上がらないから難しい。その生産性と環境のバランスを考えているところで働きたいなと思っていました。小規模林業で、採用していますっていうところがなかなかなくて、見つけるのが大変でしたね。

_________ 親方も同じような思いで会社を設立されていたのでしょうか。

思いの方向性は、同じでもないかなと思います。親方は地元の人で長男、一度地元から出たのですが、また戻ってきたんですよね。ここで何か仕事するとなったときに、勤めよりは独立して働きたいという気持ちがあったのと、持ち山があったので林業を始めたのかなと思います。里山というか、田舎での自立した暮らしの方に関心が強い方かなと思います。
ただ、その中でも、山を破壊しない、山を守る林業を考えておられます。

_________ 林業を志して、今の職場にすぐに巡り会えたのはすごいですね。

運が良かったと思います。何も動けない時はありましたよ。ただ、できるだけちょっとした興味がある部分には飛び込むようにはしてました。行動して、確かめにいくのは大切にしていました。
復学したときも、林業をしようと決まっていたわけではなくて。
都会はいいや、と思っていたけど、林業というひとつの職をどこかに就職して極めていくのか。もしくは、"百姓"みたいなことってよく言われるじゃないですか。ひとつの専門職だけではなくて、いろんなことができる人という意味で。自給自足の畑をしたり、家を建てたり、薪割ったりとか、田舎暮らしみたいなところにも興味がありました。結局、どちらに振ろうかなと考えていましたね。田舎暮らしをしているところに住み込みで手伝わせてもらったり、林業の資格を取ったり、アポが取れたところに会いに行って山を見させていただいたりしていました。

_________ 行動力がすごいですね。選択肢を絞って、淡々と進んでいく感じが印象的で、迷いとはどう付き合っていますでしょうか。

よく決断できるね、という話は確かにされます。個人的には、一個一個の違和感や、ちょっと興味ができたことを、自分の中で大きくすることを意図的にしていましたね。勇気というよりも情報を集めて、一歩一歩階段を積み上げていく感覚を自分の中に感じています。
あるいは、外堀を埋めていく感覚ですね。迷っている選択肢があるじゃないですか、その一方向に惹かれ始めたら、こちらの方がいいんだなと思う理由を自分で意識的に置いて、外堀を埋めていく感じです。最初は、「本当にこっちがいいんだ」と言っている人についていきましたね。自分は「どうなんだろうな」と思いながら、その人が信じている理由を吸収して後付けして、最初はそっちがいいって信じれなくても、飛び込んでいく感じですね。半ば自分に言い聞かせています。

ただ、いつだって悩みはありますよ。鳥取の智頭町は、すごく人に恵まれていて、尊敬する先輩方がたくさんおられるし、林業の歴史も長く、林業をするならここを離れる理由はないと。ただ地元の親を思う気持ちももちろんあります。
一方で、林業をもっともっと深めたいし、山に関わり続けていきたいとも思っています。林業の奥深さに日々触れていてますね。ちょっとできたと思ったら、できたことによって今まで自分ができなかったことがもっと見えてくる。1できたら10できないことが増える。そんなところに面白いとも感じます。

現場はとても楽しいです。日々身体を動かさない生活はもう考えられないですね。

【編集後記】
新卒の選択肢としてあまり耳にしない林業。その決断をした翼さんは、就職活動の流れに学生のころから「何かが違う(自分には合っていない)」という感覚からスタートして、一つひとつ現場に足を運んで確かめていました。

特に、印象的な考えは、自分の感覚を信じきれていないときは、先にその世界に飛び込んでいる人がそこで生きる理由を知り、そうだと一旦思ってみる、というところです。

体験をしたことがない段階では判断ができないので、このような方法で人に力を貸してもらうことも決断するには大切な手段に感じました。
林業を深める、もしくは別の何かにチャレンジする翼さんの今後もとても楽しみです。

【ライター】
篠原 七子(しのはら ななこ)
神戸市出身、福岡市在住の26歳(2022年3月時点)。自然と調和した暮らしづくりを目指し、コンポストの研究製造販売をする会社でCS/広報として働いたのち現在転職活動中。本メディア発起人(経緯はこちら)。
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