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No.4 大学3回生でNPO法人・株式会社の代表になっている理由

工藤 柊(くどう しゅう)
NPO法人日本ヴィーガンコミュニティ(2018年11月〜)代表理事。株式会社ブイクック(2020年4月〜)代表取締役。神戸大学3回生で現在休学中。憧れの人は賀川豊彦とのん(旧:能年玲奈)。

一見、感情のブレが少なく、なんでも前向きに考え、行動しているような工藤くん。彼が今のような経歴をもつまでの過程には、前に進む人になる知恵がたくさん詰まっていました。

工藤 トマト

_____ 単に“ヴィーガン”であることだけではなく、組織化しようと思ったのはなぜですか?

簡単にいうと『みんなで協力してやった方が大きいことできるから』ですね。逆に、一人でやっていて活動によって与えられる影響の限界を感じていました。
ヴィーガンを始めたのが高校3年生の時で、自分以外のヴィーガンの人に会ったのは、大阪で開催されたヴィーガンのフェスに参加したのが最初です。そこで、これまで自分が感じていた”生きづらさ”とか”生活のしにくさ(食べれるもの、買えるものがあまりない)”が自分以外の人も感じているんだなということを知りました。
他者のために行動しているのに本人が不便を感じる人が多いことを実感して、そんな状況が単純に嫌だなと。それで、まずは自分ができることからやろうと思って、大学の食堂にヴィーガンメニューを導入するところからやり始めたんですよね。

______ 具体的に組織にする際、一歩を踏み出せたのはなぜですか?

学食に導入しようとしたときは、自分含めて大学の仲間5人だったんですよね。1人は日本人で僕と同級生、あと3人は留学生でたまたま1人と知り合って、その人の知り合いが2人集まってきてくれたという感じです。
東京にヴィーガン系のNPO法人があって、その団体の1つの活動として、「学食のメニューに導入するのをサポートします」というのがあったんですよね。大阪のフェスで会った人が、その団体の人と知り合いで紹介してもらえて。
そもそも、学食にどうやってヴィーガンメニュー導入したらいいかなんてわからないじゃないですか。だから、それを教えてくれる人がいたのは大きかったですね。大学に7つくらい食堂があるんですけど、その中の1つはすでに導入されていたので、そこにメニューの提案とかをしていました。

vegeproject ベジプロ 初M


次に、NPO法人日本ヴィーガンコミュニティ立ち上げのときは、そもそもNPOって正会員10名とその中から理事3名いないと設立できないんですけど、そのメンバー探すのはめっちゃ頑張りましたね。関西圏のベジタリアンとヴィーガンの人にヒアリングしたりとか、定期的にV-talkというイベントを開いて、ヴィーガンカフェ・レストランに集まって出会う機会作って、考えが合いそうな人を集めて誘っていました。

_____ 「常に、前へ」という印象ですが、何が活動の後押しをしてくれたんですか?

学食にメニュー導入する活動も、上手いこといかなくて。自分がやっても、影響が与えられなくて、無駄やなとか無力やなとか思っていました。2018年1〜2月は落ち込んでいましたね。「普通に大学行って、働くか...」みたいな。
その時期はめっちゃ人と話していました。先輩とか、同級生と。「僕らって無力ですよね」とか(笑)。どうやって社会に影響を与えていけばいいのかがわからなくて。モラトリアムの時期にありがちな悩みです。
何人かの先輩と話しているときに、『どんな人になりたいかを考えたいよね』という話になったんです。「生きているときもそうだけど、死んでからも影響を与えられる“偉人”になりたいよね」という話になって、じゃあ「偉人ってだれおるんやろ?」ってなって、偉人の本をたくさん買いました。松下幸之助とか稲盛和夫とか、マザーテレサの本も小学校ぶりに読み返したりしました。

そこで出会ったのが、賀川豊彦です。

この方は、生活協同組会の父と呼ばれた人で、この人自身がとてもかっこいいんですよ。神戸出身の方で、もともと貧困とかに取り組んでいて、神戸のスラム街に入って病気の人を救うということをしてたんですね。でも、いくら活動しても、スラム街の状況が改善されない。彼は考えた結果、「働く環境が悪いからだ」という結論に至ったんです。病気になったり怪我したらすぐやめさせられてもう働けない。そういう人がスラムに来て、ゴミ拾いとかしか仕事がないという連鎖になっていることに気づいて。そこから労働組合の2代目リーダーになったりしています。
賀川さんの考えはシンプルで「まず自分ができることをやる」。一人ひとりの力は小さいけど、合わされば、労働組合だったら会社を動かせる力になるし、生活協同組合だったらみんなで出資し合って運営すれば、安心安全な食べ物を宅配というシステムを使って全国の主婦の人に届けることができる、というのを体現した人なんですよ。それが、兵庫で小さく始まったんですけど、今、生協って全国に広がっているじゃないですか。本人はとっくに亡くなっているのに、日本全国に仕組みが広がっているのがすごいと思いました。
しかも、世界中にコープってあるんですけど、日本の生協が1番仕組みが優れていると言われているんですよね。
死んでもなお、そういう仕組みを残しているところがすごいなと思ったんです。いろんな食の宅配サービスがありますけど、その前身を築いた方です。

協同組合だから、会社でもないし、NPOでもない。そこもすごいなと思って、これがヴィーガンでもできたらと思って悩み期を脱しましたね。
そこからは事業のアイデアとか、組織のあり方考えたりして、さっき言った関西のヴィーガンの人にヒアリングたりアンケート取ったりして、それでNPOの法人格にすることを決めて、全国回って、会員さん集めて、設立できたという感じですね。

ブイクックレッスン1_集合写真

______ 賀川さんを知って同じように「作ろう」となるのがすごいですよね。偉人は「自分と違う」として捉える人が多いけど、どうして「自分にできる」と思ったのですか?

偉人の中には「1社目で成功しました」とか「大発明しました」みたいな人もいます。でも、賀川豊彦さんはそういう人じゃないんですよね。
昔はスラム街で一人ひとりと向き合って話したりとか、災害があったら出向いてボランティアしたりする人なんですよね。”ただの人間やな”と思えたんですよね、賀川さんには。
それだったら”ただの人間”の自分でもできる。それに、できなくても当たり前やなと思ってるんですよね、ただの人間やし。でも確かに人より(自分に対して)期待値は高いかもしれないですね。前向きに生きるように育ったかもしれません。
でも、決断する前は、毎回悩んでますよ。

悩みなさそうとか言われるんですよね。そんな時にはこう言うようにしています。


______ 悩んだ時はどうしているの?

何もわからないので、全部人に聞いていますね。答えを知っている人に。例えば、NPOにするか会社にするかを悩んだときは、すでに神戸でNPOやっている人に話を聞いたりとか、会社にしようと思ったときは、若くで起業している人とかに話聞きにいきましたね。
最初なのでやり方わからないですよね。だから全ての選択肢のやり方を聞いています。誰かが絶対やっているから、やり方はあるはず。それを全部聞いて、だいたいやり方がわかったら、あとは決めるだけです。やったら大変なのかはわかっているけど、いかに「できるな」と思えるところまで自分をもっていくかが大事かもしれないですね。

______ なるほど。行動ができる状態まで自らをもっていくというのは重要そうで意識的にやっている人は少なそう。会社を設立する時はどんなプロセスを踏んだのですか?

NPOの理事メンバーが就職するとか、他の国に行くとかで、コミットが減ることになったんですね。そのタイミングでこのままブイクック(※クックパッドのヴィーガン特化版)をNPOとして続けるべきか、ブイクックとして独立した組織でやるのかを考え始めたんですよね。その時も、自分だけじゃわからないから、理事のメンバーに聞いたし、周りに会社やっている人や、会社とNPOをどっちもやっている人もいたので、その人たちにたくさん話を聞きました。
僕の場合は「ヴィーガンの人が暮らしやすい日本社会にする」っていう目的がはっきりしているので、そのためにNPOがいいか、株式会社がいいか、みたいな決断の仕方をしていますね。

ブイクック


______ 目的をブラさずに、意識できているのがすごいですよね。

目的は自己暗示ですけどね。目的が湧き上がってくるのなんて、最初だけです。覚悟決めて、あとは信じ続けるしかない。「手が進まなかったら、それはやりたいことじゃない」みたいなこという人いるじゃないですか。でも、やりたいことだけやって生きれる人生なんて、僕はほぼないと思ってます。何か一つの才能に秀でていたらずっとやり続けられるみたいなことがあるかもしれないですけど、だいたいの人がそうじゃないじゃないですか。
全部うまくいってるわけじゃなくて失敗はいっぱいあります。ただ、その中でもうまくいったことを継続することが大事やと思っているんですよね。

______ 最後に、大切にしている価値観とか、考え方はありますか?

この世界は未来永劫、完璧になることはないと思っています。不条理とか、不完全な状態で、それでも良くなる方向に進んで行くことが、僕は大切だと思っています。今の状況が不完全ではないからといって、全てを諦めて何もしないわけではない。
この考えに至ったのも、賀川豊彦の本を読んでいた時期なので、モラトリアムの時期は大事でしたね。

あとは、賀川豊彦を知る以前から、持っている意識が一つあります。
中学の時に映画を友達と一緒に見に行ってたんですけど、自転車で大通りを走っている時に、道に猫が倒れてたんですよね。
それをみて僕は「あ、危ないな」くらいで見てたんです。でも、その友達は自転車放り投げて道の真ん中に飛び出して、前から来るトラックに手を広げて「ストップ」ってやり始めて。自分もトラックに引かれるかもしれない危険を犯して、生きているのか死んでいるのかわからない倒れている猫のために飛び出したっていうのが、「人として美しいな」と思う経験があって。
自分は飛び出せるような人間じゃなかったから、これからは意識してでも、自分ができる行動からできる人間になりたいなと思いましたね。そういう人間じゃなかったら、自分のこと好きでいられなくなるので。

工藤 スーツ のんびり 座ってる

【編集後記】
工藤柊は、批判も賞賛も素直に受け入れ、わからないことは自然と人に聞ける、とてもオープンな心が印象的。特に、いろんな話を人に聞き、いかに「できる」ところまで自分を持っていくのか という部分が特徴的で、私も見習おうと思います。
最初の「わからない」状態は工藤柊も一緒。そこから、一歩、一歩と近づいていく過程を踏むか踏まないか。お話を聞いて、少し工藤くんを身近に感じることができました。

※この記事では、なぜ工藤くんがヴィーガンなのかについては触れていません。関心のある方は「僕がヴィーガンな理由ときっかけ。」も合わせてどうぞ。

【ライター】
篠原 七子(しのはら ななこ)
神戸市出身、福岡市在住の26歳(2021年時点)。自然と調和した暮らしづくりを目指し、コンポストの研究製造販売をする会社でCS/広報として働く。本メディア発起人(経緯はこちら)。
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