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怒り。——『さよならデパート』ができるまで(2)

それを告げられたのは、日曜の夕方5時頃だった。

「今日で大沼がつぶれます」
準備中の料理店を訪ねてきた大沼デパートの社員さんが、辺りを気にしながら小声で言った。
半分ほど開けた玄関の戸の隙間から、寒気と共に滑り込んでくる。 彼は少し笑っていた。 いや、頬を引きつらせていたというのが正しいのかもしれない。動揺と非現実感とで、そんな表情しかできなかったのだろう。
私も多分、似たような顔をしていたはずだ。

「他の社員には、これからです」
彼は役職に就いているので、少し早く知らされたそうだ。
固まった笑みのまま、彼は店のそばに止めてある車からプラスチックのコンテナを運んできた。
「明日から、店に入れなくなっちゃうんで」
コンテナの中には、鍋やおたまなど、私の道具が入っている。大沼の催事で料理をする際に使っていた物だ。催事のたびに搬入したり引き上げたりするのは大変だろうということで、調理場に保管してもらっていたのだ。

「明日にはニュースになると思います。まだ誰にも言わないでくださいね」 彼はやはり硬直した表情のまま去っていった。
大沼の破綻は、早くもその夜に報じられた。
2020年1月26日だった。

「食品関係は持っていってもいいそうです」
彼から連絡があった。
店にあるほとんどは差し押さえられているが、食べ物は腐らせてしまうので対象外ということだろうか。
私は料理店の他に食品製造業も営んでいて、大沼デパートの地下食料品売り場に納めていた。12月分と1月分の売り上げは支払い不能となったので、せめて残っている品物だけは回収したい。いつもより仕込みを早く進めて、区切りのついたところで七日町へ向かった。

大沼の裏口はシャッターが下ろされている。
シャッターが冬の風に震えて音を立てる。その前では背広姿の男が構えて、納入業者らしき行列と向かい合っていた。
業者たちは皆、コンテナを手にしている。私と同じく、商品を取り戻しに来たのだろう。なぜ入れないでいるのかと聞いてみると、「30分に1度しかシャッターが開かない」とのことだった。

しばらく待っていると、動きがあった。
古びたシャッターが、悲鳴のような音を響かせながら上がってゆく。3分の1ほど開いたところで静止して、できた隙間からは、やはりコンテナを持った業者たちが身をかがめながら出てきた。

「どうもっす」
すれ違った業者の1人は、私の料理店へも食材を卸している会社の担当者だった。
互いに、コンビニで鉢合わせたようなあいさつをする。無言で困惑の視線を交わした。 体を折り、シャッターをくぐる。

「次に開くのは30分後です」
背広の男の声を聞きつつ、地下売り場への階段を下りた。
静かだった。
店内音楽がない。青果店や精肉店の威勢のいい掛け声もない。納品の度に耳にしていたにぎわいの一切が消え、棚の商品をコンテナに移動する作業だけが音となっていた。

私も持参した段ボールに自分の商品を詰めたが、5分と要らない。シャッターが開くまで待機か、と長い息を吐きながら辺りを見回した。
ふと、がらんとした売り場の奥から、業者の作業とは違う音が響いてきた。 誰かが鼻をすすっている。
近づいてみると、パン屋のあった所に数人の女性が背中を曲げて座っていた。

見覚えがある。
いずれも、催事や納品のたびに顔を合わせていた従業員だった。 報道によれば、全従業員が昨日付で解雇されているはずだ。 彼女らの周りの様子から、売り場の片付けをしていたのが分かる。一段落して腰を下ろしたら、急に感傷に襲われたのだろう。いや、ずっと涙を流しながら職場の最期を看取っていたかもしれない。

何と声を掛けてよいか分からず、とはいえ彼女らの視界に入ってしまったのでそのまま去るわけにもいかず、会釈をして売り場を後にした。両手に抱えた段ボールが、どうも気まずかった。

シャッターの裏で待つ。
しばらくすると、靴の底と階段とがぶつかる音が聞こえてきた。
回収を終えた業者だろうか。いや、音は上の方から近づいてくる。地下にいた人間ではない。 扉から姿を現したのは、スーツを着た男女数人だった。

その中の1人に見覚えがあった。大沼の社長だ。
彼らのやりとりから察するに、他の人間は弁護士らしい。一瞬、社長と目が合った。商品を回収しに来た私に、何を言うのだろう。

だが、目が合っただけだった。
弁護士の計らいですぐにシャッターが開き、社長は彼らと朗らかな笑顔を交わしながら陽の下を歩いてゆく。謝罪会見へ向かうのだ。

私は再び、体を折ってシャッターをくぐった。
——こんな終わりか。 湧いてきたのは、分類するとすれば怒りだったのだろう。 言いようのない感情を血管にめぐらせながら、来た道を逆にたどった。

「大沼の本を書きます」
私がある人へ電話をかけたのは、その年の夏だった。

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